第2話 母の口癖

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 口先だけが器用な人間の言葉を母、フルタイム・パラドクスは嫌っていた。理由は悪い人だから、だそうだ。


 しかしながら、当時のわたしには誰が母の嫌いな種類タイプの人間か全くもって分からなかった。


「いい?ロス。本当に良い人を見分けなくてはダメよ?本当に良い人はね、瞳の色が違うのよ」


 それが母の口癖だった。実は母の瞳の色をわたしは覚えていない。その顔も、声ですらもぼやけ始めていて、最早母の容姿が綺麗だったのか、かわいらしかったのか、声が低かったのか、高かったのかも思い出せず、今ではいかにも『母親』らしい顔、声として頭の中で勝手に美化され再生されていると言うのがなんとも物悲しく思える。


 それでも母との別れだけはしっかりと覚えている。母の葬式だ。わたしと弟を育てる事に疲れて母は自ら命を絶ったのだ。


 まだわたしが小学校から中学に上がった頃の出来事で、弟なんてまだ小学五年生だった。参列者はわたしと弟を頭数に入れなければ母のパートアルバイト先のおばさん二人とわたし達の母方の祖父母、そして父親の計五人だけ。


 質素。地味。頑張ってよく言うと、厳か。


 祖父母は生憎の雨だから来られる人が少なくなったんだと、わたしと弟に優しい嘘をついてくれた。おばさん達もそれに賛同し、わたし達をなんとか元気付けようとしてくれた。


 それから祖父母がわたし達に母の武勇伝を聞かせてくれた。無能な上司に対して徹底抗戦の構えを崩さずに立ち向かい、おばさん達が働き易い環境を作ってくれたという。


 介護福祉関係の仕事を友人の伝手で始めた母は、働き始めた頃まだ資格を持っておらず仕事の内容は要介護者の身体を洗ったり下の世話をしたりと素人が続けるのには難しい仕事だった。


 母の事を話してくれている間、おばさん達の瞳は澄んでいると感じた。


 母はやはり人を見る目があるのだ。しかし、そんな母が選んだ夫、わたし達からして見れば父親である人物を選んでしまった事を踏まえると、母の見る目というの物が本当に正しいかは見解が分かれるところだろう。


 百八十センチをこえていて、髪はわたしが生まれる前から白髪の男。ヘルスィ・パラドクス。悔しいけれど、どの友達のお父さんよりも顔が整っていて、三十代後半とは思えない程凛々しいくその外面とは反比例して内面が不実な男だった。


「母さんの事は残念だった。でもいずれ分かる時がくる。ロスはお姉さんなんだからサムを守ってあげろよ」


 それが父親との最後の会話。父は仕事のストレスからか、あるいは単純に愚かなのかは定かではないが仕事場の若い女と関係を持っていたらしい。


 それを見抜いた母は決して怒鳴り散らす事もなく、今後の生活をどうしていくのかを、いつもと同じ優しさを持って父親と話し合っていたのを今でも覚えている。


 私とサムは玄関先で箒を握り締め二人が家から出て行かない様に見張っていた。あの時は家族が分裂しそうなのだと本能的にわたし達は感じていたし、そうはさせまいと泣きべそをかきながら二人で親の話し合いに聞き耳を立てていた。


 妻と二人の子供を家で待たせておきながら自分は女の家に転がり込んで獣の様に女を貪り食い平気な顔して帰宅するわたし達の父親。


 父親は言った。自由にしてくれよ、と。


 どれだけの自分勝手な発言か分かった上で言わずにはいられない程に私が苦しめてたのよ、と母はいつも笑いながら話してくれた。




「ロスは誰よりも綺麗な女の子よ。私とお父さんの遺伝子を受け継いでいるんだもの。世界から望まれた子供なの。誇りに思いなさい」



 当然ながら世界についても触れる必要があるだろう。



 わたしが生まれた頃、世界は丁度核戦争を終えた。


 わたしが知る限りでは世界規模の戦争は無くなってしまった訳だが、それでもやはり激動の時代を生きてきた人々にとって、わたし達の様な戦争を知らない子供達はある種の希望の様な存在らしい。


 その証拠に純真無垢な子供達イノセント・チルドレンなんて綺麗な言葉でわたし達の存在は勝手に世間で祀り上げられている。


 それもこれも大戦後に発足した新たな組織の所為。


 平和の導き手ピースメーカー


 核を撃ち合い、気付けばあまりに多くを失った世界は、もう二度と同じ過ちを繰り返さないようにと徹底した平和の管理を始めた。


 つまりはそう、わたし達の世界で戦争は起こりません。何故なら平和の導き手ピースメーカー達が各国に睨みを利かせているからです。


 何処に潜んでいるかは分からない。それでも彼等は確かに世界の中に溶け込んでいて、目には見えない平和という抑止力で世界を縛り上げ平和という名の呪縛で管理する。


 実際、平和の導き手ピースメーカーが出来てから世界は平和になった。


 情報統制、異文化交流。誰も争いで死ぬ事なく、相互理解が可能となり世界は何処もかしこも同じ様な言語が飛び交う。飽和したコミュニケーション。


 平凡でつまらない。


 わたし達は全寮制の学校に詰め込まれ、多くを学んだ訳だが、今の私にとって役に立っていると思うのは男性と女性の身体は造りが違う事、戦争はいけない事。それだけだった。


 皆がそれぞれ適正に合わせた職業に就いていった。適正面談を受けて学歴の纏められた情報記憶端末メモリーカードと血液検査により適正を導き出す。


 遺伝子により自分の将来が大きく変動するのがわたし達、純粋無垢な子供達イノセント・チルドレンの宿命であり人生。情報記憶端末なんてただのお飾りで、過去自分の先祖様から自分自身までの間の遺伝子の中で勝手に候補となる職業が選ばれる。


 わたし達はその候補の中から希望の職業先を見つけ、形式上の面接を受ける。


 その後は何一つ不自由なく生きるだけ。


 先輩方の中では有名だった素行の悪い生徒が、政府の研究機関に就職が決まった人もいるらしい。


 はたから見たら間違ってると思われていたようだが、その先輩は次々と新たな発明、発見により世界に貢献する事になった。そんな言い伝えにも似た伝承が学校で人気だった。


 中高一貫校で成績を常に上位でやり過ごしてきた自分にどんな未来が待っているのかわたしは期待に胸を膨らませ、適正面談を受けた。結果はいたってシンプル。




 適正判定A 民間軍事会社


 適正判定の結果、他に該当する適正はありません。




 パソコンの前でわたしは凍りつく、適正が一つだけ、それも民間軍事会社。判定はA。五段階評価で最高基準のAが出た。


 奇跡だ。


 



 わたしは戦争を知らない世代の代表として民間軍事会社PMCに就職した。


 サムは最後まで反対したがそれでもわたしは聞かなかった。



「姉さんは何と戦うの?僕達の世界は平和なんでしょ?それなのに何で?僕を一人にしないでよ」


 僕を一人にしないでよ、これはわたしの弟、サムタイム・パラドクスの口癖だ。


 運動会の時も、怖い映画を観た後のお風呂やトイレの時も、サムはこの言葉を口にする。


 わたしという存在を思うがままに支配コントロール出来るものだと思っているのでサムの今後の為に何度か心を鬼にして無視した時があったが、自分が無視されたと認識した瞬間に歪んだ感情が沸き上がってサムは自殺を試みる事すらしばしばあった。


 そこまでされるとわたしはサムの支配下で道化師として彼を楽しませなければならなかった。


 母が自殺してからは祖父母のいる田舎町で生活をしていたがそれまで仲良くしていた友人や都会的な暮らしから切り離されたわたしは新しく友人を作る気力も湧かず、学校が終われば祖父母の待つ家に帰り、また弟の手足となって一日が終わっていく。そんな毎日の繰り返し。エンドレス。


 やがてそれが耐え難い苦痛へと変わって行った挙句、家族を嫌いになってしまう前にわたしは祖父母と弟の元を離れた。


 わたしは姉だ。でもわたしだって子供だし、誰かにわがままを言いたい時もあるのだ。


 父が一番嫌っていた軍人になりたいとあの雨の日に決心したわたしは、自由の国アメリカを飛び出した。父にはなんの相談もせず、母が残した僅かな貯金を握り締めてわたしはここ、アフガニスタンで夢の様な生活を謳歌してちょうど十年。


 ブルカにも慣れ、食事の際に始めは感じていた煩わしさも今では感じる事はなくなったし、裾を踏んで転ぶ事もなくなった。


 今や全てがわたしの一部。


 正規軍の度重なる縮小化にわたしは軍人になるという野望を叶えることが出来なかったのは今でも残念に思う、それでもなんとか民間軍事会社に勤める事は出来た。


 平和の導き手ピースメーカー様万歳。


 核大戦争ビックバンが起こらないように国全体を見張る。それがわたしの勤めている民間軍事会社、トリビュートの社訓でもあり意思と言っても過言では無い。


 賞賛などの意味を持つ社名はこのアフガンで生活する人間であれば知らない者はいないだろう。


 この国は報復の連鎖に加わった危険な国の一つだった。それ故に我らが自由の国アメリカは指揮系統が復旧してすぐに風前の灯火だった各国の民間軍事会社を頼った。


 依頼内容はアフガニスタンの監視。彼等がもう二度と聖戦ジハードを起こさないように二十四時間体制で監視しろ。それが依頼主クライアントたっての希望。


 ここでいう依頼主は当然彼等。この地も平和の導き手ピースメーカーの監視が行き届いている。


 わたしは昼夜を問わず電脳世界ネットに潜り、戦争の残り香を探す。面白い事に、そんな香りはわたしがこの地に来てからというもの何処にも匂わない。


 しかしそれは突然起こった。一瞬のうちに。


 これまでどこに隠していたのか分からないこの国の暴力的な意思が、わたしや同僚に襲い掛かったのだ。


 ジェロニモを忘れるな。


 それが彼等エネミーの犯行声明だった。これまで何一つ不自由せず、且つ自由気ままに生きてきたこの地で、わたしは初めて生命の危機に直面したのである。


 犯行はストリートチルドレンにより行われたもので、目標はCIA、中央情報局のお偉いさん達だったらしく、わたし達は偶々巻き込まれたのだ。


 平和にあぐらをかき世界がどれ程危険か忘れた頃に必ず事件は起こるもので、今日は九月十一日。


 数百年前の今日は同時多発テロ《セプテンバー・イレブン》が起こった日。まるで示し合わせたかの様に起こったこの襲撃は、マーフィーの法則が年々内包し続けている哀愁や、ユーモアの欠片もなかった。


 世界貿易センターの高層ビルにハイジャックされた旅客機が突っ込んだ日。


 国民が久しく忘れかけていた報復心を思い出した日。


 そんな日にジェロニモを忘れるな、だ。民間軍事会社にいるわたしでさえ勘づく直接的な宣戦布告。


「小さい時に死人が歩き廻る映画を観たわ。とても怖かった」


 映画好きな彼女は食事の時大体自分の観てきた映画の話をしてくれる。わたしが頼まなくても話してくれる親切な人。


「なんで死人が歩き回れるのよ、そんな事あり得ないでしょ?」


 わたしは大人になるにつれて学んだ事がある。その中の一つが無知を装う事だ。これは相手が自分自身を魅力的だと勘違いしている程効果的なコミュニケーション能力であり、人に対して心を浪費することが無いとてもエコロジーで且つスマートな情報収集技術でもある。


「決まってるでしょ?それは……」


 映画スクリーンの中だからよと、わたしの眼の前で肉体を焼かれながら彷徨い続けている同僚は言った。


 この被害、ストリートチルドレンが何者かに渡された爆弾がどれ程の物だったのかはおおよそ想像がつく。


 幸いわたしは丸焦げになった彼女やウェイター、他のお客さんに守られたようで膝を擦りむく程度で済んだ。


 トリビュートに連絡し、救援を要請した。



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