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分かりきった話とそれに伴う虚無


 かなり前、ルイズコピペと呼ばれるものが話題になった。

 ルイズは「ゼロの使い魔」というライトノベル界のビッグネーム、その中の登場人物である。取り敢えずめちゃくちゃ可愛い女の子と思えば良い。
 そんな彼女が自分の隣で寝ている。ルイズ萌えであったその人は当然興奮するわけだが、目覚めた彼女はしきりに主人公の所在を確認してくる。
 その人は優しかった。一緒に主人公を探し、見つかった際には「やっぱりルイズは主人公と一緒にいる時が一番幸せそうだ」と発言している。
 夢から目覚めたら、ルイズの抱き枕があって、さめざめと泣く描写があって話は終わる。



 この話が当時の二次元オタク達の心を深々とえぐったのは言うまでもない。

 自分はオタクと自称できるほど何かにのめり込んだことはないが、それでも気持ちはわかる。
 分かりきった結末。どれだけ積み上げようと、それは砂上の楼閣に過ぎない。
 自分が何も手に出来ないと気づいた時の異様な虚しさ。

 昨今では過度に推しに貢いだ人物が、推しの引退や翻意によって逆上するケースもあるらしい。
 交流でも金銭でもいいが、それで推しの何かを手に出来た、あるいは自分の名前を刻印できたとでも思ったのだろう。

 だが、実際のところは何ひとつ手にすることは出来ない。

 推しはあなたを見つめるとき、それ以外の全員も同時に見つめている。そして推しもまた生活を持つ個人(キャラクター)である。
 それは二次元だろうが三次元だろうが変わらない。

 空想を独占しようとするものすべてに訪れる虚無は、時代がどれほど進んでいこうが変わらないだろう。

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