第12話 正しさへの憧憬

 ミサキが目覚めると、どこかの部屋に寝かされていた。部屋はきれいに整えられており、ベッドメイクされている。

 洋風づくりの部屋だった。異常なまでにきれいに整えられていた。

 知らない場所に再びいること。ダレルたちは今どこに。

 疑問と状況を整理していると部屋の扉が開く。扉からは一人の老人が出てきた。

 一見して優しそうなおじいさんだった。


「あ、あなたは」

「やぁ、よく眠っていたね。老人になると眠りが浅くなってしまっていかんよ。うらやましい限りだ」


 老人は無邪気な子供のように駆け寄ってくると、ミサキの手を取った。


「さぁあちらへ行こう。食事の準備ができているんだ」

「ちょ、ちょっと待ってください! ……あの、もしかしてあなたがアフロディさんですか」

「ええ、そうだとも。僕がアフロディ・メイザース。以後お見知りおきを」

「……嘘。貴方人間?」


 仰々しく礼をした老人へ、ミサキは一歩引いた。ミサキの目がとらえた霊気が明らかに異常だった。

 色が虹のように変色しては消えていく。黒くなったり、白くなったり。常に流動していた。

 ミサキの言葉は想像だにしていなかった老人は「ほぅ」と感嘆の声を漏らす。

 すると少年のような笑みから老獪な年相応の笑みへと変えた。


「これは思いもよらなかった。よくよく面白いめぐり合わせだね。疑問も多いだろう。ささ、こちらへ来たまえ」


 ただの言葉のはず。しかし有無を言わさぬ拘束力があった。

 言霊、とダレルに言ったことを思い返す。これも言葉の力なのだろう。

 ミサキは飲まれてはいけないと「わかりました」と自分の意志で返事をした。



 外へ出ると室内とはうって変わってコンクリート打ちっぱなしだった。外は暗く、ここがどこでいま何時かすら把握できなかった。いくつかの部屋を取りすぎ、老人、もといアフロディに案内されるまま一つの部屋へと通される。

 映画でしかみたことのないような長いテーブルに、所せましと料理が並べられている。


「さ、座ってくれたまえ。どこでもいい」

 

 ミサキはテーブルの端に座る。するとタミングを見張からってメイドらしき人が入室してくる。ミサキの目の前にお茶を一杯淹れるとそそくさと出て行った。

 アフロディは対面するように、長い机の端へと座った。

ミサキとアフロディは長机の両端でお互いを観る。

アフロディはミサキをなめまわすようにみているとくつくつと笑いを零した。笑い方は上品な貴婦人のよう。手を口に当てて、小さく声を零す。


「ああ、これは失礼。さて君の質問に答えよう。応えはノーだ」


 粘土で塗り固めたような笑顔を作るアフロディ。おもむろに目の前の七面鳥の丸焼きを手に取ると大口を開けてした。

 口の端についたソースをナプキンで拭うと恥ずかし気に笑いを零す。はは、と快活な青年のような笑顔だった。


「んーちまちまとこのナイフとフォークとかいうものを使うのは性に合わなくてね。失敬失敬」

「人間じゃないって、亜人さんですか? それかシェイプシフターのような存在?」

「うんうん。数日とはいえしっかり勉強してきたようで何よりだ。だがどれも違う。しかし、キミは良く知っている」


 アフロディが指を鳴らすと、どこからともなく黒服に身を包んだ人々が現れた。どれもかれも人間の形をしていはいるが、彼らの体から発している霊気は千変万化だった。


「僕たちは悪魔。または天使と呼ばれている」

「……なぜ、アフロディさんの姿を取っているんですか?」

「いい質問だね。僕たちは彼から生まれたんだ」



 アフロディ、もとい悪魔の1柱である曰く。

 アフロディ・メイザースはただの作家志望だった。いつの日も空想を夢見て、正しさとは何か悪徳とは何か。大英図書館に足蹴く通っては、様々な知識を学んでいたという。

 ただそれだけの青年で、彼にとっては空想は理想だった。現実の陰鬱とした出来事や人間関係。それらは青年の理想とは程遠い。故に、青年は空想した。自身の理想とする世界、人物、理論を。いつの日か自分の描いた物語を呼んだ人々が、物語に影響をうけて彼の理想に近づいてくれるように。

 青年にとって小説は自分の心を守る盾であり、世界をよくするために振るう剣であり、万能のツールだった。


 しかし、彼の思いとは裏腹に災害が起きる。

 無尽蔵に生み出されるバケモノ達。龍脈の影響で体が人間とは異なる種族となるものたち。空想の世界は現実へ。ファンタジーは、肉をもって目の前に現れた。


 青年は途方に暮れた。

 少年にとって、空想は身を持たぬからこそ意味がある。自身のうちに秘めたものだからこその価値があった。

 とるにたらない現実になった時点で青年は生きる意味を失ってしまう。


 そこに現れたのがソロモンの鍵だ。多くの人々の思想、空想、妄想、執着が一冊の本となったもの。過去、いたと「空想」されるバケモノたちを記した本。

 そこで青年は立ち直った。歪な方向性でもって。

 自身の今までのあり方はただしいはずだ。自身は常に正しさとは何かを考えてきた。空想を小説に綴り、言語を介して読者の中に一つの世界を形作る。正しさを人々の中に生む。それこそが自分の為すべきことだと。

 青年は魔神を召喚した。一緒に逃げ込んできた人に対して空想した。彼の中に正しさを。自分の思い描く理想を。

 結果として、青年の理想に人が魔神となり誕生した。



 アフロディの姿をした魔神はそう語る。


「最後、彼は死ぬ間際に自分を振り返った。そして現実と理想の乖離に耐えきれず、彼もまた彼自身の中に「こうあるべき」という理想を抱いた。僕たちは彼の思い描いた想いの結晶なんだよ」


 少年のような笑みを浮かべて、アフロディはそう締めくくった。

 目の前で語れる真相に、ミサキは耳を傾けていた。


「そんなの。つまりはアフロディさんの考えを他人に押し付けた結果ってことですか?」

「許せないかい。そうだね、でもどうすることもできなかったんじゃないかな。彼の心はすでに災害が起きて死んでしまったのだろうし。ただ思想だけが暴走した結果だよ。作家とはそういう生き物じゃない? 思い込みが激しい、とかね」


 単純にそういうものでしょう?と語るアフロディ。

 しかしミサキはどうしても納得できなかった。

 だって、それではあまりに救いがなさすぎる。

 

「で、私にどうしろと。私も魔神ごっこ遊びに入れってことならお断りしますけれど」

「ああ、いや勘違いしないでくれ。もっときみのためになることさ」

「私のため?」


 尋常ならざる魔神たち。空想から生まれたバケモノたちが頷く。


「キミに、僕たちの主人になってほしいんだ。僕が仮の主人として契約しているけど正直魔神の中でも不平不満がたまっててね。それで僕たち魔神を使役してほしい」

「……ただそれだけ?」

「ああ、ただそれだけ。そうすれば僕たちはもっと数を増やせるから」


 魔神たちはお互いの顔を見合わせて幸せそうに笑顔を形作った。


「僕たちの存在理由はただ一つだよ。僕たちのただしさをみんなと共有したい。アフロディ・メイザースが願ったたった一つの願い。それを遂行することだ」




「ダレル! おいダレル!」

「……ッくそ。誰だ」

「寝ぼけてるんじゃない! ミサキはどうした!」


 ダレルが飛び起きる。ジェームズと額をぶつけ、頭を抱えた。

 部屋を見渡すが何も異変はない。部屋の中央にただ箱があるだけ。

 

「シェイプシフターを殺して逃げた、はず。というかお前たちこそまんまとアフロディにやられやがって……ってあ?」


 ダレルは異変に気付く。死んだはずの女シェイプシフターがそこで寝ていた。

 部屋中に血など飛び散ってはいない。


「もしかして、幻覚を見せられていたのか」

「ああ。俺ら皆見せられていたらしい。まんまと出し抜かれたミサキだけが連れ去られたようだ」


 ジェームズがしてやられたと舌打ちをする。

 あたりを見渡せばミサキだけがいなくなっていた。

 過去、仲間を殺されたダレルが今になって自分たちには見向きもせずにただ一人の少女のみをさらっていった。

  結果だけを観れば完全に舐められていた。


「は、はは。くそがぁ!」


 ふらり、と立ち上がるとおもむろに壁に拳を叩きつける。

 血が滲み、滴る。痛みが頭に上った熱を散らしてくれるようだった。

 壁に八つ当たりしているダレルを視て、ジェームズが眼鏡の位置を直す。


「とりあえず連盟員総出で周囲一帯を捜索させる。ダウジングに長けた者も総動員だ。お前は事務所に戻って頭をひやしてこい」

「こんなときに寝てられるか! くそ、どこだミサキ」


 八つ当たりは収まらず。箱を蹴り上げた。

 と、ダレルが止まる。


「そういやなんでこんなところに安置してたんだ。というかこの封はなんだ」

「ああ、いや。彼は世界初の魔術師だからな。サンプルとして魔術連盟は確保しときたかったためだ。この封印に関しては――いやいい。話そう。オカルト話があってな」

「オカルト?」

「ああ、曰く。かのメイザースに触れたものは喰われると。魔神のエサになるなんてものもあったな」

「そんなガセ話のためだけに封印してたのか。えらく魔術連盟はひまなんだな」


 ダレルの悪態は止まらず。苛立ちだけが募っていく。


「いやそうとも限らん。部隊がやられたときの光景を覚えているか」

「ああ、みんな殺されていった。アフロディが一人、一人と名指して魔神に消されていって……」


 なにかひっかかる。なぜ殺すために名指しした。そもそも虐殺するだけなら名前をわざわざ言う必要はない。ただのサイコパスの趣味とも考えられたが用意周到なやつだ。何か意味があるに違いない。

 それとあの消え方。あれはまるでどこかへ転移させているようではなかったか。

 何か忘れていないか。何か。


 必死に考えを巡らせていると、女シェイプシフターが起き上がった。

 男のシェイプシフターが抱き起す。


「あれ、私死んだはずじゃ」

「……お前、覚えているか。ミサキに変身して、魔神に貫かれたんだったな?」

「ええ。そのはず。あれ、でもなんだろう。あの時何かが流れ込んできて……。どこだろう。コンクリートの壁と、あとたくさんの、悪魔?がいて」

「……! おい、それはどこだどんな場所だった」

なぜ

 ダレルが女シェイプシフターの肩をもって揺らすとはたと視線を上げた。


「そう、すごく清潔な場所でした。アルコールの臭いも……。ああ、でもコンクリートの壁は汚くて」

「アルコールで清潔? 病院か?」


 ダレルが考えを巡らせる。そもそもミサキはどこから来たか。

 ひらめきともつかぬ感覚が走る。


「病院跡地か!」


 魔術師は霊感に従え。マイクの言う言葉ではないが、自身の直観を信じてダレルは走りだした。

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