荒廃のマギカ
ジョーケン
第1話 荒れた世界で
もう朧気にしか覚えていないが、唯一思い出せるのは母親に愛されていたことだった。
その中でも不思議とその会話だけは鮮明に思い出せた。
まだジュニアハイスクールに通って間もないダレル・コーバックは、周りの大人がいう神様という存在がどうにも信じられなかった。なにせあったこともない人物なのだから。だがダレルが「どんな人なの?」と質問を投げかけるとこぞって大人は「素晴らしい人さ」としか返さない。
そのあとに神が人を助けたエピソードを学校で教えられた。しかしそれにしたって、とダレルは首を傾げる。クラスメイトのウィルくんが友達をいじめから救って、大人たちから称賛されていたこと。しかし裏ではえらい父親の力を使って、自分の行った万引きなどの事件をもみ消していたこと。本当にその人がいい人かどうか会ってみなければわからないだろう。
その日も純粋な疑問を教師に投げかけた結果、こっぴどくしかられて帰宅した。母親は仕事の合間に一時帰宅して洗濯物を片付けていた。
「ねぇ、ママ」
「なに、ダレル。お母さん今忙しくて。この後も小説の取材に行かなきゃならないし。ああ、夕食は冷蔵庫の中に入れてあるからマリーの分もレンジで温めて出してあげてね。お兄ちゃんなんだからしっかり見てあげて」
「うん。……ねぇ、ママ。ママは神様って信じる?」
母親は洗濯を畳む手を止めると、ダレルの方を向いた。
「それは、難しい質問ね。またスクールで怒られたの?」
「うん。神様を信じないやつはいけない子だって言われた。ボクっていけない子なの?」
ダレル自身は何気なく話したつもりだったが、いざいけない子、と自分の口から言葉を出すと少し喉の奥が痛くなった。母親はダレル、と名前を呼んで前まで歩み寄るとダレルの頭を優しく撫でた。
「いいことを教えてあげるわ。神様っていうのはね、たくさんいるのよ。世界中いろんなところにね」
「え、でも学校じゃあ一人だって言ってたよ」
「ええ、この国じゃそう言ってるわね。こんなこと言っているとまた編集さんとか団体に怒られるかしら。そうね、例えば――」
母親は苦笑いを浮かべるとテーブルにあった花瓶を手に取った。花瓶には一輪、華が生けられていた。名前は知らないが、かわいらしい小ぶりなピンクの花だった。
「この花がどうかしたの?」
「これも神様よ。これだけじゃないわ。木も、水も、空気だって神様よ」
「空気も?」
神様が自分の中を行き来していると考えると少し気味が悪くなった。ダレルがとっさに口をふさぐと、母親は笑いを浮かべた。
「大丈夫、神様とはいっても何もしないから。学問の視点から神様っていうのを語るとね。人は昔からいろいろな物を信じてきたの。小麦がいっぱいできますようにって太陽にお祈りをささげたり、川が氾濫したら鎮まるように川に祈りをささげたりね。怖くて恐ろしくて、でも自分たちに恵みを与えてくれるもの。それが神様。人っていうのはどうしても物語を創るのが好きだからいろいろ脚色したがるけど、本質は自分のお願い事をかなえてくれたりよくしてくれる存在を神様って呼んでいるの。始まりは古代メソポタミアより以前に――と、まただわ。ごめんねダレル」
「うん、いいよ。ママの話はいつも難しくてよくわかんないけど、すごく大事なことを話してくれるってのはわかるよ」
「いい子ね、ダレル。そうね、質問の答えだけど」
ダレルの頬にキスをすると、母親は微笑んだ。
「私は信じているわ。とってもいい子なダレルやマリーが元気に育ってくれるよう見守ってくれてるって。でもいなくたって構わない。お母さんが一番信じているのはダレルとマリーだもの」
ダレルは母親の言葉にはにかむと、嫌な気分がすっとどこかへ行ってしまうのを感じた。
そこで記憶が途切れる。フィルムが飛ぶように断片的な情景のみになる。
テレビから地震のニュースが流れてきた。あっという間に自分の家も揺れた。
母親が倒れるタンスから自分と妹をかばった。母親の笑顔。頭から流れる血の色。匂い。
愛した母親の死が、ダレル・コーバックの終わりであり始まりだった。
災害から四十年後。ワシントンDCの一角。
街の空は相変わらずの曇天模様だった。道を歩く人々は憂鬱そうな表情を浮かべては腹を空かせて喘いでいる。
その街角の一角。古びて今にも倒壊しそうなアパートメントの一室に男は住んでいる。室内は物であふれており、いたるところに衣服や食器、一見すると何に使うかわからないような道具類などもあふれていた。
その中で男・ダレル・コーバックはよれよれのワイシャツとジーンズでソファにねそべっていた。散乱した部屋の中で、唯一ソファだけがきれいだった。
瞳を閉じて規則的に吐息をはいていたダレルだったが、目を開ける。テーブルに無造作に置かれた銃を手に取ると玄関のほうへ駆け寄る。息を殺し、気配をうかがっていると一人の男性の声がした。
「ダレル、いるんだろう! ダレル!」
低いバリトンボイス。やや怒気を含んだ声は耳障りなベル音と共に響く。
ダレルは声の主を確認すると緊張を解き、わざわざ出るのは面倒とばかりに、銃を腰のホルスターへ直してソファへと戻った。
鳴りやまないベル音が数回したところで、隣室から一匹のコーギー犬が駆けてくる。犬は器用にゴミ山を潜り抜けると、玄関のドアノブを回してドアを開ける。
玄関から現れたのは、三十と少しの年齢の黒人。その後ろからは、深紅のドレスを身に纏った縫い跡だらけの美女だった。黒人は簡素な茶色のジャケット、白タートルネック、ジーンズ、黒のコンバットブーツに身を包んでおり、ジャケットの上からでもわかるほど筋骨隆々としている。黒人男性は呆れた様子で室内へと入ってきた。
「ありがとう、ジェシー。ほんとお前はできる女だよ。このクズなおっさんよりかよっぽど上等だ」
「おい、マイク。入って来て早々小言か。獣好きならデミヒューマンストリートにでも行け」
「うるせぇ! この前お前に貸した護符代がまだなんだよ。てめぇいい加減にしねえとぶっ殺して俺の使役ゾンビにすんぞ! この前はぐれの魔術師殺してきたんじゃねーのか?」
「あぁ、あれか。飲み代に消えちまった……ああ、待て待て。冗談だ」
黒人の後ろに控える美女が一歩不穏な空気で出てきたところを手で制す。こちらもジェシーと呼ばれた犬が吠えて唸る。ダレルは肩をすくめて、近くのゴミ山をかき分けると重厚な金庫を探り当てた。
『秘するところに財産ありき――フェオ』
ダレルが金庫の扉に「F」がひしゃげたような文字を三つ描く。すると金庫からカチリと子気味いい音がした。扉を開け、中から出した封筒を無造作にマイクへ投げた。
「いつ見てもチャチな防犯だな。簡単に解呪できそうじゃねえか」
「開けたとき火だるまになりたくなかったらやめておけ。しめて一万五千ドルだ」
マイクは封筒の中身を確認すると首を傾げた。
「あん? いや五千でよかったんだが……。あぁ、もしかしてこの前の魔術師でなんかあったのか。やたら強かったらしいじゃねえか。なんでもゲーティア崩れのやつとか」
「ああ、魔神は呼べない程度で惑星の護符しかつかえん奴だったがな。とりあえず依頼はそいつを始末してこいってもんだったから無事やってきたんだが……どうも臭ってな」
ダレルは金庫に再度先ほどと同じ文字を描くと横の冷蔵庫からビンのビールを二つ取り出した。一本はマイクへ投げる。
「あんがとよ。まぁ確かにこの部屋は匂うわなー。おっさんもう少し人間らしい暮らししたらどうだ。なんなら俺のコレクションから飛び切りのかわいこちゃんをメイドとしてよこそうか?」
「お前のネクロフィリアに付き合う趣味はねぇ。そうだな。どうせ貸してくれるなら偵察用のやつを頼む。そいつを捕まえた場所一帯をもう一度調べたくてな」
ダレルの真剣な眼差しに、マイクも態度を正す。
「一つ聞きてェ。そいつはあれか。例の「魔神絡み」か」
ダレルは無言のまま首を縦に振る。マイクは面倒そうに嘆息した。
「まーためんどくさい仕事もってきやがって。そんじゃこいつでどうかね」
マイクがトランクケースから取り出したのは一つの毛玉だった。掌において掲げるとそれは羽を広げ、小さい鳴き声を上げた。
「俺特性の蝙蝠ゾンビだ。エコーロケーションで広範囲にわたって人体の反応や妖魔がいるか調べられる。何かいた場合は声で知らせる。まぁ戦闘はできんし、燃費は悪いが探索ならお手のもんだぜ」
「おう、それで構わん」
ジェシーが蝙蝠ゾンビを口にくわえて受け取る。ダレルはビールを一口にあおると玄関近くのコートハンガーから薄汚れた灰色のコートをとって羽織る。
「なんなら手伝うか? 報酬は払えるかわからんけどな」
「冗談。得体のしれない件に首つっこむほど死にたがりでもないんでな」
マイクが美女と共に要は済んだと部屋を後にする。続いてダレルも、装備を確認するとジェシーと共に部屋を出た。
ワシントンDCの街並みは災害から四十年がたち、だいぶ様変わりしていた。「復興」といえるかもしれないが、正確には「再構築」と云ったほうが正しい。ワシントンDCはもともとアメリカがしっかりと国の体裁を保っていた頃、どの州にも属さない独立した地区だった。多くの組織の本部がここに設けられていたが、それは40年経った今でも変わらない。世界中の博物館を統括するスミソニアン協会を初めとして前時代から続く利権がこの町を統治している。ただ、どこにも属せない「はぐれ者」が集まるようになったのは皮肉なことだった。
メインストリートには活気があり、立ち並ぶ店や屋台からはいい香りがする。中には怪しげな呪い屋の看板を掲げた店もみかけた。
そうした通りを抜けて一本道を逸れる。少し道を逸れただけで人影はぐっと減る。目にするのは貧困にあえぐ浮浪者や腹をすかせたストリートチルドレン。彼らは雨風をしのぐように、倒壊して放置された建物で身を潜めていた。ダレルは彼らの視線を感じつつも歩みを進める。後からジェシーがとてとてとついてくる。2ブロックほど進んだ先の一件の建物へと入った。以前は病院だったと思われるそこは見る影もない。玄関に掲げられた蛇が巻き付いた杖のマークは黒く焦げていた。
屋内は、差し込む夕日で赤く染められている。それでも暗がりが多く、なにかが潜んでいてもおかしくないと思わせた。ガラス片やガレキを避けながら、懐から蝙蝠型のゾンビを持ち出す。蝙蝠は立ちどころに翼を広げるとどこかへと飛び去って行った。
「ジェシー、お前も頼む。何かあれば吠えて知らせろ。いいな?」
ジェシーは小さく一鳴きすると蝙蝠とは別方向に駆け出して行った。ダレルは腰のホルスターから自働拳銃を一挺取り出す。武骨な黒い拳銃。使いやすさのみを追求したようなフォルムだ。一目で改造されているとわかるが、グリップ部分に描かれた「U」を反転したような模様が特徴的だった。
『暗がりに夜明けを――カノ』
自身の額に「く」を反転したような文字を描く。簡単な暗視の魔術をかけると、ダレルは深呼吸を一回して歩みを進める。
屋内は災害の凄まじさが伺い知れた。そこかしこで火の手があがったためか、黒い焦げ跡がいくつもある。イスや窓が叩き割れ、あたり一面が荒れていた。瓦礫に混じって人の大きさほどの白い骨がいくつも見える。どうにもならずに放って置かれたか、はたまた食うに困ってのたれ死んだか。骨を一瞥しつつ歩いていく。するとパキリと乾いた音がした。足を退けると白い小さな骨を踏んでいた。骨の散乱した場所を見ると、小さい骸骨が大きい骸骨の足もとで崩れていた。得も言われぬ苛立ちが募り、舌を打つ。
先日ここで悪事を働いていた魔術師のことを思い出す。七十二もの魔神を使役すると名高いゲーティアの魔術、その基礎となる惑星の力を得る惑星魔術の使い手だった。自身の力量のなさを憂いてか半端にブードゥー教の術もかじっていたらしく複雑に混ざった術式には手を焼いた。比喩でなく実際に焼かれた手がひりひりと痛む。軟膏で治癒しているとはいえ昨日今日で回復するような傷ではなかった。
全く、イラつく。そんなことを思いながら何か痕跡がないか注意深く見ていると見慣れぬものがあった。カバンだ。それもまだ真新しい。カバンにはかわいいマスコットと、名前だろうか。日本の漢字が見られた。
「……なんだ?」
学校は遠く離れた旧ニューヨーク州にしかないはずだ。世界的に見ればいくつかはあるがそんなものは例外だろう。見慣れないカバンに眉をひそめていると、遠くから犬の遠吠えが聞こえた。次いで女性のような悲鳴も聞こえてきた。
「あっちか!」
軽く舌打ちをしつつ、駆け出す。廊下からフロント、そしてまた廊下を駆けて行く。走りながら拳銃の握りを確かめる。呼吸を整え、意識を戦闘へと持っていく。頭の中では今使用できるだけの呪文をできるだけ思い返す。
ふと気配がした。ジェシーと一人の女性の気配。とっさに銃を構える――が、不思議な光景に「は?」と声が漏れた。
瓦礫の中、一人の少女をジェシーがなめていた。少女は低い身長、幼い容姿を見るとまだ14か15ほどだろうか。きれいに整えられたショットカットや妙に小奇麗なしっかりとした服装をしている。学生服だろうか。顔は東洋系だ。
「あ、あのワンコさんやめてくださいー!」
「ワン!」
やめないよ!としっぽを振りながら少女をなめていたジェシーは、主人の様子に気づくとダレルまで駆け寄ってワンと一鳴きした。少女の方も気づいたらしく、その手に持った拳銃や男のただならぬ雰囲気に身を縮めていた。
「待て。怪しいものじゃない。仕事でここら一体を調べている。この前はいなかったな。いつここへ来た? 見たところ学生だが魔術連盟の学園から逃げてきたのか?」
矢継ぎ早に繰りだされる質問に、女子はさらに恐れを見せている様子だった。
ダレルは頭をかくと溜息を吐いた。
「あー、名前はなんだ。俺はダレル。こいつはジェシーだ」
ジェシーがワンと一鳴きすると、女子は少し呼吸を整えてから「ミサキ。トーノ・ミサキ」と答えた。
「ミサキ? 聞きなれない名前だな。日系か」
「は、はい日本人です。えっとその銃は一体……」
拳銃に怖がっているのか。ダレルはジェシーに目配せをすると拳銃をホルスターにしまう。いつでも抜き出せるようにストッパーは外しておいた。ジェシーはダレルの意を組んだからかまた瓦礫の山を飛び越えて駆け去った。
「で、質問の答えがまだだが」
「ひあ! あ、ええと。その、その前に一つこちらから質問よろしいでしょうか」
恐る恐るもろ手を挙げて、たどたどしい英語で質問を返してくる。
「なんだ」
「ここ、どこでしょうか」
「は? 病院跡地だが」
「そ、そういう意味じゃなくて……。えっと、『ガイコク』なのかなーとか」
日本語で発音されたガイコク、という言葉はよくわからないが様子があからさまにおかしい。第一、身なりがきれいすぎた。それに見たところなんしかの魔術を収めている様子は見られない。霊気量も一般人レベルだ。
学園に通っているにしては不自然が過ぎた。ダレルは少しばかり逡巡すると、少女に近寄った。
「ひっ」
「怖がるな。用心のためだ。――『その秘するところ、此れなる者を暴け――ペオーズ』」
「コ」が左右反転してひしゃげたような文字を空に描く。しかし反応は見られない。
「ふむ、トラップはなしか」
だとするとなおさら謎が深まる。ダレルは踵を返す。
「『ガイコク』って言葉がイマイチわからんがここはワシントンDCだ。どこのどいつかわからんがここにいると襲われるぞ。早く学園へ帰るんだな」
ミサキはポカンと口を間抜けに開けていた。そして次第にくちをパクパクと開閉しだす。打ち上げられた魚みたいだな、とダレルは笑いをこぼす。
「なんですか今の。て、いうかワ、ワシントンDC!? あ、あのそれってアメリカのですよね? え、でもなんでこんなに荒れてるんですか!?」
ワカラナイ、ナンデ!とどうやら日本語で叫んでは慌てふためくミサキに肝を冷やす。とっさに口に手を当ててふさぐ。
「おい! ふざけるのも体外にしろよ。魔術師の端くれなら状況を少しは冷静に把握しようと努めろ」
「んーんー! ま、魔術師ってなんですか。漫画じゃないんですよ。もう、なんなんですかぁ」
泣きそうになっていたミサキだったが視線が止まる。ダレルが視線の先を追うと蝙蝠が返ってきていた。しかしえぐい。体が半分溶けている。相変わらずマイクのセンスはありえないと再確認した。
「き、きもちわるい……おばけぇ」
状況に動転しているためか目を回したミサキは、ふいに脱力する。みたところパニックになって失神したようだ。ダレルは訝しむ。溜息を吐いて頭をかく。
「頭のおかしいガキでも拾ったか。災害後間もないやつみたいなこと……」
はたとミサキの身なりを見る。14かそこらだがそれなりに発育のよい体、まだ幼さの残る顔立ち。妙に身ぎれいな服装。制服にはさきほどのカバンと同じマークが書かれていた。校章だろう。
「とりあえず害はなさそうだが……このままにしておくのも面倒くさいか」
天下のワシントンDC。かなり整備されているとはいえまだ無法地帯の場所も多い。ゴロツキに襲われでもしたらひとたまりもないだろう少女を肩に担ぐと、ダレルは知り合いの場所へと行くことにした。
災害が起こってからというもの宗教施設の需要は高まる一方だ。単純に祈りをささげ、神に助けを求める者もいるが多くの場合はそこが「安全地帯」だからだった。
ダレルはミサキの私物らしいカバンを銜えたジェシーを拾ってから、ワシントン大聖堂へと来ていた。日曜でないにもかかわらず多くの人が長椅子に座って祷りささげている。懺悔室には実際に罪を清めてもらおうと列ができていた。多くの者が救いを求めてはここに殺到していた。
その人だかりを避けるようにしてダレルは教会の裏へと入る。迷いなく進んでいくと医務室にたどり着いた。多くのシスターがあちらこちらへ走り回っては患者の応対に追われている。
「マーサ。シスター・マーサはいるか!」
「なんです騒々しい。ああ、ダレルさんですか」
ダレルの声に一人の老婆が出てきた。顔のしわが多い、穏和そうなシスターはエプロンをつけて笑みを浮かべていた。ジェシーもしっぽを振っている。
「あら、その子は? また拾ってきたの? 今度の子は毛むくじゃらじゃないのね」
「またとはなんだ。例の病院跡地にいてな。放って置くと寝覚めが悪いんで拾ってきただけだ」
ダレルが肩からミサキをベッドの上に下ろして頬を軽くたたく。シスターが「乱暴ね」とたしなめる。しだいに少女が目を開けた。
「ん――ここは?」
「安心しろミサキ。ここは教会だ。この女性はマーサ。シスター長だ」
「よろしくね、ミサキ」
ミサキはぼーっとした目で見渡す。次第に意識がはっきりしてくると目を見開いた。
「あ、はい、私化け物を見て。ってここどこでしょう。すごい人……。教会にこんなに人が入ってるの初めて見ました。あ、なにか映画の撮影とかですか?」
マーサとダレルは顔を見合わると、マーサが優しげな表情で口を開いた。
「ミサキ、何か覚えていることはある? あの病院にいた前のことよ?」
「ええ、と。病院の前……。いつもみたいに学校から帰って、親の神社の手伝いをしてたんです。お祭りが近かったから。準備をしてて――」
すると表情が曇り、ミサキの顔がさっと青ざめた。体が震え、瞳の焦点がぶれる。手で口を覆う。思い出してはいけない記憶を探り当ててしまった。「お父さん、お母さん」と、日本語だろう。言葉が零れ落ちた
ダレルはその表情をみて、ああと腑に落ちるものがあった。
ダレルはミサキと目線を合わせるようしゃがみ込むと、ミサキの頭を撫でる。ミサキは嗚咽を漏らしながら、つぶやく。
「お父さんとかお母さんが……。魔法使いのようなローブを来た人に。その人がお祭りに来た人たちを、でっかい悪魔みたいな、やつで。気づいたら」
ミサキは涙をししどに流す。涙を見せるのが好きではないのか、必死に制服の袖口で拭うが涙はとめどなく流れる。
ふいにミサキはあたりを見渡すとベッドから降りて自分のカバンをあさり出す。すると、中からきれいなスマートフォンを出した。電源をつけ、写真を出す。
「この人です」
まだ動く機械を持っていることも驚きだが、ダレルは目を見開いた。長年探し求めてきた目当ての人物がそこにはいた。
「……因果だな。くそったれめ」
ダレルが舌打ちをすると、マーサがダレルの頭をはたいた。マーサは努めて冷静に笑顔を絶やさずにミサキの手を握る。
「ありがとう。それは大事に直しておきなさい。大変だったわね。でも大丈夫よ。ここには危ない人なんかいないわ。この坊やはやんちゃだけど根はやさしい子だから」
「やかましい。というか坊やはやめろ。俺はもう今年で45だ」
ミサキが涙をぬぐうと鼻をすすりながら手を挙げた。
「え、えっとあの。私からも質問いいですか? ここ、ダレルさんからワシントンDCって聞いたんですけれどすごい荒れてるじゃないですか。なにか地震とかあったんですか?」
マーサは少し俯き、そうねと一旦言葉を置く。何を話すべきか、何から語るべきか。慎重に言葉を選んでいるようだった。そしてマーサはミサキの頭を撫でると語り始めた。
「そうね、ひどい地震だったわ。『世界的』にね。世界はいろいろと変わってしまった。一番以前と変わったのは――『魔術』かしらね」
ある日、世界同時多発的にプレートの移動による大地震が発生した。「地震」と形容することすら憚れる。人によっては「天変地異」「旧約聖書の再来」と言った。とにもかくにも世界では類を見ない災害によって多くの人々が死んだ。まず、これが最初に起きた異変だった。
地震発生の数年前から予兆を察知していた人々はその培ってきた技術と蓄えによってなんとか危機を回避しようと努める。生き残った人々は、なんとか再興を図ろうとした。しかし神か、悪魔か。まるで人類が増えることを阻むように次の災害が起こった。
妖魔の登場だ。空想上の生物でしかなかった者たち。ドラゴン、妖精、妖怪、UMA。果ては天使や悪魔なども現れた。それらはパワースポットや都市伝説に語られるような場所から現れては人を襲っていく。もちろん人に友好的な者たちもいたが、区別などつきようもない。この時点で人類の総人口は半分以下にまで落ち込んでいた。
人類は火器によって応戦するが、パワースポット周辺では化け物は異常な回復力を見せていた。次第に追い詰められていく人々。中には宗教施設に逃げ込む人々もいた。なにせ化け物の襲来だ。悪魔退治や化け物調伏を旨とする宗教は多い。しかしこの世界に魔術や悪魔払いなどは存在しなかった。所謂それらは人の空想の産物でしかなく、所詮は紛い物だったからだ。それでも縋るしかなかった。人々は、ただ一心に信じることで救われようとした。
そんな中、大英図書館で一人の青年が一冊の本を手に取る。彼はメイザースという名前だった。作家を志す彼は図書館にこもって、文献をあさっていた。これではまるで神話の出来事ではないか。何か打開策はないか。しかし化け物は大英図書館に入り込み、青年を襲う。
そこで彼を救ったのがかの魔術書「ソロモンの鍵」だった。鍵は目覚めの時だとばかりに、彼に力を与えた。尋常ならざる魔神の召喚。これがおそらく人類が最初に手にした本当の魔術だった。
それを皮切りに、世界では不思議な現象が確認される。聖書の聖句で悪魔が身を焦がし、僧侶の念仏で妖怪が息絶える。銀の弾丸が妖魔を殺し、神に捧げる武術が化け物を殺した。世界中で反逆の狼煙が上げられ、人々は科学の代わりに「魔術」にすがって、この40年間発展してきた。現在の世界総人口は推定で7億人。およそ災害前の十分の一にまでなっていた。
シスター・マーサが今に至るまでのあらましを話す。ミサキはぼんやりと聞いていたが、にわかには信じがたいらしく困惑していた。しかし、見渡す限りの救いを求める人の声、表情、熱量がその言葉の真実味を帯びさせていた。
「国家の体裁は保っているところもあるけれど、多くはなくなってしまったわ。代わりに宗教組織や魔術結社が地域を収めているの。ここアメリカでは世界魔術連盟(IFOM)が統治しているわ。と、ここまでの話だけれど大丈夫かしら」
「え、ええと。わからないことだらけですけれど要は漫画みたいなことになってるってことです、よね?」
「ええ、そうね。ふふ、漫画ね。私も昔よく読んでいたわ。アニメーションも好きでね?」
楽し気に語るマーサだったが、ミサキの手をとって優しく握る。
「私たちは創作のような力を得たけれど登場人物ではないわ。ただの人なの。病気をすれば死んでしまうし、妖魔にだって装備がなければ無力。生きるためには知識を得て、力をつけることが先決よ。どうするかはあなたが決めなさい。ダレル坊や」
「なんだ、マーサばあさん」
「当面、この子はあなたが保護なさい」
ダレルはマーサの提案に「は?」と間抜けな声を出した。抗議しようと口を開けるが、マーサが人差し指を突きつけて黙らせる。
「いいこと? 信じる、ということは簡単なことではないわ。あなたも最初はそうだったでしょう? 魔術なんて、神なんてと鼻で笑ったはずよ。この子には時間が必要なの。それにこの子の話、あなたにも関係してそうじゃない?」
ダレルは息をつめてミサキを見る。ミサキは不安そうな表情を浮かべてはいるが。縋りつくような目はしていなかった。必死に状況を理解しようとしている姿が見て取れた。その姿に――苦い思い出が浮かんできたが、舌打ちと共に吐き捨てた。
「仮に、俺が預かる場合、金はもらえるんだろうな。こりゃ依頼として見るぞ」
「あら、あなたが拾ってきた子よ? 私はただ相談を受けただけの近所のばあさんでしかないわ。必要なものは用意してあげられるかもだけれど」
ダレルは再び舌打ちをして頭をかくと、ミサキの視線に合わせて座った。
「俺と一緒にくるってんなら条件がある。メシも寝床もあるっちゃあるがあるって程度だ。住むんなら最低限の仕事はしてもらう。家事だとか掃除だとかの雑務だ」
ダレルはミサキの目をじっと見つめる。ミサキは目を伏せ、そしていくらか考えた後にかぶりを振った。
「できる限り頑張ります。……ありがとうございます。えっとダレルさん?」
「ダレル・コーバック。ルーン魔術とブードゥー呪術を収めている魔術師だ。
ダレルが所在なさげに目を泳がせる。マーサが後ろでくすくすと笑っていると、一枚のメモを取り出した。
「そうだ。ちょうどいいわ。二人でお買い物に行ってちょうだい? 炊き出しのスープのグ具材が足りないのよ」
ダレルとミサキはマーケットに足を運んだ。ここ四十年ほどで魔術という不可思議な力が出てきたが、商売人までは変わらなかった。半人半獣のヤギ人間がマトンを売って居たり、山高帽を深くかぶった魔女が呪物を売る。店のラインナップは様々で、混沌としていたが皆一様に活気にあふれていた。
マーケットの中を、ミサキはダレルの後についていく。
歩幅が合わず、ミサキが先に行くダレルへと駆け寄ること数回。ダレルの案内のもと一件の野菜売り場までいった。店主は横にも縦にも大きな女性だった。
「はい、いらっしゃい。おやダレルさん。女の子連れかい珍しいねぇ。さぁさなんでもそろってるよ!」
恵比須顔の女店主にミサキは少し微笑む。ミサキはメモをポケットから取り出すとたどたどし英語で読み上げる。
「オニオン五キロに、ガーリック一キロ、ブロッコリー1キロ、コンソメが2キロ」
「あいよ! しかし嬢ちゃん英語が達者じゃないって最近こっちのほうに来たのかい? 私の息子も特高に行っててねぇ。もう二年生になるかね。たまに手紙よこすくらいでほんとしっかりやってるんだか」
嬉しそうに女店主は話し出す。「トッコウ」と日本語に聞こえた。
「トッコウ?ですか?」
「なんだい。特高生じゃないのかい。日本の特別退魔高等学校だよ。はるか海を渡っていかなきゃならんけれど今の日本ほど安心な国もないからね。ま、メシはこっちのがうまいけどね!」
女店主はどっさりと野菜の入れられた籠を持ってくる。見たところりんごやバナナといった果物も見て取れる。女店主がミサキに「おまけだよ」と小声で教えてくれた。籠にはなにやら羽の生えた靴のマークが描かれていた。ダレルは女店主に札束で金を払うと、いとも籠を簡単に背負いあげる。
「お、重くないんですか?」
「あ? ああ、重さを和らげる魔術がかかってるからな。そこまでだ。んじゃおつかいも終わったし今度は俺の野暮用に付き合ってもらうぞ」
ダレルは籠を背負いなおすとさらにマーケットを奥へと進んだ。ミサキがはぐれないようにぴたりと横につく。
「なんだか、イメージと違いますね。もっと怖いのかと」
「ああ、ここらはメインストリートだからな。曲がりなりにも大聖堂の近くだし、合法的なものしか売ってねえのさ。活気もある。商売の約束事は連盟の規約、ゲッシュって契約書で定められててな。破れば即・呪詛が発動して、まぁ商売ができなくなるみたいだぜ」
具体的にどうなるか、聞くのが怖くなったのかミサキは身を縮めた。ダレルはそんなミサキの様子を見ながら通りを歩く。
「案外お前図太いな。もっと混乱するかと思った」
「あ、えっと。たぶん混乱はしてます。なんだか夢の中にいるみたいにぼーっとしてて。現実味がないからですかね」
苦笑を浮かべるミサキだったが、彼女の言葉が正しければ親が死んで数時間といったところだろう。ダレルは気まずさを感じつつ、歩みを進める。
「説明することは多い。言葉で語ってもその頭じゃろくに覚えられんだろ。だから、見て感じて覚えてもらう。いいか」
「……できる限りやります」
「上等だ」
ふとダレルの足が止まった。目の前には一件の屋台がみられた。どでかいテントが見て取れる。看板が立てられており「マイクのゾンビファクトリー」という文字がおどろおどろしいフォントで書かれていた。
「ゾ、ゾンビ?」
「ただのネクロフィリアの変態がやってるダンスクラブだ。さっきの蝙蝠もこいつの作品だ。えぐいし、気持ち悪いが信頼は置ける。あいつにはいうんじゃねえぞ」
ダレルがテントの入り口をくぐる。ミサキがぴったりと後についてダレルのコート端を持った。薄暗い中に入ると古臭いディスコミュージックが流れている。中はミサキが外から見たよりもかなり広く感じた。どこからかスモークが焚かれており、淡いピンクの光が立ち込める。そして多くの人が踊っていた。女性、男性、みるからに人でない風体の人もいる。むせかえるようなナニカの匂いにミサキは体を縮める。
「声をかけられても返事するな。ひたすら無表情で俺にそって歩き続けろ。簡単な隠形術になる。しっかりついてこいよ。あと俺のコート握るな。伸びるだろうが」
ミサキは涙目でぶんぶんと被りを振るとダレルのコートをぎゅっと握りしめる。ダレルは振りほどこうとするが、ミサキが本気らしくほどける様子はなかった。
「ついてこい」
人だかりをかき分けて進んでいく。酒を飲み、ドラッグでもやっているのだろうか。半狂乱で騒ぐ人々がそこかしこにいる。彼らは一様にはしゃいでいる。歌い、食べ、笑い、踊る。ただそれだけを繰り返していた。
ミサキは必死にダレルの後についていく。すると、その間を割って入るように女性が横切った。体中にタトゥーが彫られており、表情はサングラスでわからない。ミサキは息をのんで思わずコートから手を放してしまった。が、さきほどのダレルが言っていた隠形術のおかげか女はミサキを一瞥もすることなく通り過ぎる。ミサキは女を避けながらダレルを追いかけようとして、ふと女の手に当たった。見ると、背中だった。女の背中から幾つもの手が生えていた。
「ひっ!」
ミサキが悲鳴を上げる。女が首を文字通り「回して」ミサキに振り返った。
「あら、かわいい子ね。新入りさんかしら。お姉さんと遊ばない?」
手がうねり、ミサキに伸びる。ミサキは失神しそうになる意識をとどめるのが精いっぱいだった。なんとか声をあげようとするが、なぜか声が出ない。
「大丈夫。お姉さんがイイコト教えてあげるから。安心しなさい」
女の言葉、一言一句が彼女の浸透していく。頭がだんだんとぼんやりし、頬が熱を帯びてくる。ダレルを探さなくては、と頭では必死に考えていたが次第にその意識も薄れていた。
このお姉さんについていったほうがいい、と考えが浮かぶがふいに自身の肩へ武骨な男性の手が置かれた。薄れていた意識が急に覚醒する。みるとダレルが厳しい表情で女を睨み付けていた。
「おい、そいつはおれのツレだ。手を出すな」
「あら、ダレル・コーバック。薄汚いおっさんの所有物だったのね。これは失礼」
女はダレルを一瞥した後、人ごみに紛れて去っていった。ダレルはミサキの頭をはたくと手を握って先導し始めた。
「あ、あのダレルさん。ごめんなさい。私」
「説教はまた後だ。着いたぞ」
ダレルが最奥につく。重厚な扉があり、扉の両脇にいかつい男性が二人たっている。いずれもつぎはぎだらけであり、人とは思えない体の色をしていた。一目見てそこから先はさらに危険だということはミサキにも感じられた。
ダレルは男たちに物怖じすることなく見上げる。
「マイクに用がある。ダレル・コーバックだ。後ろのガキも一緒だ」
屈強な男たちはダレルを一目見るとこくりと頷いて通す。ミサキが後に続く。今度ははぐれないようしっかり手を握りしめた。
中へ入るにつれて匂いがきつくなっていく。ハッカのような、ミントのような香り。そして生臭い魚のような臭いもした。
屋内では脇に西洋人形のようにきれいな美女を連れた黒人――マイクがソファに座っていた。マイクはダレルたちをみるとぷっといきなり噴き出した。
「おいおい、なんだ。ダレルいつの間に託児所まで始めたんだ? ああ、それかいきなりペドフィリアに目覚めたか。ペドはよくないぜぇ?」
「わ、私は十五歳、です」
「おっとこりゃすまんねレディ? でもここはお上品なファミリーレストランじゃないんだ。おわかりかな?」
「うるせぇぞマイク。茶化すなら蝙蝠をローストして返すぞ」
ダレルはミサキから手を放す。懐から毛玉状になった蝙蝠を出すとマイクへ投げて渡した。おいおい、冗談だってとマイクは受け取るなりやりと不敵に笑った。
「ま、久しぶりに純情そうなお嬢ちゃんに会えたんでね。少し遊びたくなったのさ。それでお二人はどういうご関係で?」
「ただの雇用関係だ。病院跡地で見つけてな。ミサキ、さっきの写真をコイツにみせてやってくれ」
「あ、はい」
ミサキはカバンの中から先ほどと同じようにスマートフォンで画像を見せた。マイクは物珍しそうにまじまじと見る。
「へぇ、こいつは驚きだな。そいつが噂に聞くスマートフォンかい。はぁん、そんな板っきれで地球の裏側まで話せたんだからすげなぁ。と、話がそれたな。写真の人物もやべぇな。『最初の魔術師』『現代のソロモン王』と名高かったアフロディ・メイザースじゃねえか。しかし六十一歳にしてはやけに若いなオイ。お嬢ちゃん、どこでこれを撮った?」
「えっと、日本の出雲です。自分の神社のお祭りでこれを」
「はぁ? 日本だぁ? やつめなんでそんなところに化けて出たんだ」
マイクは心底不思議そうにする。傍らの女性の肌をさすりながら物思いにふけっていた。いろいろ触るため目によくない。ミサキは顔を少し赤らめて視線をそらした。
「ふーむ、しかしおかしいじゃねえか。奴さん数年前に死んだとか聞いたぜ。自分の召喚した魔神に食い殺されたとかでよ。幽霊にしちゃ生き生きとしてるな」
「ああ。実際にミサキの目の前で魔神を召喚してみせたらしい。そもそもコイツが撮られたのはついさっきだ」
マイクは首を傾げ、眉を上げる。ミサキをまじまじと見つめるとさらに眉間にしわを寄せた。
「よくお嬢ちゃんが生き残れたな」
「そもそも――四十年前から飛ばしたんだとよ。かのメイザースが「見つけた」といってコイツだけな。こいつの周りにいた一般人は皆殺しにしてだ」
マイクは唖然としていたが、次第にくつくつと笑いだした。
「ハッハ! いやぁこりゃ愉快だなオイ。じゃあ何か。あのメイザースのじじいは時間を超えて若作りしてこのレディをここへとばしたってか?」
マイクは皮肉って笑っていたが、ダレルの顔を見ると顎に手を当ててしばし考える。時間にして数秒ほど。ダレルへ視線を移した。
「ダレル。どこまでわかってる」
「まだ何も。ただ俺の勘じゃアタリだ」
マイクは楽し気に手を揉み合わせると立ち上がった。
「お前の勘なら信用できるな。魔術師たるもの霊感には従えってな! ようし、楽しくなってきやがったぜ。くそったれな魔術連盟の連中を出し抜ける。よし、とりあえず情報収集だな。ゴエティア連中を洗いざらい調べてみるぜ」
「ああ、頼む。あとこいつにあった装備を見繕ってほしい。おい、ミサキ。お前なんか武術とかやってたか。カラテとか」
「あ、古武術で剣術なら少し……。でも私てんでダメで」
マイクはOKと楽し気に笑うとソファの後ろへと回った。大きなトランクケースを持ち出すと中を開ける。中にはぎっしりと武器が入っていた。
「かわいこちゃんになら出血大サービスだ。出血するのは横のおっさんだがな。で、だ。やってたんなら話は早い。こいつをくれてやる」
マイクが取り出したのは小ぶりなカタナだった。ミサキに手渡す。小さいながらも刃物だと確かに感じる重さだった。
「とびっきり業物のカタナだ。ハチヤナガミツ? だったか。オークションにかけたら数万ドルはするぜ?」
「す、すうまんどる…!」
数万ドルという金額の重みと刃物を持っているという危機感に、ミサキの手は震えていた。
「わ、私こんな武器だなんて……!」
「なぁに護身さ。ミサキ。人間てのはな、すんばらしいものを作り上げた。「加工技術」と「武術」だ。いいかこの二つは人間が築き上げてきた文化の中で一等素晴らしいものだ。魔術による武器の加工技術は、俺らに戦う力を与えてくれる。武術は単純な戦闘において有効なだけじゃない。術を組み込み化け物どもを殺すうえで戦術を練りやすい。例えばだがこのダレルなんかはかなりやるぜ?」
ミサキは目をしばたいて横のダレルを見る。一見するとただの中年男だ。それなりに整えれば渋いと言えなくもないが、ミサキの年齢からすれば父親のようなもの。首を傾げたミサキに対して、マイクは笑いダレルはむすっと顔をしかめた。
「まぁ戦いが嫌いってんでもいいが護身てのはこの時代大事さ。術についてはおっさんに仕込んでもらいな。ちなみに刀は聖別済みだ。ルーンの加工をするならおっさんに頼みな。ただ現時点でもこれだけ威力がある」
マイクが息を整えて、壁際に控えた屈強な男へとカタナを向けた。
『払え給え清め給え。掛巻も畏き産霊之大神達の奇しき神霊に依りて風の神志那津比古之志那津比賣之命へ畏み畏み申す』
流暢な日本で紡ぎ出される祝詞。唱え終わる途端、マイクがカタナを振りかぶる。不可視の刃は壁際に立っていた屈強な男の頭に当たった。瞬く間に、男の頭がざくろめいて破裂した。あたりには腐臭が漂う。
「おっと、威力高すぎたか。ま、いいや。ご覧のとおり威力はお墨付きだ。どうだい?」
してやったりと得意げな表情でマイクが振り返ると、ミサキが見当たらない。床に視線を落とすと泡を吹いて倒れるミサキがいた。マイクは肩眉を上げてダレルを見た。
「威力の調整がいるみたいだな」
「ああ、護身で殺人されたんじゃ困るからな」
ダレルはカタナをカバンにしまう。ミサキの頬をぺちぺちとたたくが起きないことを悟ると肩に担いだ。代金をマイクの机の上に置く。かなりの金額だった。
「にしてもダレルさんよ。お前が女と一緒とはね。ハズレかもしらんぜ?」
「その時はそのときだ。コイツには精々頑張ってもらう。……あの野郎を殺したいのは俺もだからな」
「ま、奴さんに会ったらよろしく頼むぜ」
ダレルは片手を上げて返事すると、再びディスコサウンドの流れるフロアへ戻っていった。
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