第8話 ワシントン・サブウェイ(3)
お母さんが殺された。知り合いのおじさんはどこかの魔術師に連れ去られた。
なんとか自分も逃げたはいいものの、正直勝てる見込みがあるとは思えなかった。
息を殺し、奴らの様子を伺う。人間の女が二人。仲睦まじそうに話していた。
一人はお母さんを殺したやつ。背丈が高く、かなり強そうだ。成り代わるにはかなり体力を使いそうだった。
対して、自分を逃がしたやつは成りやすそうではあるが弱そうだ。
自分の移った鏡を見る。緑の体が変色し、次第に肌色になっていく。皮膚が服を作り、そうして自分は「人間の女性の姿」になった。
メリーとミサキは装備を確認してから再度シェイプシフターを探すことにした。
見たところ逃げたシェイプシフターはまだ幼少だが、その膂力は人間を越えている。見た目で侮っては被害は増すだろう。
ミサキはメリーからそう説明を受けていたが、やはり自分は意志ある生き物を殺すことに抵抗があった。
メリーは少し考えてからミサキに一枚の護符を渡す。念話用の護符だった。
通路の脇、に寄り二人して息をひそめる。
『一応念のためね。ふむ、そうね。ダレルの話だと無理に殺す必要もないみたいだし、とりあえずは魔踏でも教えようかしら。相手を踏んづけて身動きを取れなくする技よ。術の構造自体は至極単純。これがなかなかに有用でね。覚えておいて損はないわ』
『それなら、ダレルさんが先日使ってるのを見ました。すごい強い亜人?の子と戦ってて』
『あら、それなら話は早いわね。と、まずは精気を解放しましょうか』
ふぅ、とメリーが半眼になって息を吐く。ただそれだけのことだがミサキは一瞬、メリーを見失った。確かに目の鼻の先にいるのに存在が希薄になっている。集中していないと見失ってしまいそうだった。
目をしばたいて不思議そうに見るミサキに、メリーは苦笑した。
『隠形術よ。気配を消す技ね。気を取り直してやりましょうか。――そもそもすべての術は精気を操作するところから始まるわ。精気操作術は災害後に確立された技術だけれど、それ以前にも気功法だとか名前を変えて使われてきたの』
『えっと、そんなに簡単だと誰でも魔術を使えるんじゃないんですか?』
『そのはずなんだけれど、魔術を使える人は限られている。一つは災害以前から地震の血族に宗教・魔術を収めている者が複数名いること。二つ目は私のような災害後に変異したものよ。ミサキはぱっと見たところ精気量もそれなりにあるようだし、前者かしら?』
『あ、はい。うち神社やってます』
『シントーの家系ね。霊的加護も高いしいいわね』
メリーはミサキのへその下を指さす。
ミサキは少しくすぐったい感覚を覚えたが、メリーが『少しの間じっとしててね』と念話でくぎを刺してきたため身を固めた。
『あっと、ごめんなさい。リラックスしてて頂戴。ホントなら長い時間かけて自分で覚えていくのがいいのだけれど……あいつのことだしそのつもりはないのでしょうね。あいつにさせるくらいなら私がするわ』
ミサキが首を傾げているとメリーが柔らかく微笑む。
ふとミサキの下腹部が熱くなっていく。一見して何も起きていない。
――だが次第に眼が慣れていくと、何かがメリーから流れ込んでいる様子が視えた。
地下鉄の通路。暗く、湿っている。肌寒いはずなのにも関わらず、首から汗が滲む。体が火照り、頭がぼーっとする。足元がおぼつかなくなり、へなへなと地面に座り込んだ。
『あの、メ、メリーさん? 何か変です……!』
『もう少しの辛抱よ。今私の霊気を流し込んで体に通り道を作ってるの』
ミサキの意識が薄れていき、完全に脱力する――その間際で、下腹部の熱が消えた。その代りに意識が覚醒すると共に全身を巡る血液のような流れを感じる。
集中すると自分の体から薄く青白い靄のようなものが出ていた。メリーからは青い靄が出ている。
『えっと、これって?』
『漏れ出ているのは気よ。五行って考え方が中国にあって、それになぞらえてカテゴライズされてるわ。あなたは……金属性みたいね。私はちなみに木属性。今は私の霊気を流し込んだから少し私のが混じっているけれど、時間が立てば抜けていくわ』
『青白いのがきれいでいいんですけれど。メリーさん、きれいな青色ですね。コバルトブルーかな? なんだかゲームみたいですね』
『あら、属性色まで見えるのね。結構いい目してるわ。いい魔術師になれるかもね。でもよく覚えておいて。この属性は戦闘を左右することもある。しっかり相手の属性を覚えておくことが肝心よ』
ミサキは自身から溢れ出す霊気を感じ、手を握っては開ける。
こんなにも不思議な力が自分の中にあったなんて、と驚くと同時に妙な納得を覚えていた。
思い描くのは母の姿。いつも何を考えているかわからず、不思議な空気を纏っている人だったが成るほど。彼女も目に見えないだけでこんな力に目覚めていたのかもしれない。
『よし、それじゃ実践で使っていきましょう。使い方はごく単純。ぐっと足に力を入れて、踏む相手をしっかり見て。で、踏みつけるだけ。踏んでいる間は相手に動くなって念じ続けることを忘れないこと。慣れたら無意識にできるのだけれど、これは回数をこなすことね』
『わかりました。あの……メリーさん』
『何かしら?』
『ありがとうございます。頑張ります』
『ふふ、ええ。でもそれはダレルに言ってあげることね。さて、とそれじゃ実際にやってみましょう。と、いいたいのだけれど、生憎私吸血鬼だからさ。仮死状態にさせる魔術とかその他諸々、拘束魔術が効かない体質なのよねぇ』
ズン、と内臓に響く振動が鳴った。
メリーはミサキを咄嗟に抱き寄せていたが、ふいに宙へと視線を泳がせる。どうやら念話をしているようだった。会話はすぐに終わり、ミサキへと視線を戻す。
「どうかしたんですか?」
「落盤があったらしいわ。少し悠長にしすぎたかしらね。とりあえず一旦合流しましょう」
ミサキとメリーは一度体勢を整えて、ダレルと落ち合うことにした。どうやらダレル曰く、あちらでも一匹仕留めたらしい。
ただジョージが落盤に巻き込まれ、少しばかり手傷を追ったようだった。
目的の百面相と名高いシェイプシフターの姿は見当たらないが、とりあえず情報交換も兼ねて集まることにした。
来た道を戻り、一度インフォメーションセンターと書かれた看板のある場所で待ち合わせる。
「とりあえずここで待機。すぐに来るとは思うけれど。しっかしついてないわね。ちんたらしてたのは確かだけど、落盤なんて最近あまりなかったのに。大丈夫かしら」
メリーがそう言って、心配そうにブーツで地面をトントンと叩く。
ミサキもダレルのことが心配だった。確かに鬼のように強い人だが災害に巻き込まれたらひとたまりもないだろう。
そうして待つこと3分ほど。その間にも断続的に地響きが鳴り響く。
地響きは鳴り止む気配を見せない。メリーは異変を感じ、懐からダウジングのための護符を取り出す。
少しいじったところで眉根を寄せた。
「外の様子がわからない。おかしいわね。少し様子を見てくるわ。ミサキ、ここで待っててちょうだい。すぐ戻ってくるから。ダレルたちが来たら先に行ってて頂戴」
「あ、はい。お気をつけて」
「念のためこれ持っててね。物理的な結界も張っておくから。私かダレルたちが来るまでここから出ちゃだめよ」
メリーから銀のロザリオを受け取る。
メリーは小さく呪文を呟くと駆け足に通路の影へと消えて行った。一人、廃墟に残ったミサキ。数日ぶりの一人ぼっちだった。
低い音と大きな振動が続く。度重なる災害が今も続いているのだと実感する。
ダレルは無事だろうか。ジョージさんは。メリーはまだか。
欝々とした考えとは裏腹に、大きな衝撃はズンと響いた。近くでガレキが落ちてきたようだった。
体がびくっと跳ね上がる。物理的な結界を張っているらしいが、不安な気持ちは増す一方だ。
気持ちに押しつぶされそうになる。だがミサキは頭を振って陰鬱な考えを追い払った。
たった数日とはいえ多くの人に出会った。そのどれもがいい人であり、何かを抱えて生きているようだった。
多くのモノを抱えている中で、彼らは自分へ手を差し伸べてくれた。
異常な環境、新しい物事。いつ帰られるかもわからないが、お世話になった人々に対して失礼をするわけにはいかない。今を生きることがミサキが唯一できる恩返しだと思えた。
「帰った時、いやな気持ちを抱えたままはいやだもんね」
「そういうのは帰られる算段がついてからにしなさい」
自問自答へ返事が返ってくるとは思ってもみなかった。ミサキは体を跳ねさせると、声の方向をみた。
メリーが戻ってきていた。傷だらけの様子だが無事なようだった。
「メリーさん! 早かったですね」
「ええ。危うく落盤に巻き込まれるところだったけどね」
そう語るメリーだが、その足取りは確かだ。
浮かれるミサキだったが、手に持ったロザリオの冷たい感触が大事なことを思い出させた。
メリーとの距離は3メートルほど。
「あ、待ってください。一応ロザリオで確認を」
「用心深いわね。でも、いい心がけね」
2メートル。ミサキからも一歩踏みだす。結界からわずかに出た。
右手に持ったロザリオを掲げ――その手はブーツで蹴り弾かれる。
「え?」
遅れて右手に痛みが走る。ロザリオは空を舞い、カランと軽い音を立てて離れた地面へと転げ落ちた。
目を見開いてメリーの顔を見ると、彼女は口の端を裂けんばかりに歪め、笑っていた。
「へへ、甘くて助かるわ、ねっと!」
蹴りの勢いをそのままに、メリーの回し蹴りがミサキの腹に直撃する。
咄嗟のことに反応が出遅れたが、嫌々ながら積んできた稽古が幸を奏したのか威力をわずかながら殺した。それでも抑えきれない衝撃が腹を突き抜ける。
慣性のままにミサキは蹴り飛ばされ、地面に叩きつけられた。
「あ、あなたシェイプシフター……!」
『ご名答。お母さん殺しの片割れさん』
ベロリ、と舌を出して笑うメリー。もといシェイプシフター。
ミサキは痛む腹を抱えて立ち上がる。不思議なことに、痛みは徐々に薄らいでいくようだった。視ると霊気が腹に集まって痛みを散らしているようだった。
「こんなことしている場合じゃない。あなたもここから逃げないと生き埋めになりますよ」
『ハッ! 殺そうとしていたやつらがよくもまぁぬけぬけと。悪いわね私たちは貴方たちみたいな脆弱な生物とは違うの』
シェイプシフターは掌の骨を鳴らす。懐から一本の錆びたナイフを取り出す。
バケモノは空を仰ぐ。
『確かにこのババア強いのだけれど私の趣味じゃないのよね。アナタを切り裂いて、よぅく理解したうえで成り代わってあげるわ』
言葉を言い終えると同時、シェイプシフターが地面を蹴って飛びかかってくる。
ミサキは腰から小太刀を引き抜いて、前転して回避する。
ミサキのいた地面が古びた刃によってえぐり取られた
『逃がさないよォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』
「くあっ!」
シェイプシフターは狂喜に満ちた表情を浮かべ、ナイフを縦横無尽に振り払う。
本来なら目で追うのがやっとのはずの攻撃だったが、体は自然に動く。避けられそうな攻撃を寸でのところで避け、無理そうなものは小太刀で弾く。それでも相手の力はすさまじく、ミサキの体に小さい傷が増えていく。
本来なら即死してもおかしくない攻撃をかいくぐっている。つい数時間前までのミサキならば、ありえない攻防戦を繰り広げていた。
だがミサキの体はごく自然に、今まで経験してきたことをなぞるかの如く動く。
メリーは自身の霊気を用いてミサキを目覚めさせたといった。
なぜかはわからないがメリーの「経験」がそうさせているのだと思わせた。
仕留めきれると思っていたシェイプシフターだったが、思わぬ防御に焦りの表情が見え始めていた。
『ああ、もう早く刻まれなさい……!』
「はぁっ!」
大振りな斬撃がきたところで、ミサキは脇をかいくぐる。すれ違いざまの一閃。
決して致命傷とまではいかないまでも、深い傷を負わせた。シェイプシフターは脇から緑色の血を流している。
ミサキは振り返り、刀を構え直す。残心と呼ばれる剣術動作は体に染みついていた。ダレルのレクチャーだ。
シェイプシフターはたたらを踏み、顔を苦痛に歪める。
『小賢しい人間がぁ!』
鋭い、一直線の刺突。ミサキはしゃがみ込むとシェイプシフターの膝を外側へと蹴る。人体の構造に従って、バケモノは勢いを殺すこともできずに崩れ落ちた。
動作は流れるように。ミサキは息をすっと吸い込んでシェイプシフターを踏みつけた。
「動くな動くな動くな……!」
言葉にでた念は霊気を伝い、シェイプシフターへと流れ込む。
ダレルほどではないにしろ、魔踏の術式が完成していた。
メリーのすべてをコピーしたであろうシェイプシフターは、メリーの経験を学んだミサキによって倒された。時間が経てばシェイプシフターはメリーの体にもなじみ、ミサキを瞬く間に斬殺できただろう。
シェイプシフターの焦りと無駄な殺意がメリーの技術を鈍らせた結果、純粋なミサキの想いと技術が勝った。
「これで、終わりです。今なら見逃してあげます」
ミサキは小太刀を突きつけて告げる。
シェイプシフターはメリーの顔のまま憎々し気にミサキを睨み付けていた。
その表情に、ミサキは一瞬体をすくませる。術式は綻ぶことなく発動しているためかシェイプシフターが逃げ出す様子はない。
「お母さんを殺したことは謝ります。許してもらえるだなんて思いませんし。ただ成り代わるためだけに貴方達だって人間を殺してきたんでしょう! 亜人の人たちは生きるためにいろいろしていたみたいですけど……!」
『黙れよ人間。社会から弾かれた私たちを、お前らは迫害し糾弾する。亜人などただ仮装した人と変わらん。だが私たちは正真正銘、化け物でね』
メキリ、と音がした。ミサキが祈りを強めるとシェイプシフターは笑った。
『私たちは人生が欲しいんだ。面倒な努力なんてまっぴらごめんだ! 人の皮を被るだけでこんなにも楽に生活できるのにさぁ!』
シェイプシフターの腕が跳ね上げられる。教えられた魔術を破られ、かつ体勢を崩されたミサキはなすすべもなく。シェイプシフターは背後からミサキの首に腕を回し、締め上げようとする。
錆びた刃でミサキを刺し貫かんとするが、小太刀によって阻まれていた。小太刀がシェイプシフターの掌に食い込む一方で、腕はぎりぎりとミサキの首を締め上げる。なんとか霊気で対抗するが急速に息が詰まっていく。
「かはッ……!」
『残念だったな新米魔術師さん。私たちは全部コピーできるんだ。体質も、記憶も何もかも。それ故に
にったりと笑顔を張りつかせてバケモノは笑う。背後から囁くシェイプシフターはミサキの肌をぺろりとなめた。粘つく唾液が肌に纏わりつく。
『いいことを教えてあげる。基本的に私たちはその場にいる人しかコピーしないの。必要なのは汗とか血肉。体の組織からそっくりそのままソイツになるんだ。写真を見てコピーもできるけど劣化しちゃうの』
そう語るシェイプシフターの声は老若男女すべての声が重なって聞こえた。ミサキが背後を横目で覗くと、アメーバのようにうごめく緑の人体が見えた。眼だけがしっかりとミサキを見つめている。
次第にバケモノは形を1つへと定めていく。
それに応じてミサキから汗が噴き出す。それだけは見たくないと視線をそらそうとするが、頭をホールドされて身動きは取れない。
「でもね、逆を言えば劣化でよければこんなことだってできるのよ。ミサキさん」
妙齢の女性の声。ゆったりと巫女服を着こなす長髪の女性。顔だちや目がミサキそっくりだった。
「や、やめて」
「あらどうしたのミサキ。久しぶりのお母さんとの対面よ?」
「やめて!」
ミサキの前の前に現れたのはトーノ・ヨウコ。記憶の中の、ミサキの母親そのもののだった。
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