第7話 ワシントン・サブウェイ(2)

 ダレル・コーバック。メリー・アンダーソン。キャロル・マックウィン。

 この三名は魔術連盟の対魔術師部隊で名を馳せていた。

 ダレルはブードゥーシャーマンを師に持つルーン使いとして、戦場で臨機応変に戦術を変える。広範囲に渡る結界術、仮死状態に相手を追い込む呪詛、ルーンによる弾丸への多彩なエンチャント。おおよそ大柄な体からは想像しにくい、繊細な作戦を立てる。

 メリー・アンダーソンは災害後に増えた吸血鬼ヴァンパイアの種族だった。霊脈の影響で変質した体は、ただの運動能力だけでも真人間とは一線を画す。彼女の操るナイフ術は悪魔ですら容易く切り裂いた。

 そして、キャロル・マックウィン。スラム出身の彼女は悪辣な環境で生きてきたにも関わらず気力に溢れていた。彼女の操る祓魔術やカバラといった支援魔術以上に彼女の人柄は部隊のオアシスだった。


 どんな異形が来ても難なく対処してきた。

 現代のソロモン王が無断で強行した魔術儀式を止めるまでは。



 ダレルはメリー達と別れた後、ジョージと一緒に別の区画のホームに降りていた。

どこもかしこも瓦礫の山で、長年放置されてたからか、風化してゴミすら見当たらない。しかし腐臭はどこからか漂ってくる。

 ダレルがあたりを警戒していると、ジョージは口を曲げた。


「この臭い、シェイプシフターの体臭か。相変わらず汚らしいゴミだな」


 吐き捨てるジョージも警戒を怠ってはいない様子だったが、敵を侮っている様子がよくみえた。

 ダレルは面倒なやつを押し付けてくれたもんだと内心メリーに恨み言を吐いてから溜息を吐いた。


「シェイプシフター全般に言えることだが、奴らは銀製品に弱い。百面相の場合は効き目が弱いらしいがな。何か合言葉でも作っておくか」

「ふん、アンタバカか? シェイプシフターは記憶を読み取るんだぞ。合言葉なんて作ったところで意味ない。ボクの錬金術製弾丸なら確実に殺れる。アンタは黙って姐さんの役に立てるよう周囲警戒してろ」

「はぁ……。はいよ」


 ジョージはそういうと二股に分かれた通路で立ち止まる。


「分かれ道か。おい、アンタ。僕は右へ行く。アンタは左だ」

「おい、これ以上別れたらコピーされた時厄介だ。一緒に行動するぞ」


 ダレルの指摘に対して、ジョージはわざとらしく嘲笑した。

 メリーの男の趣味はつくづく悪いこと請け合いだが、今回の男もなかなかにひどい

ようだった。


「別れさせたのは俺らを信用しているからに決まってるだろ。この地下鉄は廃棄されてかなり年月が立ってる。どこでまた通路が崩れてもおかしくない。早めに決着つけるのが先決だ」

「……粋がるのはいいが体外にしとけよ。なら俺の呪符を渡す。どこからでも通信できる代物だ」

「要らないね。というかさ、ボクアンタを信用してないんだよね」


 ジョージは通路の様子をちらりと覗き。誰の気配もしないことを確認するとダレルに詰め寄った。およそ身長185センチあるダレルに対して頭1つ少し小さい。   ジョージがダレルを見上げる形になったが、その目はダレルをしっかりと見ていた。嘲笑も浮かべてはいるが、目には侮蔑の感情が色濃い。


「ボクは女性や女子には優しく努めるのが信条だ。アンタ、あの女の子とどういった関係かは知らないがろくでもないこと考えているなら許さんぞ」

「は? 俺が女児に興奮する変態に見えるか。アイツはただの居候だ。ここに連れてきたのは簡単な護身の訓練のためだ」

「ふぅん、護身ね」


 通路の奥で水の跳ねる音がした。音が反響して判別がつきづらい。二人が瞬時に索敵魔術ダウジングを展開すると右に反応が出た。

 ジョージは手に持つ銃を握りなおすと通路にライトを向ける。

 光の先には何の変哲もない、しかし傷だらけの男性が立っていた。男性は怯えた様子で背を向けて走りだした。


「パッと見でも戦闘慣れしていない女の子に武器を持たせてこんなところに放り込んでる。護身というには嘘が下手すぎるな」

「――考えすぎだ」


 ジョージの訝し気な視線を振り払うように、ダレルが先に駆け出す。ジョージが後に続く。

 二人は通路を駆ける。床にはどこかの水道管から漏れ出た水が流れていた。靴底を濡らす程度の深さしかない。

 ダレルの後ろを走るジョージは、痺れを切らした様子で舌打ちをすると懐から手のひらサイズの直方体の箱を取り出した。


『月よ、その鈍色の光をもって眼前の異形を射し示せ』


 箱を空中に放り投げる。ジョージがライトの光を当てると途端に形を変化させ、細長い針となって走り去る男性へと伸びていく。

 銀色の針は真っすぐに男性へと迫っていき、背中に刺さった。「ギャッ」と小さい鳴き声と共に、男性の肉体から緑色の液体が漏れだす。

 液体の周囲から次第に、皮がはがれていく。皮膚も服も剥がれ落ちると、異形の怪物が現れた。緑色の体を持つ人間。陰部には何もなく、髪もない。ただ人型の緑の人間。異形の化け物。シェイプシフターだった。

 シェイプシフターは背中に刺さった針を抜くと後ずさる。


『ちょっと待ってくれ。俺はただのはぐれだ。悪さなんてしちゃいない。退治屋ハンターだろアンタたち』


 シェイプシフター手を振り、くぐもった声で叫ぶ。必死の弁明に、ダレルとジョージは拳銃を向けて一定の距離を保った。

 ジョージは鼻で笑うと、ライフルを躊躇なく発砲。シェイプシフターの膝を打ちぬいた。化け物は無抵抗に崩れ落ち、膝を抱えている。

 痛みに叫ぼうとしたところを、ダレルは懐から小石を投げて防音の結界を張った。流れる水音が悲鳴を消してはくれるだろうが、音が漏れては困った。


『あ゛ぁ゛あ゛ああ゛!? い、いでぇいでぇよ゛ぉ!』

「ふん、好きなだけ叫ぶといい。ボクの弾丸は良く効くだろう。鉱石から特別に精錬した銀だからな」


 ジョージが指を鳴らすと、銀は再び形を変える。シェイプシフターの背中を刺し貫いたままに、壁へとその怪物を貼り付けにした。人間以上の膂力を持つバケモノだが、苦手な銀製品による拘束、織り込まれている拘束術式によって身動きは取れない。

 シェイプシフターはバケモノとはいえ人間に限りなく近い構造。緑色の顔は目を見開いて恐怖と焦燥感に染まっていた。

 化け物が人間に対しておびえるという奇妙な構図ができていた。


『やめてくれ頼む。行かなきゃならないんだ』

「どこへだ? ターゲットにした人間のところへか? 安心しろバケモノ。今すぐお前にとびっきりの場所に送ってやる」


 ジョージは聞く耳を持たず、シェイプシフターの眼前にライフルを突きつける。シェイプシフターが喉を鳴らし、顔をひきつらせた。

 と、ライフルの銃口をダレルが反らす。壁に深々と銃弾が穿たれ、穴を作った。


「おい、アンタ何を……!」


 ジョージがダレルへと向くと目を見開く。ダレルの持つ拳銃はバケモノではなくジョージを向いていた。ジョージの額から汗が垂れる。きっと目じりを釣り上げ、声を荒げようとするがダレルは引き金に手をかけることで牽制した。


「アンタ、気でも触れたか」

「まぁ、正直どうかしてるとは思うな。安心しな、別段危害は加えねぇよ」


 響く銃声。それは通路に駆けられた魔術によって遮断される。

 呪術による麻酔弾だったが、至近距離から食らっては威力はそれなりにある。勢いよく地面へと転がったジョージは白目を向いて気絶した。それによりシェイプシフターの拘束も解除される。

 シェイプシフターは目の前で繰り広げられた仲間割れに、困惑している。

 ダレルは銃をジョージからシェイプシフターへと向けることなく、そのままホルスターへとしまいこんだ。


『な、何故だ。仲間だったんだろう』

「いや連れの男だ。後で記憶処理するし問題ない。それよりも、お前急いでいる風だったな。どういうことだ」

『……ッ! は、話したところで殺す気だろう』

「いいや、お前にはやってもらいたいことがある。結果次第で報酬もやる。とりあえず急いでいるワケを言え。時間が惜しい」


 全部が全部信用したわけではないだろう。しかし、ダレルの態度に交渉の余地ありと思ったか。シェイプシフターは頷いた。


『……魔術師に追われてここへ逃げ込んだはいいものの仲間とはぐれた。別の魔術師の気配がしたから急いで探してたんだ。探して逃がす手伝いをしてくれ。俺はどうなっても構わない』

「わかった。悪いようにはしない」

『オマエ、なにを企んでいる?』

「なに、ちょっとした仕込みだ。目当ての人間を殺すためのな」


 そう語るダレルの眼は、怪物以上に濁っていた。



 結果は圧倒的だった。

 メリーは引き抜いたマチェットでもって電車の扉を《斬り開く》と中へと踏み込んだ。中では2匹のシェイプシフターが身を小さくして震えていた。

 逃げ場のない車内だったためか、1匹が半ばヤケクソでメリーに襲い掛かる。残る1匹は反対に車外へと逃げ出した。

 メリーは口を歪めて中段にナイフを構える。


『死ね魔術師――!』

「あら、残念。私は魔術師じゃないわよ」


 バケモノの拳はメリーに届くことはなかった。

 代わりに血しぶきと、細切れ肉のブロックになり果てたバケモノがメリーへと降り注ぐ。

 頬にかかった緑色の血をペロリとなめたメリーだったが、嫌悪感丸出しで唾を吐いた。


「うえっ! なにこれまずッ!? はぁ、やっぱ人間以外の血なんて舐めるもんじゃないわ」


 赤に濡れたマチェットを振り、血を払う。

 メリーはゆっくりとした足取りで車外へ出る。ホームでミサキとまだ小柄なシェイプシフターが対峙していた。ミサキは半身になり、手には小太刀を握っている。一見して様にはなっていたが、体が固まっており機敏に対応できそうにはなかった。対照的にシェイプシフターの方は威勢よく唸り声をあげて威嚇している。

 メリーは少し離れた位置から腕を組んで見守ることにした。

 

「ミサキちゃん、踏み込むときはしっかりね。躊躇したらケガするわよ」

「は、はい」


 ミサキが先に仕掛けた。小太刀を上段に掲げての一閃。フォームとしてはきれいだったが、戦闘における緊張からか間合いを図り損ねた。眼前でバックステップしたシェイプシフターに回避されてしまう。

 短く息を吐いて立て続けに刃を振るうミサキ。シェイプシフターは小太刀の持つ魔術的な力を恐れてか。回避に専念していた。


「――ハッ! ハァッ!」

『よくも、お母さんを』


 当たらないことに苛立ちを感じ始めていたミサキへ、シェイプシフターが口を開く。老婆のようにしゃがれた少女のように高い声。ただしその眼はミサキでなくメリーを視ている。電車内をしきりに気にしていた。

 声質も気になるが、それ以上に言葉の意味にミサキは手を止めた。

 バケモノに性別があるということは予想していなかったが、確かに生物である以上は親子はいるのだ。

 仮面をつけかえては幾度となく生き永らえてきたであろうバケモノ親子。その子供に自分は刃を振るっている。考えなく、状況に流されるままに振るっているがこの刃のもたらす結果はなんだ。

 自分は目の前のヒトを殺すのか。

 自分の行う結果を想像して、身がすくんだ。そこを敵が見逃すわけはない。

 子供のシェイプシフターは踵を返して暗闇に姿を紛れこませた。


「あ、ま、まって!」

「はいストップ。一回息を整えましょう。深追いする必要はないわ。母親を殺したとあっては完全に逃げるとは思えないし」

「……私は大丈夫です。すぐに行きましょう」


 荒げた息を深呼吸を数回して整えると、ミサキは額の汗を拭う。

 戦闘以上に、何かを殺すということを意識してか。冷や汗は次から次へと流れる。

 明らかに動揺している。その事実を一旦脇に置いて、頭をクリアにする。

 大丈夫、自分は大丈夫。ほらどうということはない。冷静に、努めて冷静にと暗示をかける。

 ミサキがそうしているとメリーに頭を小突かれた。


「あいたっ。な、なにするんですか」

「ムリしないの」

「べ、別に私っ!」


 反論しようと口を開くが、言葉はのどに詰まって、その先を紡げない。よくよく考えてみれば確かに自分はムリをしている。冷静さを失っている。

 ムリや冷静じゃない、といえばワシントンDCここに来てからずっとだ。

 矢継ぎ早に起こる魔術や、戦闘など。とりあえず状況に置いておかれまい、お世話になっている方々に迷惑をかけられないと考えることを頭の端においやっていた。

 ミサキは軽く深呼吸をするとメリーを見上げる。


「……ごめんなさい。私恐くなって」

「何、気にする必要はないわ。そもそも昨日今日で刃を握ったばかりなんでしょう。そんな娘に戦わせようとしてる時点で私たち大人に責任があるわ」


 メリーはハンカチでミサキの顔に着いた血を拭いながら優しく語る。

 ミサキはメリーの顔を見返すと、彼女の顔にはまだ緑の血しぶきが散っていた。

 バケモノ以上に恐ろしいはず。であるのに、その瞳を見ていると妙な安心感を覚えた。

 誰かに似ているな、と思って記憶の糸を辿ると、一人の女性が思い浮かぶ。


「お母さん?」

「ん?」

「あ、いえその!」


 ミサキの口から出た言葉に、メリーが首を傾げる。ミサキは恥ずかしさを覚えて顔を赤く染めた。メリーの前でぶんぶんを振る。

 小学校時代に、先生をお母さんと言い間違えた時の羞恥心が蘇る。


「うー! あ、えっと。小さい頃のお母さんにメリーさん似てるなって。目がとても優しくて」

「あら、うれしいわねー。ふふ、でもあんまり見すぎると体に毒なの。これでも邪視イーヴル・アイ持ちでね。魅了されちゃうわよ?」


 メリーはミサキの頤をなぞって妖艶にほほ笑む。

 羞恥の種類がシフトしていき、首まで赤くなっているのではと感じる。

 「へあ!?」と間抜けな声を上げるミサキに、メリーは屈託なく笑い声を小さく上げた。


「フフッ、ごめんなさい。あんまりに反応が面白くってつい。冗談よ。私が能力を使わない限り魅了されないわ」

「え、ああもう! 判断のつきにくい冗談はやめてください!」

「ごめんなさいな。でも、そうね。アナタの母親に似てるのか。少しうれしいわ。――ねぇ、ミサキ。もしダレルのところに嫌気がさしたらうちに来てもいいのよ?」

「え」


 突然の申し出。

 ミサキは、また意地の悪い冗談かとも思ったがメリーの真剣な表情から察するに

そうは思えなかった。

 確かに優しいし、強い。ダレルさんと付き合いがあるくらいだからいい人なのだろう。


「ご、ごめんなさい。突然すぎてちょっと……。まだ出会って数時間も経ってませんし」

「それもそうね。でも、予約しておくに越したことはないわ。特にあのダレルバカ、何か企んでいるようだし。……虫が良すぎるついでにもう一つお願いしてもいいかしら」

「はい?」

「ダレルのことお願いね。あいつ女運悪いから」


 そう語るメリーの言葉は優しく、どこか悲しく聞こえる。ミサキは見上げて顔を見た。退治屋の表情の中に隠れるメリーの感情。

 ミサキの経験不足故か。複雑に感情の混ざり合った表情は、メリーが何を思っているかはわからない。

 ただメリーのその眼は遠い先まで見ているようで、とても澄んでいた。

 

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