第9話 思想錯綜

 ミサキにとって母親は恐ろしいナニカだった。

 6歳の頃、家の神社で開かれた祭りを初めて見た。

 そこで母親は狐の面を着けて舞い踊った。

 気の振れた化け狐を退治する英雄の伝説を、芝居仕立てにしたものだった。街の人々は「きれいだ」「迫真の演技だなぁ」と褒めたたえていたがミサキには決してそんな風には思えなかった。

 ミサキにとっては母親が神楽に登場する狐そのものに思えて、たまらなく恐ろしかった。大泣きして大人たちを困らせたのを自身よく覚えていた。

 神楽が終わったあと、面を取った母親が舞台から降りてきてあやしてくれていた。いつもなら頭を撫でてもらえばすなり泣き止むミサキだったが、その時は母親から逃げた。

 母親は仮面を外していた。だが、もはやミサキにとっては恐ろしい狐にしか見えなかった。思い出せば母親は傷ついた顔をしていたように思うが、時間はもう戻らない。

 少し離れた都会の中学校に上がる時には、母親との交流は次第になくなっていった。家で会ってもあいさつ程度。それも敬語で他人行儀だった。

 それまでミサキは自分に正直に生きていこうと決めていた。嘘は決してつかず、自身の思ったままを正直に話す。それで傷つける人もいたが、になるよりはマシだった。

 それが辺鄙な田舎の神社の娘。そう言われてイジメを受けるてから、人付き合いを良くしようと、仮面をつけるようになるまでそう時間はかからなかった。

  


 シェイプシフターは背後から締め上げる腕を解くと、地面へとミサキを組み敷く。

 ミサキの手に握られていた小太刀を、一瞬の動揺の中で弾きとばした。


「大丈夫よミサキ。今の私はあなたの親よ。アナタの記憶を読み取り、アナタの空想の元に作られた。優しく抱きしめてあげることだってできるわ」


 明らかに人とはかけ離れた膂力で、組み敷きながら。

 あくまで母親のように優しく。

 至極静かに、容赦ない言葉を刺していく。


 もう何年もろくに話していなかった母親の姿で、バケモノは語る。

 記憶の中で一番新しいのは血塗れた母親の姿。もう会うことすら叶わないと思っていた母親は、今笑顔でいる。

 ミサキをあやすように微笑み、組み敷いて首元へナイフを当てている。

 ミサキの眼から涙があふれる。

 死への恐ろしさ、母への後悔の念、バケモノに殺されることへの怒り。混ざり合った感情がミサキの処理を越えて涙として溢れた。

 シェイプシフターはさぞかし愉しそうにほほ笑むとミサキの脇腹を射し貫いた。


「い、いやぁああ!」

「そうよミサキ! これが私の感じていた痛みよ! 人の痛みのわかる人間になりなさいって教えられなかったのかしらねぇ! ホント人間ってば中身は私たち以上に醜いわね!」


 あくまで致命傷となる傷を避けて、シェイプシフターは錆びたナイフで切り付けていく。脇腹、背中、腕。止まることなく傷をつけていく。

 十数回も切り付けたあとで、シェイプシフターは息を吐く。

 ミサキを痛めつけている間にも、外では振動が鳴り止まない。瓦礫が崩れ落ちている。

 シェイプシフターはミサキの背中を舌でなめとると再び変身した。


 ミサキと瓜二つの姿を取った。

 シェイプシフターは痛みと出血、精神的ショックにより意識の朦朧としたミサキを仰向けに転がす。

 ミサキは虚ろな眼で、シェイプシフター自分自身を見る。

 目の前の自分は自信に満ちていて、今の自分よりもよく出来そうだった。

シェイプシフター自分はミサキに微笑みかける。


「安心して私。バケモノだってばれるまでは、その人に成りきるのが私たちの決まりなの。殺した人たちに敬意を表してね。だから――私。何の心配もなく死になさい。親の元へ連れて行ってあげるわ」


 シェイプシフター自分が錆びた刃を掲げる。

 ああ、ここで終わりなのかとミサキはぼんやりと思った。でも、確かにここで終わりだけれどシェイプシフター自分は変わらず生きてくれると言っている。

 ダレルやメリーは気が付くだろうが、それまで私は生きている。

 仮面を被ったやつの末路はろくでもない。確かに、メリーの言葉通りだなとひとりごちた。


 そう、今までの自分ならあきらめていた。


「いやだ。死にたくない」

「はい?」


 振り下ろされた刃を、素手で掴む。ミサキはシェイプシフター自分を真正面から見据えた。


「私は、まだ死にたくない。だってメリーさんと約束したから。ダレルさんを面倒みるって。私が死んで、あなたがあの人の部屋の掃除をするの? お料理するの? ふざけないで。あなたが退治されたあと、あの部屋絶対またゴミ屋敷になるんだから。掃除が無駄になるでしょうがぁ!」

「な、なによそのふざけた理由……! おとなしく死ねよ!」

「死なない! 絶対、死んでやるもんか!」


 ここにきて抵抗するとは思わなかったシェイプシフターは、少し面食らった様子だったが面白くなさそうに刃を押し込む。ミサキは霊気を振り絞り、死にもの狂いで抵抗した。

 残り少ない力。しかしここは想いが力となる世界。自分が死なない限り、あきらめない限り力は出てくる。

 シェイプシフターも負けじと体重を乗せて、バケモノじみた膂力でもって貫こうとする。力が拮抗する。

 しかし、徐々に霊力は失っていく。少しずつナイフがミサキの胸元へと近づいていく。


「くぅ……!」

「あきらめろ、さぁ死ねぇ私ぃ!」


 刺されるまで3秒、2秒、1秒。目を閉じ、歯を食いしばって抵抗するミサキ。


 胸を切り裂く痛みはいつまでも訪れず、振り下ろされない刃を不思議に思ってミサキは目を開ける。シェイプシフターが自分にしなだれかかってくる。姿は全身緑のバケモノの姿に戻っていた。胸からどくどくと血が溢れ出している。

 胸にはいつの間にか弾丸によって穿たれた跡があった。


「お前、つくづくピンチになるのが好きなやつだな」


 呆れた、男性の声。寝そべるミサキをのぞき込むようにして一人の男性が戻ってきた。

 ダレル・コーバックが拳銃片手に自分を見ていた。


「ダレル、さん」

「おうダレルさんだ。勝手に死のうとするんじゃないバカ。居候にかかる諸々の費用を払ってもらわにゃいかんからな」


 ダレルはバケモノをどけると、ミサキを抱き起そうとする。ミサキは苦笑したが、痛みに顔をしかめた。


「ご、ごめんなさい。いたいですダレルさん」

「あん? ああ、くそが。――『イングワズ。その意味の為すところを成せ』」


 ミサキの背中に網目のようなルーン文字を描く。

 イングワズ。意味は豊穣と幸福。物事が満足のいく形になること。

 傷はまだあるが、痛みが薄らいでいく。


「……帰ったらすぐ治療するぞ。俺は治療魔術は苦手なんでな」


 ミサキの背中を見て舌打ちを1回。ダレルは自分のジャケットを脱ぐとミサキにかけ、そのまま抱きかかえた。

 あってまだ数日しか経っていないにも関わらず、ダレルに抱きかかえられると妙な安心感と心地よさがこみあげてくる。出血と緊張感の緩和からか次第に疲れがどっと押し寄せてきた。

 瞼は重く、今にも降りようとする。


「今すぐここを出る。しばらく寝とけ」

「――はい、ありがとうダレルさん」


 そう言葉を残してミサキの意識は眠りへと落ちて行った。



 ダレルはミサキを抱えて一目散に走り出す。

 集合場所にいくとジョージとメリー、そして一組の男女が立っていた。

 メリーは憔悴しきったミサキを見て驚く共に罵倒を吐き捨てる。ジョージが一組の男女を睨み付けた。


「やられた。やっぱ離れるべきじゃなかった」

「姐さん、こいつらやっぱ殺しときましょう。おっさん、本気でこいつらを使う気か。正気を疑うぞ」

「使えるものはなんだって使う。これくらいしかあいつからミサキを救う手立てがなくなる」


 ダレルは男女のシェイプシフターを見た。


「いいか。契約は履行してもらう。絶対に危害は加えない。いいのはミサキへの一時的な変身のみだ。成り代わりはなしだ」


 男女の男の方が頷く。女の方は申し訳なさそうにミサキを見ていた。

 男の方が一歩踏み出す。


「私たちはそもそも死体からしか成り代わらない。その娘を傷つけたやつとは別だから安心してくれ」


 それだけを聞くとダレルもうなづき返す。

 揺れは次第に大きさを増している。地震、というよりは砲撃に似た振動が外から響いている。


「くそ。魔神というのはなんでもありか」



 ミサキが戦闘している最中、集合したダレル達は状況を報告しあっていた。

 ダレルはシェイプシフターの仲間を探していたため少し遅れていた。

 ミサキを、これから待ち受ける真のバケモノから救うための策としてシェイプシフターは必要不可欠だった。

 シェイプシフター百面相、もといそのグループは仲間内で同じ人物にとっかえひっかえに成り代わることで、自分たちに銀製品が効かないと欺いていたという。ここに逃げ込んでからというもの意見の対立もあって散り散りに活動していたという。

 百面相は残り二名。この二名は生者に成り代わることに抵抗感をもっているグループようだった。


 ダレルは自分にツキが向いていると確信した。

 メリーと合流したダレルはミサキの置かれている現状と共に、自分の策を手短に話した。


 ダレルの策は単純明快。事の元凶であるアフロディを叩くことだった。

 アフロディは公式に死んでいる。ダレルも葬式で遺体を埋葬する光景を目にしていた。しかしどうやらミサキの話だと肉体をどうやら持っているらしい。不明瞭な事柄があまりに多すぎる。状況の把握は困難を極めた。

 情報収集と敵の陽動を行うために、シェイプシフターを使う策を考えた。

 記憶をリーディングする能力と変身能力。状況を打破するにはうってつけだった。

 一度、どこかで装備の補給・治療を行う。その後、二手に分かれて本丸であるアフロディの陽動組と遺体捜査に分かれる。

 ダレルは淡々と説明すると共に、頭を深々と下げてメリー達へ協力を頼んだ。

 ジョージは状況が把握できていないようだったが、メリーはダレルのここ数年の動きから予想は着いていたらしくあまり驚きはなかった。

 いずれにせよ策はシェイプシフター達の協力で成り立つ。彼ら自身は日々の安寧を得るためにダレルへの協力は惜しみなかった。

 一人はミサキへのダミーとして変身する。もう一人は記憶のリーディング能力を活かし、最初の魔術師アフロディーメイザースの遺体から情報を抜き出す。

 遺体は厳重に魔術連盟が保管している。容易ではないが、この策さえ成功すれば奴の企てを暴露して阻止することも可能とダレルは考えていた。

 メリーとジョージは無論反論したが、アフロディに対する上で有効な手段は何かと問われると口を閉ざした。

 そもそもこの災害後世界において公式に物理的なデータとして残っている魔術師はアフロディが初めてなのだ。彼以上に魔術に造詣の深い者は数えるほどもいない。


 外の衝撃の発生源からも、半ば流れに乗る形で一同は策に承諾した。

 ダレルの飛ばした蝙蝠型ゾンビによればゴエティア構成員がこのあたり一帯を魔神によって破壊しているという。

 明確な理由まではわからないが、アフロディが手引きしていることは想像に難くない。

 一同はシェイプシフターの案内のもとで別ルートから地下道を後にした。

 ホームに一度降り、線路伝いに落盤したガレキの山を潜っていく。



 北上し、隣接する駅から一同は旧ギャラウデッド大学方面へと入った。

 外に出ると時刻はすでに夕刻を回っているようだった。あたり一面が赤く染まっている。

 ギャラウデッド大学は、元は聴覚障害者のための大学だったが災害後に廃棄されていた。最近になって情勢のおちついたワシントンDCが再び学校を開こうと企画しているという噂も耳にする。

 周囲の気配を探り、施設内へと入る。幸いにして人の気配はなかった。一同は施設の一角の部屋に入る。何もない空間ではあったが清掃は行き届いているようだった。

 とりあえず追手の心配はないと分ると、二手に分かれることにした。

 ユニオンマーケットで治療薬を仕入れる者達とここに残る者達。

 得意ではないとはいえダレルは治療魔術を習得しているためかミサキの治療のために残る。

 成り行きのままに着いてきたとはいえメリーとジョージは女シェイプシフターを一匹引き連れ、ミサキに変身させての陽動・各種必要物品仕入れをしてくれるようだった。

 外のゴエティア連中から察するに危険なのは間違いない。それでもメリーは行くと言い放った。


「すまんな、メリー。でかい借りができたな。必ず返す」

「いいのよ。私もキャロルの仇は取りたいし、ミサキも助けたいからね」


 施設に残ったダレルは静かに、結界を張った後にミサキの治療にあたる。

残ったもう一匹の男シェイプシフターは見張り役として部屋の外へでた。

 部屋には静かに眠るミサキとダレルのみ。

 ダレルは傷だらけのミサキを見て歯噛みした。


「助けるぞ、必ず。今度こそ」


 ダレルは言葉を力に変えるよう、静かに呟くと治療に専念した。

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