「背景に作者が透けて見えると醒める」という話を聞いたことがある。
どうせこれで泣くんでしょ? といった考えだったり、
お気に入りのキャラを露骨に贔屓したりという例が挙げられる。
物語を見に来たのであって、アンタを見に来たわけじゃない、ということなのだろう。
ただそういった打算や我欲もまた、創作のエネルギーになっていて、
読者側もまた「分かってるんだよ、でも」と実際感動してしまう。
「純粋な創作がある」という前提がどうにも不文律として存在してそうなのだが、
そういうものは、まるで「人間の本質は純朴で善良な……」という今となってはノスタルジーさえ感じる理屈に通じる。
結局はこの問題、個人ごとに「物語を作る」ことを優先しようという努力目標として締めるしかないような気もする。
創作でもトップクラスにもどかしいテーマではないか。