第2話 汚い部屋と心の中で

 田舎の小さな祭りだった。両親が管理している神社では、毎年夏と冬に祭りを開いていた。田舎とはいえ近隣住民が一堂に集うとそれなりに活気があふれた。

 ミサキが部活から帰ると、本番は夜からだというのに気の早い人たちが屋台を始めていた。苦笑を零しつつもご近所さん方に挨拶して回る。


「よぅ、ミサキちゃん! かわいい巫女姿期待してるよ!」「時間空いたらたこ焼き食べに来てくれよー」「またうちの子と遊んでやってほしいわ」


 屋台から暖かい言葉が投げかけられる。子供の少ない田舎町だからか、ミサキはおじいさんやおばあさん方から特にかわいがられていた。

 祭りが始まり、祭囃子が境内に響く。ミサキは社で巫女装束に着替えようとしていた。祭りで踊る神楽舞はここ三ヵ月間、母親の指導のもと猛練習したのだ。絶対成功させる。そう、自分を奮い立たせていた。

 ふと外から声が聞こえた。お祭りが盛り上がっているからか、と思えば違う。悲鳴が連続して聞こえる。

 何事か。社からふすまを開けて覗く。

 ――そこはあたり一面、鉄の匂い、赤色、倒れ伏した人々でいっぱいだった。一人の男とバケモノがその中心に立っている。状況が把握できないままにお父さんとお母さんはと必死に探して――見つけた。バケモノの両手に「握りしめられている」。

 魔法使いのようなローブを着た男は、こちらを見て微笑んだ。


「やっと、見つけた」



 記憶から逃げるように覚醒する。はっと目を開けると、見知らぬ天井が見えた。

 頭に響く記憶と祭囃子は徐々に薄れ、代わりに古めかしいジャズミュージックが流れてくる。窓からは夕陽が差し込んでいた。


「ここ、どこだろう」


 当たりを見渡すと、ミサキはソファの上で寝かされていた。そこらじゅうカップメンの容器や空の缶詰で埋め尽くされている。そこら一帯がゴミだらけで、ソファの脇に置かれたラジオと玄関脇にあるコートハンガーが逆に目立っていた。シンクとコンロはゴミに浸食されているらしく場所がわからない。足元には一匹のコーギーがミサキをじっと見ていた。

 ミサキが起きるのを待っていたかのように、コーギーは一鳴きすると隣の部屋へ走っていく。

 まだ夢の中だろうかと、はっきりしない頭を振る。いや、違うとミサキは頭を振った。


「そうか。私、アメリカに来たんだった」


 四十年後のアメリカ。荒廃したワシントンDC。そして――魔術。確かにいつかはアメリカに来たいと思っていた。そのために読み書きを猛勉強し、数学の成績と引き換えにリスリングヒアリングも上達してきたところだった。


「まるで漫画みたい」


 口に出したところで現実からは覚めてくれない。目を伏せて途方に暮れていると隣の部屋からコーギーが戻ってきた。後から男性も出てくる。両手には皿とフォークを持っていた。


「おう、起きたか。メシだぞ。ってどうした」

「え?」

「いや、ん」


 ダレルが自身の頬を指す。ミサキも真似て、自分の頬に触れると指先が湿った。

 自分でも知らない間に涙を浮かべていたようだった。


「あれ、なんでだろう」


 ごしごしと袖口で拭い、鼻水を啜る。ダレルは拭い終わるのを待ってミサキに皿を一枚差し出した。受け取ったものを見ると、真っ白い皿の上に真っ黄色のスクランブルエッグ、焦げ色の目立つハム、真四角にかたどられたパンが載せられていた。


「なんですかこれ」

「なんですかとはなんだ。とっておきの缶詰だぞ。いいか、これからお前が家事手伝いをするんだからな。少なくとも俺よりはマシな料理を頼むぞ」


 ダレルはミサキの隣に座るともそもそと食べ始めた。ミサキも皿に視線を落とす。少し逡巡した後、いただきますと言ってからスクランブルエッグを一口食べた。


「ん、んー? なんかします。あ、こっちのハムはマシかな。でも塩辛い……。パンはすごくかたいです」


 口の中に広がる微妙な味が、日本語で文句を零させた。日本語が分らないであろうダレルが、ミサキを見るなり鼻で笑う。


「文句の多いガキだな。嫌なら食べんでいい。いっておくが食べられる災害前の缶詰なんぞ値段が高騰しててそうそう手に入らんぞ。このスクランブルエッグは良質な粉末卵から。スパムとパンは海兵隊の缶詰を魔術による冷凍保存したものだ」


 ダレルはハムをかじりつつ、得意げに語る。ふーんと呑気に聞いていたミサキだったが言葉に違和感を感じた。


「さ、災害前ですか?」

「ああ? ああ、災害前だ。どうした。もっとうまいもん食べてましたってか」

「いえ。え、えーと。四十年前、でしたよね」

「別に腐ってないんだからいいだろう」


 そういう問題だろうかとミサキは冷や汗を流す。賞味期限を二日過ぎているレトルト食品でさえ捨ててきた。ただでさえかなり昔のものなのに魔術なんていうワケノワカラナイ保存法というオマケ付きだ。

 ミサキは得も言われぬ吐き気を飲み込みつつ、気分を切り替えるため「よし」と声に出した。


「いただきますって言いましたから食べます。ケド今後は考えさせてもらいますから。缶詰ばっかりだと栄養も偏りますし。……あと部屋も掃除しますから。食べ物食べる環境じゃないですし」


 硬いパンをかみちぎり、スパムにかぶりつく。お世辞にも旨くはないが、ダレルがとっておきといって出してくれたものだ。残すと失礼にあたるし、なにより出された食事を残す性分ではない。

 言い返そうとむっとした表情で口を開いたダレルだったが、勢いよく食べるミサキと足元で骨をしゃぶるジェシーを見るなり自分も食事に戻った。



 二人と一匹は食事を終えると隣の部屋へと移った。隣室は二十畳ほどあると思われるソファの部屋とはうってかわり、十畳ほどの広さしかなかったがきれいに整理されていた。その代わり様々なモノがいたるところに置かれている。毒々しい色の観葉植物に、アフリカにありそうな奇妙な形の人形、見たこともないような文字が書かれた石板。壁一面には多種多様な銃器や刃物が掛けられていた。唯一まともなのは部屋の隅におかれた冷蔵庫とコンロ、フライパンなどの調理器具だった。さすがに調理に必要な物はゴミ部屋から避難させているようだった。


「向こうの汚い部屋と違って整理されてますね。物は多いけど」

「仕事場だからな。あと汚いっていうな。きっちり定期的に掃除はしてる」


 その定期的の頻度が気になるミサキだったが、また言葉に出すと怖い表情を向けられそうなのでやめた。

 ダレルは部屋の中心にあるテーブルに一枚の地図を出す。地図は二枚あった。世界地図とこのワシントンDCを切り取った地図だった。


「いくつか現状を説明しておく。マーサばあさんが説明はしてくれたが要約で理解された気になってもらっちゃ困るんでな。お前さんの仕事は家事全般をしてもらうことだが、現状を理解することから始めてもらう。いいな」


 ミサキは緊張の面持ちでコクリと頷く。ダレルはまず世界地図を見せた。

 ミサキの知る世界地図とは大きく異なっていた。ユーラシア大陸は似ているところも多いが、東南アジアにあるはずのたくさんの島がなくなっていた。代わりにあるのは大きな大陸。中国やアメリカ大陸にはいくつもの大きな穴が開いていて、アメリカ西海岸などは大きく抉れていた。


「まず第一災害で大陸の隆起や沈没が起こった。かつて東南アジアと呼ばれていた区域も今じゃだ。空ははるか成層圏までバケモノ達の縄張りだから航空機も飛ばせんし、異常気象の影響で通常の通信機器もだめになった」


 当然の如く語るダレルだったが、ミサキはそうもいかない。ダレルが淡々と語る出来事が、シスターの言葉よりも重くのしかかった。


「こ、ここは何があったんですか」


 ミサキは息を飲みつつも、なんとか声を出してアメリカ大陸西海岸だった場所を指す。ダレルが面白くもなさそうにああと嘆息した。


。言葉通りにな。これが第二災害だ。災害当初に魔術を使えると分った連中が龍脈やらパワースポットを使って儀式をやってな。失敗した結果がこれだ」


 次に、とワシントンDCの地図に移る。


「このワシントンDCはワシントン大聖堂が主たる宗教施設だ。さっき行ったところだな。ちょうどこの街一体半径数十キロが安全地帯になってる。そこから先は妖魔の巣食う地獄だからな、勝手に出るんじゃないぞ」


 ミサキはコクコクと頷く。まだ実際に見たことはないが、つい先刻みた蝙蝠のようなものがうじゃうじゃいる光景を想像して冷や汗を流す。思わず食べたものが逆流してきそうだった。


「で、肝心の魔術だが――ミサキ。お前魔術ってどういうものか言ってみろ。お前のイメージでいい」


 唐突に話を振られ、えっとと言葉を詰まらせる。うーんと唸ってからはたと物語が浮かんだ。


「シンデレラのフェアリーゴッドマザーですかね。ビビデ・バビデ・ブー!って杖をびゅんと。魔法がきらきらーって」

「えらくファンシーな趣味だな。14だろ」

「す、好きなんだからいいじゃないですか! あと14じゃなくて15歳です!」

「まぁ細かい事は置いておいてだ。極論から言えばそれも正解だ」


 へ、とミサキの目が点になる。声のトーンからてっきり鼻で笑われるかと思っていた。


「正確には魔『法』じゃなくて魔『術』だがな。わかっていない部分も多いが、不思議なことに俺らの使う魔術は昔実際に使われたとされてきたものをそのまま流用してる。史実じゃタダのハッタリだとかに過ぎないはずなのに、だ」


 ダレルはテーブルに置かれたキャンドルを持つと深呼吸をする。指先をキャンドルの導火線へとやる。


『その意味するところを為せ――カノ』


 ライターやマッチを使わず、呪文を言ったとたんに火が点いた。ミサキは改めて不思議なものを見た気がして火をじっと見つめていた。


「大掛かりな手品と言い換えられるかもしれん。タネは大地に流れる龍脈や体内に流れる精気オド、現象は術理があって初めて成立する。たださっきも言ったようにまだわかっていないところも多い。龍脈のエネルギーが何故災害前に計測されなかったのか、妖魔や魔術が何故人が語ってきた文献そのままなのか。って聞いてるかオイ」


 ミサキはダレルの話を聞いてはいるようだったが、薄暗い部屋の中でキャンドルをじっと見ていたせいか舟をこいでいた。


「あ、えっとすいません。なんだかすごく眠くて」

「お前授業とかよく眠っていたクチか。まぁいい。飛ばされたのが事実なら身体に影響が出ても不思議じゃないからな。とりあえず今日は休め。仕事内容は……また話す」


 ダレルはなにやらばつの悪そうな顔をして締めくくる。ありがとうございますと呟いてから、ミサキは首を傾げた。


「そういえばベッドが見当たらないんですが……」

「ああ、それならこっちだ」


 部屋の脇、机と壁の銃をいくつか外すと一枚の扉が出てきた。ダレルはジャケットのポケットから古めかしい鍵を取り出して開けた。カチリ、と小気味いい音が聞こえた。ミサキがダレルの後ろから中を覗くと暗くて見えなかったが、ダレルが脇にあるガス式と思わしきライトを点けると様子が見て取れた。

 ベッド、机、衣装ダンス、かわいらしい装飾の壁掛け時計、小物入れと思わしきファンシーな箱。部屋の広さはダレルの仕事部屋とさして変わらない。住みやすそうな、女の子の部屋だった。清潔で、悪臭や埃が舞っている様子もない。隅々まで掃除されていた。ミサキが部屋を見渡すと、デスクに写真立てが一つ。写真にはまだ若かりし頃のダレルと一人の少女がいた。


「この部屋を使え。必要なものはだいたいあるはずだ。なければマーサに言いに行け」

「えっと……使ってもいいんですか?」


 ミサキは言葉を濁らせて、疑問を投げかける。机や銃で隠していたのにも関わらず掃除の行き届いた部屋。写真立ての少女が関係していることは簡単に想像できた。ダレルは少し間をおいてから「別に」と呟く。


「今は誰もいないからな。好きに使え。服もあるから合うものを探せ」


 ダレルは部屋から出ようとして、扉の前で立ち止まった。ミサキへ振り向くと、苛立った表情で頭をかいた。


「あー。なんだ、明日から仕事してもらうからな。しっかり寝ておけよ。朝昼晩のメシと洗濯、掃除だ。やることは多いからな!」

「は、はい! あ、ダレルさんは?」

「俺はソファで寝る」


 そういってダレルは部屋を出て行った。ミサキは一人、部屋に残された。所在なさげに部屋を見渡して、ベッドに腰掛けた。ふかふかのベッドが体を優しく受け止めた。

 ここにきて数時間といったところだろう。まだ状況は把握できていないし、わからないことだらけだ。説明はされるがそれの何割理解できているか。早く帰らなければ。早く帰って――帰って?

 自問自答の答えを拒むように頭を振る。ふと視線の先にさきほどの写真が見えた。

立ち上がって写真立てを手に取る。若かりしダレルはどことなく照れつつ、むすっとした表情を浮かべている。まだ20そこそこだろうか。体はかなり鍛えられており、軍服のような服装だ。それなりにイケメンと言えるかもしれない。

 脇に立つ少女は対照的に満面の笑みを浮かべていた。頭はブロンドで髪をポニーテールに結っている。背はダレルより頭一つ分小さいながらも、ダレルに肩を組んでピースまでして。ダレルと似たような軍服を着ているが、着こなしはダレルよりも様になっている。微笑みには幼さが残っていたが、整った顔立ちだった。どことなく目元がダレルに似ている。


「妹さん、かな」


 今はもう誰もいない。どこか、遠い場所へいってしまったのだろうか。

 ミサキは写真を撫でる。写真の二人は、仲良くいつまでも変わらないように思わせた。



 ダレルは部屋から出ると、ソファに体をうずめた。弱ったスプリングが体を深く沈める。心配してだろうかジェシーが駆け寄ってダレルの顔をなめた。ダレルはありがとよと言葉をかけつつジェシーを撫でてやる。


「心配させたか? そんな軟じゃない。感傷に浸るほどじゃない」


 そう、感傷に浸るほどじゃない。だが――泣いているのを見るのは少し堪えた。

 そこまで似てはいない。そもそも人種が違う。『彼女』は自分と同じ白人で顔だちもはっきりしていた。あの日系の代表のようなのっぺり日和見雰囲気の黄色人種とは違う。髪も黒髪でなくブロンドだった。それでもどことなく似ていた。どこもかしこも違うはずなのに、泣き方だけが似ていた。

 すでに彼女がいなくなってから二十年ほどが経つ。記憶は日々の暮らしで上書きされ摩耗していくが、彼女との想いではいつまでも残り続けていた。

 彼女の声は未だ頭の中で反響している。


『ダレル兄さん。もっと笑って! 仏頂面だから女の子をよく泣かせるんだよ?』


 耳にタコができるほどさんざん言われていた。「面白くもないのに笑えるか」と決まって返すと、「じゃあ私が笑わせる! 兄さんを負かしてやるわ!」とジョークを話し出す。たいして面白くないジョークだが必死な彼女の様に次第に笑いがこみあげ、負けていた。

 どうしようもない遠い記憶だ。

 嫌に昔のことを思い出すなと天井をにらんでいると、静まり返った室内から泣き声が聞こえてきた。ミサキの部屋から声はする。日本語だろうか、教会で聞いた「おかあさん、おとうさん」という言葉が聞こえてきた。

 言葉の意味はわからない。だが、だれかを呼んでいることはわかった。ジェシーはミサキが心配になったらしく、彼女の部屋へと駆けて行った。


「――笑えるかよくそったれ」


 自分への嘲笑を浮かべつつ、ダレルは眠りの中に落ちて行った。



 ミサキの朝は早い。自分から起きてきたといえばそうではなく、朝六時にセットされていたらしい目覚まし時計とジェシーの顔舐め攻撃で無理やり起こされた。持ってきていたカバンをあさり、タオルで顔を拭く。また知らない間に泣いていたらしい。泣き声が隣の部屋まで届いていないよう願うばかりだった。

 簡易コンロの横にあったシンクから水を出して顔を洗う。ガスに関してはボンベを使っているようだが、水のみは引けているようだった。タオルを濡らして部屋で簡単に体をふくと、仕事にとりかかった。

 ミサキが身支度を整えてリビングに行くと、ダレルがソファで寝ていた。ジャケットはコートハンガーにかけらえており、上は黒の簡素なインナーのみだった。下はミリタリーパンツにブーツ。しゃれっ気もない。顔立ちは写真よりいくつか皺が増え、渋さがにじみ出ていたが如何せんきっちり整えられておらず無精さが先に来ていた。適当に切られた髪があちらこちらに跳ねている。

「あの青年がこうなるんですね」

 髪を整えようとして手を伸ばすとダレルの目が開いた。突然起き上がると、腰のホルスターから拳銃を抜き出してミサキに突きつける。トリガーに手をかけようとして、止めた。ミサキは悲鳴すら出せず体を縮めていた。


「すまん」


 ダレルは静かにホルスターへ拳銃を収める。自身の顔を撫でると目が覚めたのかミサキに苦々しそうにおはようと言った。


「やけに早いな」

「あ、えっと。目覚ましが優秀でしたので。それよりもダレルさんにも手伝ってもらいたいんです」

「あん?」 


 都合三時間ほどで部屋は片付いた。いるいらないの分別がそもそもいらず、ゴミしかなかったのが幸いだった。ゴミの分別も、ゴミ焼却場が機能していないと聞いてとりあえずひとまとめにするだけでいいと判断した。ただひたすらにゴミを袋に詰めては外に出す。溜まったごみはあとでまとめてダレルに焼却処分してもらうよう頼んだ。ダレルは「なんで俺が」とぶつくさ文句を言っていたが、「今日がゴミ出しの日だったんですよ」と言うとむすっとしながらも手伝っていた。

 掃除が終わると、リビングから発掘されたコンロとシンクを洗う。仕事場の簡易コンロとシンクを使うのはいいが、ミサキにとってはこちらのほうがいい。気味の悪い人形に見られながら料理するのはいやだった。

 冷蔵庫をリビングに戻し、材料や調味料を確認する。基本的な調味料や調理器具はそろっており――中には使われた様子もないまま悪臭を放っているソースを見つけつつ――整理を終える。材料に関しては基本的な食事は缶詰や魔術冷凍保存されたレトルト食品らしい。ミサキは普通の野菜やお肉は売っていないのかとダレルに聞くと「売ってるには売ってるが食えん。調理するのは手間だ」と返ってきた。

 自堕落ここに極まれりと、嘆息しつつとりあえずビーンズ缶と粉末卵、冷凍保存されたいたベーコンを取り出す。ベーコンは不思議な文字の書かれたジップロックに真空詰めさられていた。開封するとベーコンのいい香りが漂う。

 ダレルがソファで「こいつ本当に大丈夫なのか」と訝しむのを無視して調理を進める。ボウルに粉末卵を入れてミネラルウォーターを入れて溶かす。普段は生卵を使っていたが、アメリカでは衛生面で粉末卵が主流だったなと思い出す。

 空気を入れるようにヘラで優しく卵を溶かし、フライパンでじっくり焼く。少しの醤油とマヨネーズを入れてくるんと巻いてこれで一品。ベーコンはカリカリになるまで焼いて、ビーンズ缶とスイートコーン缶を開けて軽く塩コショウをして炒めた。硬いパンに関しては残しておいた粉末卵を溶かした液を塗って軽く焼く。

 こうしてふわふわトロトロのオムレツとカリカリベーコン、ビーンズ&コーンのサラダにフレンチトーストが出来上がった。でき合わせにトマトスープの缶詰を添える。それなりの朝食だった。

 ミサキは確かな達成感を覚えつつ、皿に盛ってダレルに渡す。ダレルは一見してまともな料理に目を丸くしていたが、オムレツを口にいれると「うお!?」と驚きの声を上げた。


「どうしました?」

「あ、ああ。いや思った以上にうま……それなりに食えると思ってな」


 ダレルはゴホンとむせつつ、黙々と食べ進める。その様子にミサキは微笑みつつ、自分もいただきますと言ってから食べ始める。味に関しては物足りない感が否めないが、限られた材料でよくやったと思うべきだろう。ジェシーの方にも皿を置くと瞬く間に平らげてしまった。「初めてこんなおいしいもの食べたよ!」と言わんばかりにしっぽを振っている。

 食べ終えた後、ミサキが洗い物をしているとダレルがコホンと咳払いをした。


「あー、ミサキ。食事の出来はよくわかった。ただ缶詰を使わず料理してもらいたいんだが」

「? 缶詰しかないんですよね? バターの油揚げとかはいやですよ」

「いやそうじゃない。街に慣れる必要もあるだろう。マーケットで今後は買い物してきていい。金は出す。無駄遣いはするなよ」


 輪ゴムでまとめられたいくつかの札を出すと、ミサキに手渡す。ミサキはそれなりの額を手に握り、うなづいた。


「ダレルさん、私頑張りますから」

「おう。まぁそれなりにな。もう一つ話がある。お前が見たバケモノの話についてだ」


 ダレルが真剣みを帯びる。ミサキの体が少し強張った。


「できる限り調べてはみるが、やつはこの時代すでに死んでいる。死因は公式に結社から「魔神召喚による事故死」と発表されていてな。やつにたどり着く確証はないとだけ言っておく」


 ミサキはコクリと頷く。それは薄々気づいていた。話の端々から伺えることからもあの男が簡単に捕まえられるとは思えなかった。


「だがたどり着いた場合、お前の両親の死をなかったことにできるかもしれん」

「え?」


 想像していなかった言葉にミサキは思わず聞き返した。


「これも確証はない。だができる可能性はあると俺は踏んでる。容易い事じゃないが、そこでだ」


 ダレルはミサキの視線に合わせるように屈むと、まっすぐに眼を見据えた。


「お前、俺の仕事を手伝わないか。なにも人殺ししろってんじゃない。お前自身がお前の両親を奪い返すための術を教えてやる。どうだ?」


 思いがけない言葉だった。自分にはできっこないという思いが頭を上げるが、ダレルの視線がそれを留めた。

 したい。どこまでできるかわからない。涙を流して家事だけして待つことは、ミサキにとって逃げているように感じられたが荒事は元来苦手な部類だった。


「お願いしたい……ですけれど、まだ返事は」


 ダレルはそうかと言って踵を返す。コートハンガーにかけられていたジャケットを羽織ると、玄関の扉を開けた。


「すぐでなくてもいい。よく考えておくんだな。夜には戻る。昼は適当に作って食べてろ。ああ、買い物へ行くんだったら鍵は仕事場に掛けているから勝手に持っていけ。ジェシーも置いていく」


 そう言い残して部屋から出て行った。ジェシーはミサキを見上げるとワンと一鳴きして首を傾げた。ミサキはしばらくぼうっと立っていたが、よしと気合を入れると傍らの相棒に笑いかけた。


「お買い物行きましょうかジェシーさん」

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