作者の『意図』を読み解きなさい

黒澤カヌレ

ちゃんと読んでくれ! これはミステリーじゃないんだ!

 まさか、こんな日が来るなんてな。

 今までは自分とは縁のない、遠い世界の出来事だと思っていた。


『国語の問題』に、自分の書いた小説が使われる。


 学生時代には数限りなく、この手の問題を解かされてきた。向田邦子のエッセイや三浦綾子の小説作品。萩原朔太郎や中原中也の詩。その他の論説文。

 それらの作品の文章を読み込み、『作者の意図』を読み解いていく。


「へへ、届いちまった」

 灰色の封筒を手にし、俺は熱の籠った溜め息をつく。


 指先が震える。一刻も早く、完成した国語の問題を読んでみたい。指先をこすり合わせ、手汗で汚さないよう細心の注意を払った。


(今回の全統模試の長文問題で、先生の作品を使わせていただきたいのですが)

 出版社を通し、そんな連絡が来た時には度肝を抜かれた。まさか、俺の書いた小説があの向田邦子のエッセイとかと同列に扱われる時が来るなんて。


『過ぎゆく風の雪月花 ~嵐の孤島で君を想う~』


 これは、純然たる恋愛小説。

 主人公の名は山田やまだ丸夫まるお。彼は小説家志望の二十七歳の男だ。

 丸夫は学生時代からの友人である田村たむら志賀子しかこに呼ばれ、ある孤島へと旅立つことになる。


 志賀子の恋人である三井みつい角矢かどやが、その島で死亡した。嵐の日、この孤島にあるペンションに泊まっていた三井は、『密室状態』にある部屋の中で自ら命を絶ったのだ。


 恋人に自殺されて苦しむ志賀子。そんな彼女を支えながら、丸夫は親友であった三井が死んだ島を二人で訪れることになる。


 何度思い返しても感動的なストーリーだ。プロットの段階でもしきりに涙が出た。文章を書いている途中でも涙が止まらず、何度も洟をかみに行ったものだ。


「うし、読むか」

 俺はテーブルの前で居住まいを正し、届けられた封筒を開く。

 クリップで止められた白い用紙に、国語の長文問題が印刷されている。


 使われたのはどうやら、一番の山場の部分だったらしい。

 恋人の死の現場を見た後、失意のヒロインが海辺に佇む。主人公がそれを心配し、必死に彼女を励まそうとするシーン。





『問題文』

 僕は、彼女のことが心配でならない。

 この島に来てしまったことで、今まで曖昧だったことが事実として突きつけられた。あのペンションの一室。三井が①「」した場所を見たことで、志賀子は打ちのめされている。

 今も一人、彼女は夜の海に向かい合っている。

 何か、声をかけてあげなくては。今は僕だけが、彼女の傍にいるのだから。




『問い①』

 問題文の傍点①で使用されている『脂肪』は明らかな誤字と見られます。

 では、正しい漢字はどれか。以下の選択肢から選びなさい。


 A.志望

 B.子房

 C.死亡

 D.四坊




「むう?」

 俺は目を疑った。


 念のため、出版されている単行本を開いてみる。234ページを開いてみるが、確かに変換ミスで『脂肪した場所』と書かれている。

 なんなんだ、これは。


 確かに、俺も担当編集者もここの誤字には気づかなかった。

 だが、まさかそれを問題にされるとは。



『正解:C.死亡』


『解説:死亡とは、死んで亡くなることを意味します。生命活動が終了し、人生が終わりを迎えたことなどを表す言葉です。漢字変換は正しく行いましょう』





 ご丁寧に、解説文まで付与されていた。


「なんかこれ、イラっとくんな」

 学生じゃなく、俺に対して言っているような気がする。


 いや、気にしちゃいけない。

 これは名誉なことなんだ。とにかく最後まで読もう。





『問題文』

 何を言えばいいだろう。僕はしばらく考え続けた。

『元気を出せ』かな。いや、違う。『僕が一緒にいる』か。それも何か違う。彼女の弱みにつけこんで、自分が得をしようとしているとも見える。

 どうしたらいい。どうしても言葉が見つからない。


 そんな風に逡巡する内に、彼女が夜空を仰いだ。

「きっと、私のせいなの。私のせいで、あの人は」

 悲痛な声を耳にした瞬間、僕の目の前が赤く染まった。


「馬鹿を言うな。志賀子のせいのはずないだろう。それともまさか、お前が殺したとでもいうのか? 違うだろ? だったら、そんな風に自分を責めるなよ」


 これ以上、迷ってなんかいられない。

 僕は彼女との距離を詰め、強引に手首を掴んだ。

 ②「





『問い② 傍点②の言葉を口にした主人公は、この時に何を考えていたか。最も適切と思われる文章を、本文の中から十七文字で書き出しなさい』





「なぬ?」と眉間に皺が寄った。

 ここは、作者である俺自身が特に気に入っているシーンだ。それまで感情を表に出さなかった丸夫が、ついに志賀子のために動き出す。


 あまりにも胸が熱くなるシーンで、読み返す度に感動してしまう。

 でも、どういうことだろう。

 丸夫の心情を説明できる文章なんて、作中にはあったか。




『正解:まさか、お前が殺したとでもいうのか』




「はあ?」とつい声が出た。

 どうして、これが正解になっている。

 俺は急いで、解説の文章に目を走らせた。




『解説:主人公である丸夫は、探偵役として志賀子に疑いを持っています。事件のあった当日に志賀子にはアリバイがあったのか。当日は嵐で孤島に行くことは出来なかったと思われますが、もしかしたらその時は彼女も島にいたのかもしれない。そうして恋人の事件に志賀子が関与していることを疑っています』




「ふざけんな!」

 つい、携帯電話に手が伸びそうになる。

 この問題文を作った奴、もしかして全体を通して読んでないのか。


「嵐の孤島とか密室とか、そのワードにだけ反応してる?」

 指先にじっとりと、汗が滲んでくる。問題用紙をつまむ手が、わずかに震えてきた。


「出題者の奴、これはミステリーだと勘違いしてるのか?」

 予備校の事務局に電話するか。


 いや、まだ早い。





『問題文』

 ③

 島には電灯だってない。ペンションに戻れば発電機があるけれど、今は月明かりくらいしか僕たちを照らしてくれるものがない。


 放っておくと、志賀子が消えてしまいそうになる。このまま夜の海に呑み込まれてしまうんじゃないか。

 そう思うと心配で、僕は強く彼女の腕を引き寄せた。





『問い③ 傍点部分の記述には、明らかな矛盾点が存在します。主人公と志賀子は二人で孤島に来ていますが、この時刻は夜になっています。ペンションを見てきた帰りのはずなのに、なぜ島は「無人」なのでしょうか。二人は無断でペンションに侵入したのか。そして、二人は今夜をどのように過ごすつもりなのか。一体、ペンションの人たちはどこへ行ったのでしょう』


『それらの矛盾を説明する答えを、以下の選択肢から選びなさい』


 A.全員が犯人に殺された。

 B.テントを持ってきている。

 C.そもそも眠らなくても生きていける体質である。

 D.作者の設定ミス。





「ぐう!」と声が出た。

 これは、どう説明をつけるのか。

 確かに、言われてみると何かがおかしい。


 二人きりの状況を描きたかったし、無駄なモブキャラの名前を考えるのも面倒臭かった。だからこの島に来てから別の人間は登場させていない。


 でも、実際はどうなのだろう。これは本気で俺のミスだ。

 答えはやはり、『D』にされているんだろうか。




『正解:A.全員が犯人に殺された』




「こいつ、やっぱり!」

 問題を作った奴、絶対にミステリーだと思ってやがる。

 ピュアな恋愛ストーリーなのに。




『解説:現在海辺に来ている二人は、島からの脱出方法を探っています。しかし帰りの船が来るのは翌日以降。そうして途方に暮れている状態が描かれています』




「こんちくしょう!」

 また、携帯電話に手が伸びかかる。

 これは、苦情を入れねばならない。こんなものが、そのままテストに出てたまるか。

 でも、先が気になる。

 そもそも、さっきの部分は俺のミスだ。





『問題文』

 僕は志賀子を愛している。

 もう、離したくない。卑怯かどうかなんて関係ないだろう。

 三井? 一体誰のことだ。そんな奴の名前なんか知らない。

 僕にとっては志賀子が全てだ。

 今は彼女の傍にいる。僕にとってはそれが全てだ。





『問い④ 主人公の心情や行動が、ここへ来てちぐはぐになっています。恋人を失って苦しんでいる志賀子を心配していたはずなのに、急に彼女を愛していると言い始めました。更には、親友である三井のことを知らないとまで言い張る始末』


『一体、彼の身に何が起こったのでしょうか。矛盾を説明する答えを以下の選択肢から選びなさい』


 A.志賀子に対して下心があり、他のことが見えなくなっている。

 B.叙述トリックが使われていて、主人公は殺され別人と入れ替わっている。

 C.主人公はただのアホ。

 D.作者の設定ミス。





 俺は深々と溜め息をついた。

「なんか、『D』の選択肢がいちいちムカつく」

 舌打ちしつつ、正解を見ようとする。


 強いて言うのなら『A』が答えになるのか。丸夫の心情の変化はしっかり描いて、ここは感動的になっていたはずなのだが。




『正解:B.叙述トリックが使われている』




「馬鹿野郎! またやりやがった」

 一体、どんな理屈をこじつけやがった。




『解説:周辺は完全なる暗闇。志賀子には傍にいる人間の姿もはっきりとは見えません。そして主人公は一人称の「僕」としか書かれておらず、最初の主人公である山田丸夫と同一人物だという確証は得られません』





「苦情だな。これはもう、苦情しかない」

 同封された用紙に目をやり、連絡先の番号を探す。

 担当者らしい人間から、手書きで俺に対するお礼の文章なんかが書かれている。


 その横に、今回の出題者の情報なんかが書かれていた。


『問題文監修 東京国語大学名誉教授 人国ひとくに一基いっき


 俺は激しく顔をしかめ、黒幕の名を睨みつける。


「ヒトクニイッキ。覚えたぞ、てめえの名前」

 勝手に人様の文章を『叙述トリック』扱いしやがって。


 俺は肩で大きく息をしながら、携帯電話を見下ろす。

 どうするか。幸い、電話番号も記載されている。


 まだだ、と首を振った。

 どうせなら、最後まで読んでからだ。電話するなら、不満を全部吐き出さないと。


 大きく息を吐き、問題用紙に目をやる。

 どうやら、抜粋した文章はこれで終わりらしい。

 書かれているのは、最後の問題文一つ。





『問い⑤ 以上の文章で、手掛かりは全て揃いました。密室の中で死亡した三井角矢。彼を殺したのは一体誰だったのか。犯人の名前を記述しなさい』





「うあああ」と声が出た。

 俺は一体、どこまで我慢すればいい。

 三井は自殺だって言ってるのに。なぜ犯人を作りたがる。


「で、誰だって言うんだよ」

 ここへ来て、志賀子が犯人だとしてまとめるつもりか。





『正解:犯人は読者』





「この野郎!」と用紙を破きそうになる。

 ここへ来て、こんなベタな答えまで出しやがって。


「で、どんな理屈でそうなった」

 うんざりしつつ、解説へと目をやる。


 この文章を読んだことで、大勢の心の中で死んだとでも言うのか。フィクションの中の登場人物だから、認識される段階で死が確定するとか、どうせそんなところだろう。





『解説:物語が始まった当初、三井角矢は生きていました。しかし、「脂肪した」という文章を「誤字」と認識した読者により、「死亡した」と書き換えられた。本来の彼はただ太って部屋から出られなくなっていただけの状態でしたが、読者が文字を書き変えたことにより、彼は死亡してしまう結果になりました』





 しばらく、声も出せなかった。


「お、おお……」

 数十秒の間を開けて、俺は小さく呻きを発した。

 頭の中に渦巻いていた熱が、ぱったりと消えていく。


 俺は一体、この事実をどう受け止めればいいんだろう。


 別に俺は、何も意図してなんかいない。『脂肪した』はただの誤変換だし、全体を通して読んでもらえば、三井が自殺した経緯なんかも書かれてはいたのだが。


 だが、俺は考えてしまっている。

 これはこれで、筋が通っているんじゃないか。

 これはこれで、アリなんじゃないか。





 結局、俺の苦情は届かなかった。

 予備校の事務局に電話を入れたものの、完成したテスト問題は既に全国へ配布され、俺が読んだ時には各地の高校生が解き始めてしまったと。


 みんな、どんな気持ちになったんだろう。

 あの問題を、まともに解ける奴なんているのか。


 平均点がガタガタで、学生たちの怒りが俺に向かってくるんじゃないか。そんなことを想像しながら、俺はビクビクと日々を過ごした。


「姉さん、久しぶり」

 癒しを得ようと、俺は隣の市に住む姉の家を訪れた。


 ちょうど、甥っ子の京次郎きょうじろうが現在は高校の二年生。俺の問題文が載った全統模試を受ける年齢でもある。

 ほんの少し、情報が入らないか。


「そう言えばね。この前、あんたの書いた小説がテストに出たんだって」

 俺が何かを言う前に、姉から話題を切り出された。


「へ、へえ。それで?」

 自然と、膝が震えてくる。


「すごく喜んでたよ。おじさんの書いた小説だったから、テストが解きやすかったって」


 優しい奴だ。俺の小説は恋愛小説。真面目に俺の作品を楽しんでくれたなら、きっとあの問題には戸惑うばかりだったろう。

 間違いなく零点。なんだか、申し訳ない気分になる。


「で、どうだったって?」

 恐る恐る、結果について聞いてみた。


 姉はニッコリと、大きく頷き返してみた。


「元々知ってた内容だから、『全問正解』だったって」

                                     (了)

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