第4話 寄生

 嫌だ嫌だ。

 この場所は、死んでいるモノの匂いがする。吐きそうになる口元を押さえて養鶏場から逃げ出すと、私は走った。

 皆はどこへ行ったんだろう。街灯の少ない道を、必死で駆ける。


「あうっ」


 つまずいた拍子に、地面に付いた手をずるりといた。砂が付着して、傷口からじわりと血が滲む。じんじんと増す痛みが腹立たしかったが、今はそれどころじゃない。私はすぐに立ち上がると、再び夜道を走り始めた。

 

 猫に兎に鶏に。

 この町の人々は、死んだ生き物に対する扱い方がどこかおかしい。そういえば、あの鶏たちの首から下の部分はどこへ消えたのだろう。さっき遭遇した男の血は、ひょっとするとあの鶏たちのものなのかもしれない。


 首を落とされ、完全に活動を停止した鶏の両脚を鷲掴みにする男の姿を、私は想像する。周囲を舞うのは、ぶちぶちともがれた羽。血の匂いに我を忘れた男は暴力的なまでの食欲に思考を侵され、夢中でその胴体に齧りつく。生臭い血を胃に流し込み、肉も肝も何もかもをその歯で咀嚼し、死んだ命を蹂躙じゅうりんする。


「ぅおえぇぇ……」


 私はたまらず、道端に吐く。何も食べていないので胃液しか出て来ない。頭はぼんやりするし身体もふらふらするけれど、私はもたつきながら走った。人々の行き先にひとつだけ心当たりがあったからだ。


 役場に隣接している公民館。

 あれだけの大人数を収容できる場所は、そこを置いて他にない。


 急がないと、手遅れになる。何度も転びそうになりながら、私はやっとの思いで公民館に辿り着いた。扉にそっと耳を当てると、大勢の人の声が聞こえる。すうっと大きく息を吸い込むと、私は一気に扉を開けた。突然の闖入者ちんにゅうしゃに、館内にいた全員の動きが止まる。


「おかあさん……」


 椅子を手にしていた母と目が合う。母は私の姿を認めると、顔色が変わった。


「アンタ、何でここに来たのよ!」

「いや、だって皆がどこに行くのか気になって」

「ヤだ、見てたの? どうしよ、バレちゃったかも。皆ごめんねぇ」


 母はおろおろしながら、慌てた様子でペコペコと頭を下げている。


「まぁ来ちゃったモンは仕方ないか」

「そろそろ準備も終わるし、うちら寝間着のまんまだけど、もうこのままやろうよ」

「そうしよそうしよ」


 皆が笑顔で盛り上がり始めた。状況が分からずポカンとしていると、そばに妹が来て言った。


「お姉ちゃん、食中毒とかで大変だったみたいだからさ、皆で相談して初日の出に合わせて町のアイドルを元気付けようって話になったんだよ」

「何それ」


 並べられた長机の上を見ると、数の子や黒豆、伊達巻に筑前煮など、おせち料理らしい料理が並べられている。


「第一陣焼けたよー! て、あれ? もう来ちゃったの?」


 たかちゃんのお母さんが大皿を手に調理室から現れた。


「鶏のもも焼き……」

「クリスマスみたいになっちゃったけど、うちの町の名物といえば鶏だから。いっぱい食べてね」


 まさかこれが、養鶏場に落ちていた大量の鶏の正体なのだろうか。


「顔とか血塗ちまみれになった人がいたんだけど」

「げ、そっちも見付かっちゃったの? ここ何にも娯楽とかないから、色々企画立ててスタンバイさせてたのに」


 まだ薄暗い時間に私を電話で起こした後、家からここまで向かう道中に、メイクを施した町の人々が色々な仕掛けを用意して私を驚かせようとしていたらしい。


「じゃあ、この町の人たちは何ともないってこと? 変なモノを食べておかしくなったりしてないの?」

「何言ってるのかちょっと分かんないけど、当たり前じゃん」


 妹がきょとんとした顔で答える。

 良かった。本当に良かった。

 私はホッと胸を撫で下ろす。

 町の皆がずらりと並び、私の方を向く。妹の「せーの」の合図で全員が「まりちゃん、おかえりー!」と叫んだ。「町の皆、まりちゃんの味方だからね」などと声を掛けられ、私は緊張と不安が解けるのと同時に、強烈な空腹に襲われた。


「さ、お姉ちゃんも食べよ」


 料理を盛り合わせた皿が差し出される。私は妹を見た。ふわふわの頬、柔らかそうな唇、滑らかな首筋。


「どうしたの?」

 

 皿を見ずに自分だけをじっと見て来る姉をいぶかしむ妹に、私は言う。


「美味しそうだから」


 込み上げる食欲に押されるように、私は妹の首に食らいつく。皮に歯を立て、下顎にぐっと力を込めると筋肉もろとも嚙みちぎった。


「ヴウェッ」


 聞いたことのないような声が、妹の口から漏れる。これだ。これがずっと食べたかった。死んだ肉なんてマズくてとても食えたものじゃない。肉は生きているものに限る。これを食べるために、私は帰って来たんだ。

 

 頬肉、耳の軟骨、袖に隠れた二の腕の脂肪。

 もっと。もっとだ。

 

 食べ進めるうちに妹はピクリとも動かなくなった。どうやら死んだ肉になってしまったみたいだ。私は次の食糧を探して、周囲をぐるりと見渡す。一部始終を凍ったように見ていた町の人々は一気に静止が解けたように叫び、逃げ始めた。


『ひとりも逃がすな』


 脳の奥で根を張っている『何か』が、私に指示をする。食中毒事件で餅に混ぜられていた青カビは、本当にただの青カビだったのだろうか。食の嗜好が変化した理由について幾度となく考えようとしたけれど、その度に『何か』が邪魔をするので、もう考えないことにした。

 父、母、たかちゃんのおかあさん。年を取った人間は、肉がだらしなくて美味しくない。あの子供たちはどこにいるのだろう。


「ぐふぅ」


 突然の強い衝撃と共に、私は前方へ倒れた。頭が寒い。腕を伸ばすと、脳の大半が飛び散っていた。何が起きたのだろう。私は消えそうになる意識の中、後方を見る。兎を抱えた男の子の隣で手に散弾銃を持ち立っていたのは、あの少女だった。


「数十年かけて味わっていた狩場を、今更菌ごときに荒らされるとは」

「貴方が兎で煽るからでしょう。私は来るなと合図したのに」

「S県の集団食中毒といい、菌のやり方は下品で不愉快だ」

「もうこの町も終わりですね」


 男の子が背を向ける。次はどこへ行くのか、私も連れて行ってと手を伸ばしたけれど、わずかに残った脳を踏みつけようとする少女の靴底の模様を視界が捉えたのを最期に、私の意識は途切れた。

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