第6話 ワシントン・サブウェイ(1)

 ワシントンの玄関口ともいえるユニオン・ステーション。ローマの凱旋門を思わせるその創りは文字通り半壊していた。1908年より、年間3000万人以上の人々が遠方から着てはどこかへと流れていく。

 災害後。目的地へ行くための分岐点は、瓦礫の山によって閉ざされていた。

 その中を、かろうじて歩けるルートを模索しながらダレルとミサキは歩いている。ライトがあるとはいえそこは人が入り込まなくなって久しい。砂埃が舞い、風化したゴミが散乱している。地下鉄だからだろうか、密閉された空間には腐臭が残っている。

 ふとかさり、と音がした。


「ひぃ!?」


 ミサキの背筋に悪寒が走る。飛び退き、ダレルにしがみ付く。瓦礫の山からネズミが這い出て、どこかへ走っていった。

 ミサキがほっと胸をなでおろすと、ダレルに頭を小突かれた。


「い、いたい! だって暗いし狭いし……!」

「ああ、そうだな。今お前が気にするのは狭いし暗いから敵がどこから来てもいいように備えることだけだ。集中しろ」


 ダレルは前を見て拳銃を構えている。ミサキは肩を狭めながらも、腰の小太刀に手をかけた。

 小太刀・蜂屋長光。古くは豊臣秀吉が枕刀として所持していた小太刀。蜂屋というあふれ者がもっていたことでも知られている。ただそれ以外は特に目立った伝承もない。質の良い名刀として現代まで受け継がれてきたという。

 ミサキはマイクから教えられた祝詞を頭の中で復唱する。ダレル曰く、威力は調整してあるらしいが、頭からは破裂した男が思い浮かぶ。

 ミサキは胃から逆流するものを感じつつ、生唾を飲み込む。


「あ、あのダレルさん。今探しているシェイプシフターってどんななんですか?」

「人に化ける。ただそれだけのしょうもないバケモンだ。正確な正体こそ見たことないが、大抵は誰かに化けてやがる。強い光に弱かったり、銀製のものに弱いが、なんせ一芸特化だ。あの手この手で人を誑かして変身しやがる」

「へ、変身するくらいなら別に」

「ま、それだけならびっくりどっきりな手品師と変わらんな。人に紛れ込むのが厄介なんだよ」


 ミサキと話つつも、ダレルはクリアリングを進めていく。感覚を研ぎ澄まし、第六感もフルに活用していく。


「人に紛れたやつらは人と交わって繁殖する。そうして人間たちの生活圏を犯していく。極め付けは。」


 成り代わる。自分が知っている者が得体のしれないバケモノに成り代わっている。

 外が人と変わらず。しかし、その中身は全くの別物。ニセモノの塊。


「俺らが今追っているやつもその一人だ。なんでもかなりうまく騙すやつとかでな。退治屋ハンターの中じゃ百面相なんてあだ名がついてやがる。……どうした?」


 ジャケットの握りが強くなる。ミサキは冷や汗を流していた。表情は無表情に近く、しかし体は震えている。ダレルがミサキの肩に触れると「ひっ」と悲鳴を上げて飛びのいた。


「おい、大丈夫か」

「あ、ああいえ。ごめんなさい。怖くて」

「ふん、力もそこまで強くない。最初の獲物としちゃ狩りやすい。気を抜かなきゃ大丈夫だ」


 ミサキが返事しようと口を開く。

 カツン、と物音が前方の曲がり角から響いた。

 ダレルはミサキの手を解くと走り出す。ミサキも後に続く。


「止まれ!」


 ダレルが声を上げて銃口を向ける。すると、向けた先からも光がした。眩しさのあまり目を細めると、男女一組が武装してこちらを睨んでいる。


「お前こそ武器を捨てろ!」

「あら? やめなさいアレン。ダレルじゃない?」

「メリー……とそちらの坊主は見ない顔だな」


 ライトが下げられると次第に目が姿を捉えた。

 一人は赤茶色のコートを着た女性。暗い中でもわかるほどに、赤く染め上げられた髪を後ろで一つ括りにしている。妙齢の白人であり、ダレルと同じくらいにみえた。一見して鍛えられた肉体がタートルネックからもわかる。腰には大型のナイフが提げられていた。

 一人は黒い厚手のレザージャケットを着ている青年。年は20かそこらのように見える。手には銃身を切り詰めたショットガンを持っていた。

 ダレルがトリガーから指を放し、銃口を下げる。青年も渋々下ろしたが、引き金には手をかけており、いつでも撃てる様子だった。


「久しぶりね」

「ああ」


 端的に挨拶を交わしたダレルとメリー。気心が知られている風だった。

 ミサキはお知り合いかな?と疑問を浮かべる。

 ミサキがぼんやりと考えている間に、自然体で二人は近づくと――おもむろにお互いの顔を殴った。ダレルは銀色に光るロザリオを、メリーの手には鈍色のメリケンサックが握られている。

 鈍い音を響かせるだけで特に変化がないことを確認すると、二人はふっと笑い出してそのまま拳を突き合わせた。


「お前、サックまで持ち出す必要ないだろ」

「あら、ファーストコンタクトは大事じゃない? もし間違ってもいい男なら水に流してくれるし」

「生憎甲斐性なしなんでな。後でなんか奢れよ」


 ミサキと青年が口を開けてぽかんとしていると、二人して苦笑した。 


「そっちの坊主は見ない顔だな」

「ええ、新しいボーイフレンドのジョージよ。それはそうと、そちらのお嬢ちゃんは見ない顔ね。ガールフレンドかしら?」

「バカ言え。ただの居候だ」

「……あ、えっと。トーノ・ミサキって言います。よろしくお願いします」


 ジョージと呼ばれた青年が不愛想に一礼する。ミサキも努めて冷静に、笑顔を浮かべて会釈する。するとメリーと呼ばれた女性は大股にミサキに近寄ってきた。

 ミサキが「なんだろう」と焦る間もなく、おもむろに頭を撫でて抱きしめられる。


「なぁに、めちゃくちゃかわいいじゃない! またジェシーみたく拾ったの? 相変わらずお人よしねぇ。大丈夫お嬢ちゃん? あのむっつり野郎に何かされなかった?」

「あ、いや、えっと。ダレルさんは優しいし、よくしてくれてるので」

「あら、優しくしてもらってるの? あらぁ」

「おい変質者は今のオマエだ。というか少し見ない間にババァくさくなったな」


 にんまりとした笑顔のメリーはミサキの頭を撫でながらふふんと満足げに笑う。

 

「そっちは相も変わらずデリカシーがないのね。ま、いいわ。あなた達もその様子だとシェイプシフフター狩りかしら」

「ああ。なんだ。ダブルブッキングか? マイクも雑な仕事しやがるな」

「私たちの他にも頼んでるかもしれないわね。……とりあえず共闘しない? 人手があまり多くなると危ないけれど少ないのもどうかと思うし」


 ダレルは目を伏せ、考えを巡らせる。少しして頷いて応じた。メリーはしたり顔を浮かべるとミサキの手を握った。


「それじゃ、私たちは行くから」

「あぁ? ちょっと待て。お前はこの坊主と行けよ。俺はミサキに仕事のレクチャーをだな」

「あら、教えるのなら私に任せなさいな。というか、たまには可愛い子とおしゃべりしたいじゃない? あ、勿論ジョージもかわいいけれど。そっちはそっちで、男は男同士で親睦を深めて頂戴な。それじゃーねー」

「ちょ、ちょっとメリーさん!?」


 メリーは有無を言わさぬ勢いでミサキを引き連れていくと、ホームへと続く階段を下りて行った。

 残された渋い顔のダレルと無表情のジョージのみ。静けさの戻ったホームで二人は立ち尽くしかなかった。


「ま、とりあえず行くかジョージ。仕事歴何年か知らんが頼むぞ」

「気安く呼ぶな。お前こそ姐さんの足手まといにならないようしっかり仕事を果たせ」


 そういうとジョージはメリー達とは別方面のホームへ降りて行った。ダレルは頭をかきつつ、溜息を吐いて後に続いていった。



 一段降りると、埃っぽさは増していた。災害に見舞われたからか、瓦礫の中をめり込むようにして電車が傾いて停車している。先頭は壁に埋まっており、側面の扉はどれもひしゃげている。その様は地上にいるときよりもより災害の壮絶さを物語っていた。

 ホームに降りてきたメリーとミサキは足取りを確かに慎重に歩いていく。心なしか、メリーの方は笑顔を浮かべており楽し気だった。

 

「あ、あのメリーさん。よかったんですかダレルさんたちと一緒に行動しなくて」

「うん? ああ、固まって行くなんて遠足じゃあるまいしいいでしょう。それに私五感が鋭いの。ダレルの匂いなら覚えたから成りすまされたって大丈夫よ。それに女二人でお話ししたかったし」

「は、はぁ」


 曖昧な返事を返すミサキに、メリーはくすくすと笑う。


「しかしあの男が女の子拾って面倒見ているとはね。正直かなり驚いたわ」

「そんなに珍しいんですか?」

「そうね。ここ数年、仕事以外じゃ人との関わりを断っていたから」


 曖昧な笑みを浮かべるメリーに、ミサキはふとキャロルの顔を浮かべた。

 自分によくしてくれているのは、キャロルに似ているからとダレルはいう。

 自分に似ている人。

 ミサキにはよく掴めなかった。


「あの、メリーさん。キャロルさんという方ご存知ですか? ダレルさんが私に似てるって」

「あら、キャロルのことまで話してたのね。ずいぶん入れ込んでるわね。……キャロルとダレル、それと私は魔術連盟の対魔術師部隊の頃からの間柄でね。お互い災害で親なし兄弟なしだったから馬が合ったのよ。キャロルは特に、顔だちもいい子だから苦労してたわ」


 メリーは遠い日を思い浮かべて目を細める。やわらかい笑みを浮かべる。


「でも、アナタが似てるってのは正直ないわね。あの子は正直者だったもの」


 笑みはそのままに、声色は少し低く。目が爛々と光を反射していた。

 雰囲気の変わったメリーに、ミサキが慄く。

 この人は、何を言い出したのか。脳が処理を拒む。


「メリーさん?」

「ああ、怖がらせちゃったかしら。ごめんなさいね。でも少しダレルあいつにはイラッと来たから。」

「……あのお気を悪くしたのならすいません」

「謝らなくていいのよ。――女として演技することは大事だけれど、やりすぎると自分を失ってしまう。シェイプシフターの仲間に成りたくなかったら控える事ね」


 『演技』の言葉を聞くなり、ミサキの体が固まった。表情も凍り付き、恐ろしさとは別で冷や汗が背筋を流れる。横目に見える曇ったガラスには、眉間にしわを寄せた不快な表情の自分が写っていた。ガラスから目を背けるようにして、メリーを見上げる。


「別に。演技なんてしてるつもりはありません」

「あら、怒らせちゃったかしら? それが素かしら? ま、なら猶更気をつけなさい。化け物ってのはね、気づいたら成ってるものなのよ。あなたはまだ若いのだし、仮面を取った顔も可愛げがあるわ。まだ戻れる」


 クスクスと笑うメリー。ミサキの方は捉えどころのない言葉に眉間の皺を深めた。

 困惑の表情を浮かべミサキに、メリーは冷たい微笑を収めて少女の頭を撫でた。


「お世話になってるダレルを思うのなら、アナタの本当のことをさらけ出しなさい。きっとそれは悪い結果にはならないわ」


 メリーはミサキを撫でた手を腰へと持っていき、ナイフを引き抜く。マチェットと呼ばれるそれは、ライトの光を反射して黒く光っていた。

 メリーは一人の退治屋ハンターへと感覚を切り替えた。目線は朽ちた電車をじっと見ている。

 空気で察知する。敵が成りを潜めている。

 成り代わりを目的に生きているシェイプシフター。

 ミサキにとって、他人事とは思えない生き物。


「ミサキ。私からも一つレクチャーしてあげる。女性の先輩としても、バケモノの先輩としてもね」


 電車から目をそらさず。そう語るメリーの犬歯は鋭く尖っていた。


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