第10話 言葉に神は宿る

 陽が傾き、次第に夜へと移っていく。

 徐々に空気が冷え込んできた。魔術によって空調を操作することも考えたが、無駄な乱用は控えるべきだ。いざというときのために、とっておくことにした。

 男シェイプシフターに、施設内を探索してきてもらった結果ブランケットが見つかった。

 治療したとはいえミサキは初の戦闘後だった。英気を養うためにも温めておく必要があった。

 ダレルは静かに、精気の回復のために瞑想をしていた。冷え込みが体に染みたのか、ミサキがくしゃみと共に目を覚ました。

 むくりと起き上がり、眠り眼で周囲を見渡す。


「おはようございます。あれ、ここは一体?」

「おう、もうすぐ夜だけどな。ユニオン駅近くの大学だ。ゴエティア連中がバカスカ暴れてるから逃げてきたところだ」

「へぇ、ええ!? 大変じゃないですか!」


 意識が一気に覚醒して、あたりをキョロキョロと見渡し始める。何か違和感を感じたためか自分の体を見て首を傾げる。


「あれ傷が治ってる?」

「おう、治療した。かなり手間だったんだからな。代金はうまいメシで頼むぞ」


 ダレルはそう皮肉って口の端を釣り上げる。

 ミサキはぽかんと呆けていたが、落ち着きを取り戻すと肩を落とした。


「ほんと、お世話になりっぱなしですね。返せるかどうかわかりませんよ」

「おう、まぁ期待せず待ってるぜ」

「そこは信じてるくらいってくださいよぅ!」


 起き抜けに繰り広げる二人のコメディに、男シェイプシフターが笑う。

 二人はむっとした表情を浮かべてそちらを見る。あまりに表情が似ているためか、シェイプシフターは腹を抱えた。


「おい、そんな笑うことか」

「いえ、これは失礼。人間とはつくづく面白い生き物ですね。長らく生きてきましたが貴方たちのような人は初めて見る。親子と似たような不思議な雰囲気をもってらっしゃいますが違いますよね?」

「誰が親子だ。こんな娘なんざこちらとら願い下げだ!」

「わ、私だってダレルさんみたいなお父さんいやですよ。というか私のお父さんは優しくてしっかり者でしたし。ダレルさんみたいに無精者でもなかったですから!」

「テメェ、言うに事欠いて無精者だぁ? 傷口に塩塗りたくるぞコラ」


 売り言葉に買い言葉。漫才を繰り広げる。

 ダレルは「なんだピンピンしてるじゃねえか」などと呟いている。ミサキはその言葉を聞き逃さなかった。嬉しさがこみあげてきたが、下唇を噛んで誤魔化すと、よしと気合を入れて正座をした。


「あの、ダレルさん」

「なんだ改まって」

「私をダレルさんの所で雇ってもらえませんか。正式に」

「はぁ?」


 頭に盛大に疑問符を浮かべているダレルだったが、ミサキの鬼気迫る真剣さを感じ取ると鼻を鳴らした。


「ダメだ。アフロディのやつを倒したらさっさと帰れ」

「私の時代に帰ったところで帰る場所なんてありません。アフロディさんに壊されました」

「魔神の力なめんなよ。生きてる時間に飛ばすなんなりできる、はずだ」

「はず、って確実にじゃないんですよね? それに今こうして災害が起きてるならいずれ私も巻き込まれて死んでしまう可能性だってあるわけじゃないですか。そんなのイヤです」

「意地を張るんじゃない! てめえの場所はここじゃないだろうが!」

「いいえ張ります! 私の場所はここです! ここがいいんです!」


 ミサキは声を張り上げた。ダレルが目を丸くしている。

 ミサキ自身驚きだった。ここまで意地をはることなど今までなかった。初めて誰かに本気で口答えすることをしなかった。仮面を被って、面倒なことはすべて時間と共に流してきていた。

 でも、ミサキは戦いを経てシェイプシフターに啖呵を切ったばかりだった。あのバケモノに命を取られかけ、人生を取られるかけたことを明確に拒否した。そしてダレルが止めを刺したとはいえ殺してしまった。

 命を背負う、などと軽々しくは言えない。だが少なくとも自分には責任があると思った。


「いい子じゃなくてすいません。正直キャロルさんに似てるから、私に良くしてるっって聞いたとき少し残念だったんです。結局私は誰かの代わりなのかなって。自分を誤魔化して生きるのはもうやめたい。私は私。トーノ・ミサキです。駄々捏ねているだけなのは重々承知です。でも、お願いします。ダレルさんの傍にいさせてください」


 ミサキは一方的に捲し立てると、深呼吸を一回。深々と頭を下げた。

 ダレルはしばらく黙っていたが言葉の代わりに溜息を吐いた。


「すまん、アンタ少し席外してくれるか」

「ええ、わかりました。外の様子を伺ってきますね」


 ダレルの申し出に、シェイプシフターは了承したと早々に退室した。

 ダレルはしばらく何を言おうか、視線をさまよわせた末に顔をしかめて首をかいた。


「お前、人が変わったみたいだな。一皮むけたか」

「だと、いいですけれど。まだ成長期ですので」

「はん、言うじゃねえか」


 ダレルは懐から古びたジッポと煙草を取り出す。ミサキに目で吸っていいか許可を求めてきた。ミサキがどうぞ、と手で促すとダレルは窓際に寄って煙草にライターで火を着けた。


「吸うんですね」

「ごく極にな。酒も控えてる」


 紫煙を数回吸い込んでは吐き出すを繰り返すと、ダレルはミサキの方を向いた。

ミサキはそのダレルの姿に人が変わったと感想を抱いた。ひょっとするとこれが素なのかもしれないと感じた。

 どこか世を拗ねた、諦観した雰囲気だった。


「どうやら今のお前のセリフが本音らしいな。なら俺も本音で語ってやる。お前が俺のことどう思ってるかなんざ知らんがな。俺自身、かなりひどいやつさ。何度も何度も俺に関わってきた女を殺してきた」

「殺した?」

「ああ。間接的にだがな。初めは母親だ。災害で俺と妹をかばった挙句、食器棚の下敷きになって死んだ。次は妹。俺が18の時、退治屋ハンターの仕事を始めて間もない頃に恨みを買ってな。家に押し入られて妹は苛められた挙句に殺された」


 苛立たしげに煙草を吹かすダレル。ミサキは静かにダレルの吐露に耳を傾けた。


「んで最後にキャロルだ。部隊で一緒だった。彼女は親なしでな。俺の身の上を知った上で関わってくる変な女だった。で、まぁそれなりに長い間仕事だとかプライベート過ごすうちにいい仲になった」

「いい仲って、曖昧ですね?」

「実際いい仲としか言えんかったからな。メシ喰って、話して。正直災害前の学生よりか進んでなかった。ルームシェアこそしてたが、なんもなかったしな」


 ダレルはまだ残りかけの煙草を一気に吸う。灰が風に舞って外へと散っていった。


「ある日、ゴエティアの連中が無断で儀式魔術を行っているって連絡が入った。無断で儀式をすることは霊脈にどんな影響を及ぼすかわからんからな。固く禁じられてる。バカなやつもいたもんだと思って、いつものように任務をこなしてかえるはずだった。――なのに、だ。アフロディの野郎は俺ら部隊を待ってやがった」


 ダレルは煙草を掌で握りつぶすと、ルーンを素早く描いて灰にした。


「部隊は総勢15名。うち生き残ったのが俺とメリー、あとジョーンズってやつだ。今旧警察署の署長をやってる。その他の奴らは全員。魔神召喚するための供物にされた。まんまと嵌められた」

 

 ダレルは窓の淵に座り込みながら、ミサキの眼を見た。ミサキはダレルの眼にひどく疲れの色が見えた。霊気の色はどす黒い黒色だった。


「本当なら俺が喰われるはずだった。それを、キャロルが身代わりになった。くそみたいな話さ。お決まりの展開すぎてお涙頂戴にもなりゃしねえ。……ま、というわけでだ。俺に関わった女を都合三人を死なせた。俺を過度に信じるな。期待するな」


 話は終わりだとばかりに、ダレルはそっぽを向いて二本目の煙草に火を着ける。吸うことすら――生きることすらめんどくさそうにしている。

 想えば部屋の汚さもいつ死んでも構いやしないと思っての自暴自棄の表れなのかもしれなかった。仕事に打ち込む時は真剣だから仕事場だけがきれい。想い出のキャロルの部屋は思い出を汚したくなくてきれい。


「でも、今私はここにいます。ダレルさん守ってくれるんですよね?」

「……俺は神なんて信じちゃいないが、お前を見つけた時は底意地の悪いやつがいるなんて思った。また俺のせいで人が死ぬのかってな」

「い、いくらなんでも考えすぎです!」

「考えなしに突っ走った結果がこれだ!」


 外に聞こえるかもしれない、など考えず。ミサキへ真正面から本気でダレルは怒鳴りつけた。ミサキが肩を竦ませると、申し訳なさそうに「すまない」と呟いた。


「考えなしに大事なもんを守ろうと足掻いてきた結果が今の俺だ。詰めの甘さだとか運の悪さだとかいろいろあるが、俺を関わるとロクなことになりゃしない。――だから、今回はラストチャンスだ。俺の命に代えてお前を守ってやる」


 冷たい風が室内にへ入り込む。ダレルは目を細めて夜風に当たっている。

 これから夜はさらに更け込んでいく。赤く輝く茜色の空は暗くなっていき、気分も比例して落ちていくようだ。


「まぁ、なんだ。だから俺のところで雇うってのはナシだ。どうしてもここで生きるってんならジョーンズを紹介してやる。あれでそれなりにいいやつだ」

「いやです」

「あ? お前、まだそんなこと。ガキじゃあるまいし聞き分けろ」

「いいえ。今お話しを聞いて猶更決心しました。私はなにがあってもダレルさんの傍にいます。なんだ、なんてことない話じゃないですか。私たち似たもの同士だったんですよ」

「あん?」


 ミサキは微笑むと、立ち上がってダレルの元へ歩く。ダレルは何事かとミサキの様子を伺っていた。


「私は他人を信じられなくて、上っ面だけで誤魔化して生きてきました。ダレルさんは自分を信じても裏切られてきたからあきらめちゃったんですよね? なら二人してもうちょっと頑張りませんか。私はダレルさんを信じます。ダレルさんも自分を信じてください。きっと次はうまくいきます」

「なんだそれ。根拠は?」

「根拠ならあります! すっごい根拠が! 今の世界って思いが力になるんですよね? 言葉にすれば威力倍増みたいな」

「あ? ああ。呪詛のベースは想いだからな。詠唱すればよりはっきりと意識するから威力は強まる。それがどうした?」


 突然何を言い出すのかとダレルはミサキを訝しむ。ミサキはさぞかし楽しそうに、頬を少し赤らめてダレルへ顔を近づけた。

 正面から目を見て真っすぐ、ミサキはダレルへ向けて告白を放つのろい


――ダレルさん、私は貴方が好きです。


 日本語ではっきりとミサキは言った。ダレルは眉をひそめて首を傾げた。


「お前今なんて言った。英語でいえ英語で」

「さぁ? 私英語の成績はいまいちで。どういえばいいのかわからなかったので。ちょっとしたおまじないです。言霊ってご存知ですか?」

「あー日本の呪いだっけか」

「言葉に神様が宿るって考えです。神様が信じられないのなら、私の言葉を信じてください。きっとダレルさんを守ってくれますから」


 ふふんと鼻を鳴らし、ミサキは軽い足取りでブランケットを畳む。

 可笑しなミサキに、ダレルは気味が悪いと思った。

 ――だが、不思議と。あの日本語は心地よかった。



 しばらくしてメリーと女シェイプシフター、ジョージが戻ってきた。

 そして彼らと一緒にもう一匹来た。


「ワン!」

「ジェシーさん!」


 しっぽをぶんぶんと引きちぎれんばかりに振って、ジェシーはミサキへ飛びついた。舌で顔をなめまくる。


「うわっとと。長いお散歩でしたね。どこへ行ってたんですか?」

「ワシントン旧警察署だ。あそこに保管されてる遺体の場所を見てきてもらってた」


 ダレルがジェシーの顔を撫でる。首輪に着いた板を取る。

 板には鍵穴が変形したような文字が描かれていた。ルーンのオースィラ。意味は故郷。遺産やしがらみという解釈もある。

 ダレルはルーンの記録を見ていると我が意得たりとばかりに笑いを浮かべた。

 

「よし、場所は把握した。直接リーディングしに行くぞ」

「その前に腹ごしらえね」


 マーケットで見繕ってきたサンドイッチなどを広げる。シェイプシフターたちは初めて食べる人間の料理の数々に目を輝かせていた。

 食事を勧める傍らで、ジョーンズが仕入れてきたゴエティアについての情報を話す。


「どうやら奴ら、俺らを指名手配したようだ。なんでも儀式用にとっておいた呪物を盗んだとか。盗もうとしているのは向こうなんだがな」

「ま、ぐうたら言っても仕方ない。問題はどう、忍び込むか」


 みんなが顔を突き合わせていると、あのーとミサキが挙手する。


「ミサキなんだ。トイレならそこ出て右に曲がった突き当りだ」

「ち、ちがいますよ! 提案です!」

「どんなものかしら?」


 こほんと咳払いをしてミサキは笑った。


「逆転の発想、ってことで。捕まりに行くんです」



 ミサキの作戦は深夜。軽い仮眠をとってから行われた。

 ほどなくして警察署にゴエティアの呪物を盗んだ一味が拘束されたという。

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