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触れなければならないこと


いじめっ子の心理に関するエッセイについて、朝吹様よりレビューをいただいた。

https://kakuyomu.jp/works/16818093075244074865

仰られている内容は、正直、書くべきか悩ましいところだった。
端的に言えば「いじめ体質者」に関する考慮漏れだ。

はっきり言えば「天性のいじめ体質」の方はいる。人を壊すことを趣味(というより「使命」に近いか)にし、演技や嘘、自己正当化が上手く、かつ手段を選ばない。
過去、実態を見て衝撃を受けた一人でもある。

人格障碍者にタゲられた!
https://kakuyomu.jp/works/16817330650989133721


前述の通り、そういった人物はいる。
いじめ問題を語る時、無視することはできない。

ただ、それを引き合いに出すと「だったら私達はそんな人物じゃないからOK」と結論づけられる可能性があった。

人間や言葉の性質から、誰一人として、加害者となる可能性から逃れることができない。これを伝えたかった。

補遺として載せるべきかもしれない。

2件のコメント

  • あのレビューは書いていても我ながらちょっと脱線してるなという自覚があり、脳幹まことさんの云わんとしていることからは離れてしまいました。

    いじめに自己愛が関わっている場合はとくに、目立ちたがりの自己愛は正義サイドの被害者であるかのように触れ回るために、それにつられて自己愛に味方する人も、反撃する被害者も、傍目には「いじめっ子になりうる」ことがある、そんなケースの一例としたかったのですが、自己愛について説明する時のいつもの説明のしにくさで、かえってモヤモヤするようなレビュー文になってしまい、申し訳なかったです。

    わたし自身は脳幹まことさんの考察を正しく受けとっておりますし、読者もそうだと思いますから、あのレビューについて悩んだりはされませんように(;^_^A
  • コメントありがとうございます。
    いえいえ、文章に載せる際に悩んで捨ててしまった内容を的確にご指摘、補足されていたので、かなり優れたレビューかと思われました。
    いじめ(というより事件全般)を第三者から見る際の問題として、関係者の発言がどこまで信頼におけるのか、事件に至るまでにどういった文脈があったのか、という部分が大体あやふやである点なんですよね。
    情報が足りないというのもそうですが、そもそも言葉による表現に限界があるんじゃないかと。

    そこらへんも別件として考えているところです。
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