第12話

 明けて翌朝。

 身支度を整えていたヴァートは、自分に対しカーライルがなにやら含みのある視線を向けていることに気づいた。

「なんですか先輩、気味が悪い」 

「いや、お前もなかなか隅に置けぬと思ってな」

「へ? なんのことですか」

「夕べのことさ。アリシアさんといったい何をやってたんだ? 連れだって戻ってくるところを見たのだが」

「なんだ、そのことですか。それなら――」

 言いさして、いったん考える。

 アリシアは、ヴァートがひとりのときに稽古をつけてくれるよう申し出てきた。皆が揃っている場ではなく、である。あえてそうした理由があるのではないか。

(もしかしたら、フェオドールさんや先輩には稽古のことをあまり知られたくないのかもしれない)

 別に、秘密にしてくれと頼まれたわけではない。しかし、兄であるフェオドールがこのことを知れば、妹のことを心配するのは想像に難くない。

 カーライルは、アリシアから一定の信頼こそ勝ち得ているものの、その軽薄な態度についてはいまだに快くは思われていないようである。

 ここで稽古のことをカーライルに漏らしてしまうのは、アリシアに対して不誠実なのではないかとヴァートには思えた。

「――別に、先輩が想像しているようなことはないですよ。俺が素振りをしているところにアリシアさんが夜風を浴びに出てきたもんで、ちょっと話をしただけです」

「ほう、そうか。まあ、そういうことにしておいてやるよ」

 そう言ってカーライルはにやりと笑い、ヴァートはやれやれと肩をすくめるのであった。




 一時間後、四人の姿は街道上にあった。

 空は見事な秋晴れ。時おり吹く風は柔らかで、暑くもなければ寒くもない。絶好の旅日和である。

 当面の危機は脱したという安堵感もあってか、フェオドールの顔色はこれまでにないほど良く、足取りも実にしっかりしたものだ。

「かねてから説明している通り、われわれはこれからアーチボルド大山脈のに沿ってしばし南下――このサーイマル街道を三日ほど進むことになる」

 そしてフェオドールは眼の上に手をかざしつつ、南南東の方角を仰ぎ見た。

「あそこ――私の指さす先に見えるのが当面の目標、ガルラ山だ」

 フェオドールの指さす先――高峰が連なる山脈の中にあってもなお、頭一つ抜けた山が屹立しているのをヴァートも認めた。

 まだ霞んで見えるほどの距離がありながらも、その山の放つ存在感は圧巻だ。高さもさることながら、きつい斜度と凹凸の少ない美しい稜線が織りなすその威容は、さながらつるぎの切っ先であった。国内随一といわれる標高に加え、その立ち姿の美しさがガルラ山をシーラント屈指の名峰たらしめる所以である。

「あれが――凄いな」

 思わず、ヴァートの口から素直な感想が漏れた。

 往路でもガルラ山を見たはずのヴァートであったが、そのときとはまったく見え方が違っていた。

「ガルラ山は北から見るのが一番美しいと言われているが、俺もまったく同意見だ。あれは何度見てもいいもんだ」

 旅慣れているカーライルも、腕組みしながら彼方のガルラ山に見入っている様子である。

「しかし、剣聖シルヴェストはあんなところで修行してたんですね」

 まだ秋だというのに、ガルラ山の中腹から上はすっかり雪に覆われている。寒さのきついエディーンよりも、さらに厳しい環境であることは想像に難くない。

「まあ、ガルラ山といっても、シルヴェストと弟子たちが暮らしていたのは麓のほうらしいがな。当時の住まいもまだ残されていて、観光の名所になっているらしい。さすがにあの山の上のほうは人間が生きられる場所じゃないだろう」

 一般に、標高が高くなればなるほど人間の呼吸は苦しくなるという。そして、そのような環境で鍛錬を積むと心肺が強くなることもヴァートは知識として知っていた。

(あんなところで修行したら、強い武術家がたくさん出てくるのもわかるな)

 ガルラ山があるのは、エリオット・フラムスティードの故郷であるラナマン領であり、ラナマンが武術家の名産地であることも、ヴァートはかつてマーシャから聞いている。

「しかし、ガルラ山と聞いてはじめに思いつくのが剣聖シルヴェストというあたり、いかにも武術家らしい発想だ」

 フェオドールが興味深げな顔で言う。

「どういうことですか」

 首を傾げるヴァートに、

「確かにガルラ山と聞けば、普通はトランヴァルの怪鳥退治が出てくるだろうな。お前、まさかトランヴァルも知らないのか」

 トランヴァル――神話に語られる英雄であり、国中を旅して数々の功績を残した。また、国内の武術大会の最高峰、トランヴァル杯の名前の由来となっている。

「自分が知ってるのはこのくらいです」

 トランヴァルの偉業についても、具体的なことはなにも知らぬヴァートであった。

「驚いたな。そこまでものを知らん奴だったとは」

 カーライルをはじめとしたハミルトン道場の兄弟子たちは、ヴァートの生い立ちについては詳しく知らぬ。ただ、ヴァートが事件に巻き込まれて記憶を失い、のちにレンでその記憶を取り戻したことは把握していた。そして、ヴァートがこのたび少年期を家族とともに過ごした村に里帰りし、亡き家族の墓参りをしたということはヴァートの口から述べられている。

 アイのように、物心つくかつかないかのうちから天涯孤独に育ったのなら話は別だが、子供というのはだいたいは両親の寝物語を聞きながら育つものだ。寓話におとぎ話など、寝物語にもいろいろあるけれども、男の子が好むのはやはり英雄譚、冒険譚の類であろう。そして、シーラントにおいて男子に最も人気のあるのがトランヴァルの伝説なのである。

「お前、子供のころ親御さんからこの手の話は聞かされなかったのか」

「うーん、母はいろいろ話を聞かせてくれたけど――こう教訓めいた話とか、昔の偉い聖人がこうやって人を助けたみたいな話が多かったと思います」

 シアーズ家に仕えていたダンカン夫妻によれば、ヴァートの母は武術を嗜みながら書物も好み、教養溢れる女性だったと聞いている。トランヴァル伝説をはじめ、男の子が好みそうな戦乱期の英雄の話なども知らなかったとは思えぬ。

「まあ、そういう荒々しい話を好まない人がいてもおかしなことではないか」

 カーライルがそう言って、いったんこの話題は終わる。ふたたびこの先の旅程について話し始めたカーライルたちをよそに、ヴァートは考える。

(母さんや父さんはどうして、俺にトランヴァルの話を聞かせようとしなかったのだろう)

 このことである。

 いたって些末な疑問だ。当面の危機は去ったとはいえ、兄妹の護衛に就いている身として、余計な考え事をするのは褒められた行為ではない。

 しかし、この旅で自分と家族の足跡を改めて辿ってきたヴァートである。両親がどのように考えてヴァートを育てたのか。今となってはその真意を知る由もないが、少しでも両親の思いに近づきたい――ヴァートがそう望むのは自然なことである。

 両親が二人揃ってトランヴァルの存在を知らなかったとは考えにくい。あるいは、カーライルの言ったとおりだったのかもしれぬ。英雄譚・冒険譚というのは、戦いや争いなしに語ることはできず、時に血生臭く残酷な描写が混じることもある。ゆえに、子供に聞かせるのを是としなかった、という可能性はある。

(でも――それだけじゃない気がする)

 ややしばらくして、ヴァートの脳裏に一つの可能性が浮かんだ。

(そうか――二人は、俺に外の世界への憧れを持って欲しくなかったんじゃないだろうか)

 ヴァートは、ハタの村以外の世界を知らずに育った。いや、ある程度の分別がつく年齢になるまで、ヴァートにとってハタの村が世界そのものだったと言っていい。しかしその状況は、ルーク・サリンジャーの魔の手から身を隠さねばならないナイト一家としては都合がいい。

 国中を旅してあるいは人を助け、あるいは悪を滅ぼす。そんなトランヴァルの英雄譚を聞いたなら、ヴァートは外の世界に思いを馳せ、いつか広い世界へと旅立つことを夢見るようになるかもしれぬ。




 ひとつ思い出したことがある。ヴァートが十歳か十一歳だったころのことだ。

 身体もある程度成長し、まともに剣を振る力も備えてきたヴァートは、父シーヴァーから本格的に剣の手ほどきを受け始めていた。

 稽古を終えたふたりを出迎えた母クローディアに、シーヴァーは笑いながらこう言っていた。

「この子はもしかしたらかなりの才能の持ち主かもしれん」

「あらあなた、それは親馬鹿というものではなくて?」

 と冗談めかして言うクローディアであったが、シーヴァーが武術に関しいい加減なことを言うような男ではないことは十分に承知している。

「ヴァート、お父さんが褒めてくれたのよ。お父さんがこんなことを言うなんて、本当に珍しいことなんだから」

 シーヴァーはかつて、シアーズ家の指南役として家中の人間に剣を教える立場であった。指南役としては厳しく、主家の令嬢たるクローディアも滅多なことで褒められたことはなかった。

 思わず顔をほころばせるヴァートに、シーヴァーはややばつの悪そうな苦笑を浮かべた。シーヴァーは本格的な稽古に入る際、

「稽古中われわれは親と子ではなく、師と弟子となる。一切の妥協は許さぬからそのつもりで励むように」

 と宣言している。シーヴァーとしてもヴァートを甘やかす気は一切なかったはずだろう。しかしヴァート本人が聞こえるところでその才能を賞賛するようなことを言ってしまったあたり、シーヴァーにも親馬鹿の気が少なからずあったのだろう。

 話はやや逸れたが――問題はこのあとに交わされた両親の会話である。

「しかし――いくら才能があったとて、この村ではそれを活かすことも叶わぬ」

 シーヴァーの表情は、一転して曇っていた。

「いつか、この子らに外の世界を見せてやれる日が来るのだろうか」

 絞り出すように言ったシーヴァーの苦渋に満ちた表情を、ヴァートは今でも覚えている。そのような父の姿は初めて見るものだった。

「あなた、子供の前でいけませんよ」

 クローディアがシーヴァーをたしなめるのも、珍しいことであった。

「そうだな、すまない」

 大きく息を吐いてヴァートの頭をひと撫でしたシーヴァーの姿は、すかっりいつも通りのそれ・・に戻っていた。

「今お父さんの言ったことは気にしないで。さあ、汗を流していらっしゃい」

 優しく微笑み、クローディアはヴァートの背中を押すのであった。




 あのとき見せたシーヴァーの苦悩――子供達には狭いハタの村だけでなく、様々な世界に触れてほしいという親としての願い。一方で、村から出れば子供たちの命を脅かす存在と遭遇する危険性が高まってしまう。両親は、二つの反する事情の板挟みとなってしまい、苦しい思いをしたのだろう。今のヴァートはそう推測する。

 ルーク・サリンジャーを打倒することで、ヴァートは晴れて自由の身となった。

(できれば家族揃って、こうして旅をしてみたかった)

 姉ローラを思う。ついぞ村の外の世界を知ることなく、今の自分より若い身空でその命を散らしてしまったのだ。

 遥かにそびえる霊峰ガルラを望みつつ、ヴァートは目の奥が熱くなるのを感じる。

「――ト、おい、ヴァート、聞いてるのか?」

 カーライルがヴァートの肩を叩いた。在りし日の姉との記憶に思いを馳せていたヴァートは、一気に現実に引き戻された。

 カーライルとフェオドールは、改めて今後の道のりについて確認をしているところであった。

「済みません、ちょっとぼーっとしてました」

 正直に答える。

「まったく、俺たちは正式に依頼を受けてふたりの護衛をしてるんだ。気を引き締めろ」

 ハミルトン道場での稽古中の如く、カーライルが厳しく叱責する。それを素直に受け入れ、ヴァートはいま一度謝罪した。

「では、そろそろ参りましょう」

 名峰ガルラの威容を前にして、何気なくヴァートが漏らした一言をきっかけに一行は足を止めていた。アリシアの言葉に、四人はふたたび歩を進めるのだった。

  

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剣雄綺譚 柾木 旭士 @masaki_asato

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