第3話 マーケットと戦闘の幕開け
空は晴天。絶好の買い物日和だ。鬱屈としていた気分もお日様に照らされて少し晴れた。
ミサキは外出前に衣装ダンスから厚手のパーカーとジーンズを一枚ずつ借りた。幸いにしてか少しばかり大きい程度でサイズはそう変わらない。下着に関しては少し悩んだ末、シスター・マーサに調達してもらおうと決めた。
「さすがに下着は気が引けますね」
ジェシーが「気にしなくてもいいのに」といった様子で隣でワンと鳴く。ミサキはカバンにダレルからもらったお金と、ここの鍵を入れる。最後に、マイクから貰った小太刀を手に取った。鞘から少し刃を抜いてみるが磨き抜かれた鈍色からよく研がれていると分った。
どうか使うことのないように、と神頼みをしてパーカーで隠すようにしてズボンに差し込む。ミサキとジェシーはマーケットへと足を運んだ。
マーケットは相も変わらず活気に溢れていた。天気がいいからか、人々の表情も心なしか明るく見えた。
昨日は気づかなかったが、いたるところに甲冑を身に纏った人が立っている。西洋の騎士さながらで、兜や盾には十字の意匠が見られた。
皆一様に兜をしており表情はわからない。あたりを見回し諍いが起きるとそちらへ走っていき仲裁に入っていた。
「警備員さん……なのかな?」
たぶんあの教会の人たちなのだろうと考えつつぶらりとマーケットを見て回る。お金をもらったとはいえ無駄遣いするわけにはいかない。ミサキはカバンを背負いなおすと、まず昨日行った野菜屋に行った。ふくよかな女店主はミサキを笑顔で出迎えてくれた。
「あら、昨日のお嬢ちゃんじゃないか! いらっしゃい。今日はダレルさん一緒じゃないんだね」
「あ、えっと。ダレルさんお仕事で。買い出し頼まれまして」
「あのダレルさんが買い出し? おつかいじゃくて?」
「私が作ってくれたお料理気に入ってくれまして。タブン、ですけれど」
女店主はありえないことを聞いたと目を丸くしていたが、ミサキの照れた表情を見ると大口で笑い声をあげた。
「そうかいそうかい! いやぁダレルさんも隅に置けないねぇ。こんな若い子を捕まえてー。よし来たっ。なんでも持っていきな。安くしとくよ!」
「あ、ありがとうございます! あ、おいしいの作って奥様にも持ってきますね」
「奥様はよしとくれよ。今は独り身さね。フローラ・グッドマン。フローラって呼んでおくれよ嬢ちゃん」
「はい、フローラさん。私はミサキって言います」
女店主・フローラはミサキを気に入ったのかここらの野菜の相場や良い品物を売っている店を教えてくれた。どこそこの店は安い。あの店の店主は性格が悪いなど愚痴も交えての談話だ。
災害後、保存のきく食料は各宗教施設へと運ばれたようだ。魔術が出てきてからは呪的保存法が確立され、格段によくなったのだとか。栽培に関しては街の外に畑を設けているほか、遠くカリフォルニア州から仕入れているのだという。食料の輸送には、魔術連盟お抱えの護送屋などが行っているらしい。
この通りはワシントン教会のおひざ元にあるらしく特に警備が厳重だという。買い物をするときはここを使うと良いと言ってくれた。
話し中、ミサキの身の上を聞かれることもあった。状況をそのまま話してはまずいと思った結果「先日妖魔から逃げるようにして日本から来た。路頭に迷っていたところを拾って雇われた」と話した。
気のいい店主を騙すようで気が咎めたが、真実ではないがウソも言っていないよねと自分に言い聞かせる。
フローラは納得した様子で果物のおまけをしてくれた。フローラの人柄が身に染みる。ミサキは一礼した後で他の店へ行った。
「街がこんなになっても元気にお商売されてるだなんて。すごいですね」
ジェシーがワン!と一鳴きして応じる。ミサキは笑顔を返すと歩を進めた。
いくつかの店を回ったところで、いささか重みを感じるようになった籠を背負いなおす。おおよそ十キロはあるはずの籠だったが魔術のおかげか、先に籠の容量の方がいっぱいになってしまっていた。
「魔術、かぁ」
魔術。杖を振って光が散って、火が出たり水が出たり。おとぎ話の中ではもっぱら妖精が使っていて、主人公を助けるために使われていた。
悪い魔女もいたが、ミサキにとっては良い魔法使いの方がイメージが強かった。
「でもどちらかと言えばダレルさんは悪い魔法使いっぽいですよね」
ジェシーが「たしかに!」と言った様子でしっぽを振り跳ねる。くすくすと笑い、お買い物も済ませたことだし帰ろうと、足をアパートメントに向けたところだった。
「う、ううっ」
何かのうめき声が聞こえてきた。周りを見渡すと、道の脇に一人の小さな女の子がしゃがみ込んで泣いているようだった。ミサキは行こうか行くまいか悩んだが、だれも気に留めていないところをみて女の子の方へ足を運んだ。
「あの、大丈夫ですか?」
ミサキの声に、女の子が顔を上げる。まだ十歳もいっていないような幼い子だ。女の子は目を赤く腫らして大粒の涙を流していた。着ているものもボロボロで一目見て孤児とわかる風貌だった。
「わ、わたし。ひさしぶりにお金もらって。買い物してたら盗られて。もう何もないから」
鼻をすすり、涙を流す女の子。ミサキはカバンからハンカチと、籠からオマケでもらったりんごを二つほど渡した。
「あの、よかったら。ごめんなさい。少ないけれど」
女の子は呆然とミサキと手に持ったものを見比べる。ミサキが安心するように微笑みかけると、奪うようにりんごを手に取ってかぶりついた。涙はいつの間にか止まり、口いっぱいに果肉を頬張る。
「んー、甘い。おいしい! お姉ちゃん、ありがと!」
「どういたしまして! それじゃ、私帰るところだから」
「あ、まって。お姉ちゃん!」
女の子がミサキの服の裾をもって引き留めた。いきなり引き留められたからか、ミサキはつんのめった。
「お姉ちゃん、お礼がしたいの。うちまで来て?」
すそを引っ張る力は強い。よほど来てほしいのか女の子は満面の笑みで路地の方へと誘導する。
「えっと、ありがとうございます。でも――「ワン!」
ふとジェシーが女の子に対して吠える。唸り声をあげ、威嚇する。
「ジェシーさんだめです!女の子びっくりするじゃないですか!」
ミサキの制止にも聞く耳を持たず。ジェシーは今にも女の子に飛びかかろうとしている。ミサキは逃げてと女の子へ声をかけようと視線を戻す。
女の子はジェシーをじっと見ていた。目は大きく開かれ、瞳孔が猫のようになっていた。ミサキの視線に気づいた女の子は笑みを浮かべる。
「来てくれるよね? お姉ちゃん」
ワシントンDC旧首都警察署。コンクリートで舗装された外壁は、いたるところに亀裂が走っている。度重なる災害を越えてきたことを物語っていた。その玄関付近には紺色のスーツのような制服を着た人が立って警備していた。腰には拳銃が下げられている。
ダレルはスーツ姿の警備を抜けて中へ入る。フロントには同じようにスーツを着た女性が座っていた。よく手入れされた赤毛の女性で、ダレルの姿を見るなりほほ笑んだ。
「ようこそ国際魔術連盟統治機関ワシントン支部へ。今日は何の御用でしょうか」
「昨日こちらに引き渡したゴエティア構成員と面会したい。確認したい事柄ができた。
「申し訳ございません。生憎一度身柄をこちらに受け渡された場合面会は不可としておりまして」
「コールドウッド署長につないでくれ。それでわかる」
女性は訝しんだ様子もなく、耳に手を当てて目をうつろにした。コールドウッドと念話で通信しているようだった。二分ほど話し、「こちらで少々お待ちください。今署長が来ます」と女性は告げた。
「ありがとう。じゃ、こちらで待たせてもらう」
ダレルはフロントの脇に寄って壁に寄りかかる。しばらく待つと、一人の神経質そうな眼鏡をかけた白人がやってきた。紺色のスーツにはいくつかの勲章のようなものとジェームズ・コールドウッドのネームタグが見られる。
「相も変わらず厄介ごとを持ち込むのが好きな男だな君は。そんなに古株に愛着があるのか」
「……返す言葉もない。迷惑をかけるつもりはない。奴に話がある。終わったらすぐに帰るさジェームズ」
ジェームズは深くため息を吐くと、眼鏡をはずしてハンカチで拭く。眼鏡の下は眼光鋭く、しかし隈も見られた。
「いいか。10分だけだ。それ以上はまかりならん。……そろそろ現役時代の貸し返し終えてもいいんじゃないか」
「ああ、そろそろだな。まぁあと二回は頼めると思うがな」
軽口を叩きあいつつ、ジェームズの案内のもと留置場へと移った。
留置場には硬い鉄の扉が並んでいる。中の様子は小さな小窓でのみ伺うことができる。どこの部屋の人間も手首には厳重に手錠が掛けられている。部屋の中はいたって普通に見られた。壁一面に書かれた呪文を除けば。
中の人間は口をふさがれているものや身体を鎖で拘束されているものなど多種多様。ミイラのようにがんじがらめにされている者までいた。
ダレルはそれらを一瞥しながらジェームズに着いていく。
「やけに多いな。今満室か?」
「ああ。おかげで本部から応急措置として仮設まで設けている。全く、やつらここをホテルと勘違いしているらしい。なにやら不穏な結社の様子もあるようでな。それはともかく着いたぞ」
ジェームズは一つの扉の前へ立つと複雑な形状の鍵を差し込みひねった。
連続して鍵の外れる音がすると、独りでに扉が開いた。中では、手錠につながれた魔術師がイスに括りつけられていた。簡素な白いシャツとズボンのみを着せられている。髪は丸坊主にされている。顔は痩せぎすだが、その眼は焦点がぶれているらしく病的な雰囲気だった。
「それではきっかり10分だ。なにかあれば知らせろ。くれぐれも面倒事は起こすなよ」
ダレルは拳銃をジェームズに渡し、部屋の中へ入る。ジェームズは不服そうに眼鏡の位置を直すと、扉を閉め、錠をかけた。部屋の中に静けさが満ちる。手錠をかけられた魔術師はしばらくの間ダレルをじっと見ていたが、痺れを切らしたように震えた声を漏らした。
「ハッ。ハローハロー。ダレル・コーバック。本日はいいお日柄で。もっともこの部屋じゃ太陽も月も見えませんので、昼だか夜だかわかりませんが」
べぇと舌を出す。舌には複雑な魔法陣が描かれていた。
「なんならお前さんで壁ぶち抜くなりして確かめてみろ。一度見てみたくてな。聞いた話じゃ呪文を一小節でも吐けば即舌が焼けるらしいじゃないか」
ダレルは壁際によりかかって口角を上げる。魔術師は舌を引っ込め鼻を鳴らす。
「しませんよ。私は生き意地だけは貪欲でしてね。まぁそのせいであなたに儀式を止められたんですが。ああ、もう少しでかの地獄の王子を呼び出して不死の術を教えてもらえたのに! ホント本当に厄介なことをしてくれましたねェ!」
冷静に話していたはずの魔術師は言葉を紡ぐ毎に狂気を滲ませる。無駄だと分っているだろうにダレルへ食って掛かろうとしていた。鎖に仕込まれた呪詛が魔術師の体をきつく縛る。
「世間話をしに来たんじゃない。質問は三つだ。体をバラバラにされたくなければ端的に答えろ」
ダレルは魔術師の後ろへ回ると、鎖の余った部分を魔術師の首へと巻きつける。魔術師は額から冷や汗を流すと、罵詈雑言を止めた。静かになった室内に唾を飲む音が聞こえる。
「いい子だ。まず一つ目。誰に雇われた」
「い、言えない」
ダレルが鎖を引く。たちどころに魔術師の首を締めあげる。魔術師は「ぐ、が」と嗚咽を漏らす。ダレルがすぐに鎖をほどくとせき込んだ。ダレルは口を魔術師の耳元へやり、囁く。
「次はない。無言も拒否とみなす。……言い方を変える。お前を雇ったのはアフロディーメイザースか? 首を振って答えろ」
魔術師は青白い表情で首を縦に振った。
「二つ目だ。奴の目的を知っているか。知っているなら答えろ」
魔術師は歯を鳴らしつつ、後ろを覗く。
「ひ、一つ聞きたい。話したとして奴から守ってくれるか」
「少なくともここにはドラゴンが体当たりしてこようが耐えられるだけの結界がある。奴にどこまで有効しらんがな」
魔術師は生唾をのむと分ったといって深呼吸する。
「か、かの王は、この世界を救うのだと言っていた。神に供物をささげることで世界を元に戻すとおっしゃられた。それ以上は知らん!」
ダレルはしばらく顎に手を当てて考えていると、「三つ目の質問だ」と呟く。
「やつが今、どこにいるか答えろ」
「遠い異国に行くとは言っていたが私は知らん! さ、さぁ質問には答えたぞ。もういいだろう!」
「いいや、まだだ。『バインド。アンサズとペオーズ。汝の秘するところを口で示せ』」
魔術師の頭にひしゃげた「F」と折れ曲がり反転した「コ」を描く。魔術師は「やめろ」というが次第に体を痙攣させると首を天井へと向けた。ダレルは首を傾げる。
秘密を意味するペオーズと伝言を意味するアンサズのルーンを組み合わせた。たちどころに話し出すはず。痙攣、するということ即ち――。
『これは、いけない。他人の秘密を暴こうなんて。近頃の子はしつけがなっていないね』
魔術師から、紙を丸めたような老人の声がした。異質なのは声が老人そのものであるにも関わらず、話し方は少年のものだったことだ。ちぐはぐな話し方が異様さを深めていた。
ダレルは飛び退り、ジャケットに隠し持っていたナイフを抜く。
『おいおい、無礼な行為の次は野蛮な振る舞いかい。いやぁこれは楽しいなぁ。なに安心すると良い。思念投射だからね、できることは少ない』
魔術師は首をパキリ、ゴキリと鳴らしながら振り向く。もはやその表情に元の人物も面影はない。幾年の年月を経た『老人』に見えた。
『さて、質問に答えるとしよう。僕も死ぬのは怖いからね。僕は今日本にいてね。少し探しものついでにショッピングをね。いやーさすがメイドインジャパン。品質は一級品さ。ああ、よければ後でお茶でもどうだい?』
魔術師の顎が外れ、呵々と大口を開いて笑った。異様なその光景に、ダレルは刃を構え、戦闘態勢のまま鼻で笑う。
「ハッ。それは好都合だ。なら話は早い。俺もあんたには話がある。なんなら今からするか。
『カカカ! そう急かすんじゃない。こちらも忙しくてね。……と、ふむ』
魔術師の眼がダレルを凝視する。首がねじれ、目から血涙しつつも痛みを感じている様子はない。ダレルが咄嗟に隠形術でもって自身の気配を断とうとするが、向こうの方が早かった。老人は快活に笑った。
『ああ、これは面白い! 本当に素敵だね! この物語はやはり僕に味方している』
「物語?」
『ああ、何。ただの比喩表現さ気にすることはない。気が変わった。用を済ませたらすぐそちらへ行こう。僕らの姫をよろしく頼むよ、騎士くん』
笑い声を残し、糸の切れた人形のように魔術師の首が項垂れる。ダレルは額から滴る汗に気づくと袖口で拭った。手も汗ばんでいるが、ナイフだけは放さないように握りしめていた。
よくよく自分の体を視ると、体内に流れる精気が乱れていた。多くの魔術師を手にかけた人狼と一人で戦った時ですらこうはならなかった。
「畜生、一体なんなんだ」
ダレルは深呼吸を何回か繰り返して精気の乱れを整える。しばらくそうしているといくつもの足音がこちらに駆けてきていた。扉が開き、刀剣を持ったスーツたちがなだれ込んでくる。ダレルは潔くナイフを地面へ落として両手を上げた。
ジェームズが体の捩れた魔術師を見るなり眉間にしわを寄せた。
「これはどういうことだ」
「……もうすぐ来るんだよと。ソロモン王が」
顔色の良くないダレルを見て、ジェームズも状況を察したのか刀剣を持った者たちに魔術師の遺体を別室に運ぶよう指示した。
ジェームズは眼鏡の位置を直すと、ダレルを睨み付ける。
「お前はもう帰れ。この魔術師は蘇生後、尋問にかけて情報を再度洗い出す。わかり次第追って知らせる。一応マイクのところにも連絡を入れておくぞ、いいな」
「ありがたい。頼むぞ」
ダレルが部屋を出る間際、ジェームズがダレルの肩に手を置く。
「妹さんを悲しませるようなことだけはするなよ」
ダレルは「ああ」と抑揚のない返事を返して部屋から出て行った。
精気は戻ったが生きた心地はしなかった。
こんなことでは実際相対した時、望む結果は得られない。
「くそっ!」
苛立ちのあまり壁に拳を打ち付ける。血が滲むが、鈍痛が響くだけだ。
奴は完全に遊んでいた。その気になれば、確実にやられていただろう。生かされたのは、多分ミサキが関係しているからだ。
「アイツに何があるんだ」
疑問を口に出しても誰も答えない。代わりに、懐に振動が走った。みるとジェシーに持たせている護符が割れていた。
ダレルは駆け足に、フロントで銃を受け取ると警察署から出た。
時刻は昼を回り、空は赤みを帯びてきた。陽が傾き、これから夕刻を迎えようととしている。
「ジェシーさん、大丈夫ですか!」
閑散としたビルの中。その一つにミサキはいた。縄で縛られ、転がされている。
ジェシーは頭から血を流して倒れていた。小さく鳴き声を上げたところをみると、息はあるようだった。
ミサキはほっと胸をなでおろすと、目の前でたむろする子供の集団を見る。子供達はミサキが買ってきた籠を物色しては食べられそうなものを貪り食っていた。
「あ、あなた達なんなんですか。き、騎士さんたちを呼びますよ!」
子供たちはミサキの叫び声に対して一様に笑い声をあげる。ミサキをここまで連れてきた女の子がミサキに小走りで近寄ってくる。そのままの勢いで腹をけり上げた。
とても小さな女の子とは思えない衝撃。ミサキは軽く宙を浮いて二メートルほどふっ飛ばされた。
女の子がりんごの芯を吐き捨てて笑う。その眼は猫のように鋭く、頭からは猫のような耳がぴんと生えていた。
「えー、なぁに小さな声でよく聞こえなかったー。騎士様ー聞こえますかー。お姫様が呼んでますよー」
女の子が叫ぶが誰一人として来ない。帰ってきたのは静けさのみ。再び子供達の笑い声がビルに反響する。
「あのねぇ、簡単に叫んで助けを呼べるようなとこ根城にするかっての。バカじゃないの、お姉ちゃん?」
ミサキは嗚咽を漏らす。肩で息をする。腹が痛むが、それよりも恐怖が来ていた。
気が緩んでいた、といえばそうかもしれない。ここへ飛ばされ、ダレルに拾われてからというものいい人たちばかりに出会った。確かに大通りは活気に溢れてはいたが、一つ道を外れただけで世界は違った。ボロ布を一枚きているだけの浮浪者や発砲音が木霊している。少なくない老人や子供が集まっては何かわからない肉を食べている光景も見た。
日本では見ない、ストリートチルドレンを多く目にした。
ミサキは涙をこらえて、痛むのどを我慢して口を開く。
「ごめんね。お姉さんここに来たばかりだから。食べ物がほしいんだったら上げる。あなたたちの生活は邪魔しないから。ジェシーさんも手当てしないと、いけないし」
「ハッ! 知るかよそんな事!」
女の子は牙をむいて吠える。人間の声に混じって猫の「シャーッ」という威嚇音が混じっていた。
「アンタは生かしておく。ちょうどアンタみたいな女が好きな野郎がいるんだ。アンタ見てくれはいいし身ぎれいだしね。金をはずんでくれるみたいなの」
「おい金は山分けだからな!」
「わかってるわよ! アンタは犬らしく肉でも食ってなさいよ!」
女の子は頭からたれ耳が生えた男の子へ叫ぶ。男の子は肩をすくめて肉を生のまま齧りついていた。
ミサキは子供たちをみていて気付いたことがある。子供は八名ほど。年齢もばらばらでミサキほどの子もいた。人種も様々だ。しかし一貫して「動物のような部位」があった。仮装、ではなく実際にしっぽや耳が生えているようだった。
「その体、どうしたんですか?」
「はぁん? なぁにお姉ちゃん。亜人も知らないの?よっぽどいいところに住んでたのね」
女の子はミサキに近づき、ミサキの髪の毛をつかんで頭を持ち上げた。
「私らは亜人。普通の人より少しだけチャームポイントの多い子よ? そのせいでくそったれなお母様とお父様に捨てられてね!」
女の子はミサキの頭を床にたたきつける。程度は軽いとはいえコンクリートの床だ。鈍い音が響く。
「毛玉を吐くのがキモイ。目が光るなんて怖い。力が強くて手に負えない。ふざけんじゃないわよ。何? そんなに普通が上等だっての? たかが数メートルも飛べないわネズミにおびえてるわ。そんなよわっちこいくせして、何が「ケダモノ」よ!」
一言ずつミサキの頭を打ちすえる。ミサキの頭から血が滲み、床に染みを作った。自制したのはあまり傷をつけては売り物にならないからだろうか。女の子はミサキの傷口をざらつく舌でなめた。
ミサキはぼーっとした目で、女の子を見る。
女の子がミサキの姿をあざ笑う。すると、ミサキは笑い返した。
「わ、わたしは嫌いじゃ、ないです。かわいいですよ、とっても」
ミサキの手が女の子の耳に触れる。優しく撫でる。
女の子は目を見開き、予想外のことに明らかに動揺しているようだった。
時間にして二秒ほどだろう。ミサキは縄を切ると、女の子へと刃を振るった。
腰から抜刀した一撃は常時なら様になっただろう。しかし頭をやられていたからか、狙いは外れ、そのまま床に倒れ伏した。
女の子は床に倒れたミサキに、歯をむき出して蹴飛ばす。
「へぇ。ありがと。かわいいって、ペットとしてって意味よね? 虫唾が走るわ。でも喜びなさい。アンタもこれからペットの仲間入りよ」
女の子は口の端についたミサキの血をペロリをなめて笑った。
ふと子供達の中の一人、十代後半と思わしき男の子が手を上げる。筋骨隆々の肉体。黄色人種であり、髪は金髪に黒いメッシュが入っていた。どことなく虎と思わせる男の子だった。
虎の男の子が手を上げると、周囲の子供たちは口を閉じてそちらを見た。
「静かに。人間が来た」
子供たちが蜘蛛の子を散らすようにばらける。
ここはビルの四階部分。多くの亜人にとっては取りに足らない高さだが、人間ではそうもいかないだろう。ビルの一階部分に近づく人影を、子供達は見た。
薄汚れた風体の男。長髪を流したままにして、ぱっと見た印象からか冴えない男のようだった。ふらふらとした足取りだがこのビルが目的地のようだった。
子供達の一人が声を上げた。像の鼻をした体の大きな子だった。
「あいつだよあいつ。取引したやつ。受け取りに来たんだ」
子供達は金が入る喜びに一斉に立ち上がる。
「騒ぐなッ!」
虎の咆哮が混じった声を上げる。子供達は一斉に竦みあがり、口を閉じた。
「よし、キティとエレフは出迎えて来い」
虎の男の子はミサキを蹴飛ばした女の子と先ほど声を上げた像鼻の男の子を指さす。二人はうなづくと、一階へと駆けて行った。
虎の男の子は喉奥で唸る。
「お前ら、準備しとけ。何か匂う」
キティとエレフが一階部分に着くと二人は鼻をつまんだ。
「く、くさい。アンタ体臭やばいわよ」
男はスカンクの亜人と錯覚するほどの臭いを発していた。男は「はぁ」と気の抜けた返事を返し、自分の体をすんすんと嗅ぐ。
「へぇ。もう半年は水浴びしてませんで。へへ、ちょっと臭いですかね」
「ちょっとどころじゃないわよ! 全く」
「キティ。はやくつれていこ。オイラ鼻が曲がっちゃうよぉ」
「アンタはいつでも曲がるでしょうが! くっそ、ほんとツいてないわ」
キティとエレフが男を案内する。階段を上がり、抜け落ちた踊り場を曲がって通路へ。男はぼーっと回りを見ているようだった。
「へぇ、いいところに住んでますねぇ」
「何嫌味? それとも人間特有のジョークかしら?」
「いやいや安全なとこで屋根があって雨風しのげるだなんて。災害当初なんてどこのビルがいつ倒壊するかってんでひどかったもんで」
歯の抜けた間抜け面で男が笑う。キティは気持ち悪そうに男から視線を外す。
通路を進んで縄梯子を上る。男。キティ。エレフの順だった。
「着いたわ。ここよ」
扉を開けてキティとエレフが部屋へ通した。中には虎の男の子が一人でいた。
他の仲間は何かあったときいつでも対処できるよう隠れているのだろう。
虎の男の子は男が放つ臭気に顔をゆがめた。
「お前が受取人か。やけに早かったな」
「へ、へぇ。いやぁもう待てなくてですねぇ。待ちかねてきちまいましたんで」
男は目の前の男の子に心底おびえた様子で揉み手をしている。虎の男の子は舌打ちをすると、顎で床を指した。床にはミサキが転がっている。
男が目を細める、近寄った。
ミサキにあと数歩で触れるといったところで、虎の男の子が制する。
「待て。その前に金と合言葉を言ってもらう。忘れたのか?」
「へあ、申し訳ありませんで! ではでは――中国の故事曰く。傲慢な男は力をつけた」
「……しかして、その身は虎に。傲慢さ故に身を滅ぼした」
「何かのおまじないですかね? ああ、無駄口はよします。ヘヘ、ありがてぇ。では約束の金です」
男は懐から札束を取り出すと虎の男の子へ投げた。男の子は札束を数え終えると
頷いた。
男はもみてをしながらミサキに近づき、優しく抱き上げた。
抱き上げたのを確認すると、虎の男の子が手を上げる。
すると周りにいた子供たちが一斉に、取り囲んだ。子供達が命令に従って取り囲んだはいいものの、状況を理解していないようだった。
キティが「ちょっと!」と甲高い声を上げる。
「ねぇ、こんな臭いやつさっさとお引き取り願いましょうよ」
「こいつは偽物だ」
虎の男の子は唸り声をあげる。男は顔を白くして首を勢いよく横に振る。
「な、なにをおっしゃるんですか!」
「バカな芝居はよせ。なぁ魔術師」
男はミサキに視線を落とす。血は止まっているが額がぱっくりと割れている。
魔術での治癒は可能だが、治ったとしても傷が残るかもしれなかった。
男は虎の男の子を見る。その顔は、別人になっていた。
駒落ちのように子供達の眼から薄汚れた男が消える。代わりに出てきたのは、体格の良い男。無精そうなのは変わらずだが、異質な空気を纏っていた。腰には重そうな自動拳銃を下げている。
男――ダレルは片眉を上げた。
「へぇ、驚いた。確かに認識阻害の魔術は得意じゃねえけど、普通のガキに見破られるとはな。鈍ったかな」
「いや。変装は完璧だったぞ魔術師。臭いもうまく誤魔化していた。ただ取引相手の男は「サンゲツキ」とやらの内容に詳しかったはずだった」
ダレルは苦々しそうに目線をそらす。元は学生だったのかもしれない。妙に学があるやつだったと後悔する。
ざっと観たところ亜人の子供達の集まりだった。子供達は急に現れた男に大して警戒心丸出しといった様子で構えていた。
虎の男の子が一歩、前へ出る。深く息を吐き、ダレルを睨み付ける。
「面白い話だった。虎に変貌する男の話だったか。傲慢さが身を変異させたとか。皮肉っていったつもりなのだろうが、生憎俺は慎重さが売りでな」
男の子が牙をむき、口をゆがめる。顔が虎に、体には白と黒の体毛が出てきていた。笑っているのだと気づくのに、少し時間が要った。なかなか凶悪な笑みを浮かべる。
ダレルはさてどうしたもんかと考えていると、ミサキがううんと唸った。
「う、うう。なんか臭いです」
「お前起きて一番がそれか」
ミサキが顔をしかめて目を開けると、ダレルの苦笑が見えた。ミサキは安心して顔を綻ばせると回りを見渡してさっと青ざめた。
「ダ、ダレルさん! ごめんなさい! ご飯食べられちゃいました」
「お前マジか。あぁ、一度に買ったなお前。これだから日和見加減な日本育ちは」
空気が変わる。張りつめていたものが緩んだ。子供達は口喧嘩するダレルとミサキに困惑していた。するとキティが前へ出る。体は変異し、大きな猫のようになっていた。
『あんたら、ふざけたコメディ広げてんじゃないわよ。その喉笛かみちぎるわよ!』
ミサキがダレルにしがみつく。
ダレルは面倒そうに首を鳴らすと、口笛を鳴らした。
「ジェシー。出番だ。喰うなよ」
犬の遠吠え。ビル全体を揺らすような、大音量。子供達は獣の姿になっていたからだろうか。元々持っていた本能故だろうか。声の方を見て一歩、後ずさる。そこには手負いのコーギーがいたはず。で、あるにも関わらず今は大きな狼がいた。
虎の男の子は肝がいくらか座っているようだった。意識はすでにジェシーの方へ向いている。
「おい、なんだアイツは!」
「亜人のガキども。よかったら遊んでくれよ。うちの犬神、最近遊ばせてないからな。じっくり走り回るといいぞ」
ダレルがミサキを抱えてしゃがみ込む。ジェシーが再びの遠吠え。その尾を振るった。ビルは衝撃に耐えかね、鉄骨を軋まる。
部屋が次第に傾いていって――ビルは悲鳴を上げて倒れた。
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