涼宮ハルヒシリーズの新刊が出たニュースを受けて、頭の中に浮かんだのは不思議とアニメ「らき☆すた」の方だった。
声優つながりで頻繁にパロディしていたのが原因だと思われるが、あの「当時だからやれた」感が強く印象に残ったからだとも思う。
内輪ネタ、悪ノリといった、良くも悪くも作家の試みが許されていた頃の作品だ。深夜アニメという枠がまだそれほど飽和しておらず、抜きんでた作品は後世に名が残る時代の話だ。
そういう希望を持って、今も「原案」としての作品を書いている人もいるかもしれない。
らき☆すたの中に「かがみん」という愛称で呼ばれる登場人物、柊かがみがいる。
この子の人気は凄いものがあり、「○○は俺の嫁」という(当時を思い出す)フレーズに当てはまる嫁候補でもトップクラスだった。
(ちなみに対抗馬にして「俺の嫁論争」本命だったのはハルヒシリーズに登場する長門有希だった)
らき☆すたはマターリ(死語)としたコメディ学園アニメであるが、その中でかがみんはマイペースな周囲の人物に突っ込みをする役だった。そしてツンデレである。
ツンデレ突っ込みキャラなんて現在は飽和状態もいいところだが、今振り返ってみてもかがみんの魅力はかなり強い。
自分の世代に合ったキャラクターだからひいき目に見ているのは認める。
どうしてここまで魅力的なのかと考えたのだが、それは当たり前の話だった。
彼女はツンデレやら突っ込みといった属性や役回り以前に、しっかり者で各キャラと友好的に会話を進めようとする好人物に描かれているからだ。
あと、言うほどツンツンもしてない。回数が少ないからこそデレの印象が強まっているのかもしれないが、見た限りは以下のような印象だった。
仲の良い姉妹・友人 >= しっかり者 > 突っ込み >> ツンデレ
大学のころ、こういったアニメにかぶれた人が突っ込んだり、ツンデレぶったりしたのを見たことがあるのだが、あまり話したことのない人にそれをやっても「あいててて」としかならない。
属性や役割だけ真似してもかがみんにはならない。
まず各キャラクターとの友好関係や好感が持てる人物であることを描いてから、そういった特色に触れていかなければならないのだと思った。
一個人として完成しているため、意外と抜けていたり、不憫な目に遭っている彼女に愛おしさや同情を見出すことが出来る。
「あずまんが大王」もそうだが、こういう学校生活を描いた作品のアニメ化は、ある程度の話数が必要なのかもなあと思う。
短期間となると、本来は会話や描写、間で埋めなければならないキャラ性を、「属性」「役割」で味つけせざるを得なくなる。
焼肉のタレで上書きしたインスタント炒め物も美味しいのは間違いないし、むしろ今の方がずっと個性派揃いだ。今さら「らき☆すた」ノリのアニメが出て覇権が取れるとは思えない。あれはあの時だから面白かった作品だ。
だから時たま思い返す。キャラとの別れが惜しくなった当時を。