この『国語の問題』に使われた小説の作者さんは、感激して、届いた問題を読んで解き始めるんですね。
そこから物語が始まります。
すごくおかしくて、笑ってしまいます。
でも、自分でちょこっとでも小説を書いている人はどうでしょう。
自分がもしこの作者さんだったら、やはり叫びたくなると思います。
そして、最後のエピソードがまた素晴らしい。
この作者さんは、この後、どうなったのかなぁ。
創作活動は順調にいっただろうか。
そんなことをつい考えてしまいました。
黒澤カヌレさまはまるで魔術師のようにあざやかに、あることに別な視点があることを見せ、「どうしてそうなる!?」と笑わせながら最後の「おおっ!!」へと読者を連れて行ってくれます。
お見事〜!!
今回もまた、すごく楽しんで読むことができました。
自作の恋愛小説が国語の入試問題に選ばれた小説家がその問題文を読むうちに、ある事実を知る。
本作は、そこから始まります。
問題文の中では、作者本人の書いたはずのない内容が読み取られています。
しかも評価され、作者が意図しない解釈のまま、受験生に問われているのです。
主人公は困惑と混乱の坩堝に落ちます。
選者の解答は本気で書かれたものなのか?
間違っているのは、作者か読者か?
世界がグルクルと歪みます。
そんな恐怖なはずの事態が、やたらと面白い!
まず構成が秀逸。
物語の大半で主人公は文を読むという行動だけしか行わないように配置されます。
なので設問と主人公の感想という疑似会話で物語が進行します。
完全に一本通行。手紙文ですらない。
ここで笑いが練られる舞台が整えられました。手練です。
そして、無機質な設問と作者を玩弄するかような選択肢がさらに笑いの拍車をかける。
読解力が破壊力へと変換され、笑いの堰を破壊します。
もう笑いは止まりません。手練過ぎます。
そして鮮やかなオチへと収束するのです。
本作は〝作者意図と読者の読解の乖離〟その題材の中でも最高レベルの掌編ではないでしょうか。
誤読と作者、この焦点へ収斂した必笑の物語。ことカクヨムに於いて読まない理由はないと思います!
※【問1】設問の解答は黒澤カヌレさんのレビューコメント欄か応援コメント欄に記入すること。
もう、タイトルからして秀逸で、ダイソンの掃除機のように吸い込まれます。
「作者はこのとき何を思ったか」とか、「作者が込めた思いとは何か」といった、作者の気持ちを問う問題。
本当は「締め切りの事ばかり考えていた」などという身も蓋もない事実が転がっていたりするのですが、当然そんな裏事情が答えになるわけがなく。
そう、それらは「博識な読者」によって勝手に捏造されるのです。
しかし、ふざけたり切羽詰まった状況で書いたならいざ知らず、超大真面目に恋愛ものとして書いた作品が、こともあろうにミステリと受け取られるとは……。
ジャンルが全然違います。
そもそもミステリは狙って書くというか、きちんとプロットを組んで、筋道立てて書かなければうまく作れません。
それを意図せず、完全に無意識に成し遂げる……これは別方向の天才かもしれません。
そしてきれいなオチ。
見事、終始笑わせてもらいました。
興味深く印象的な作品だと思います。
個人的な見解として、この作品を小説を創作する立場から読むと斬新で興味深いと感じながらも衝撃を受ける可能性があり、逆に読者の立場から読むと斬新で愉快だという反応を示す可能性が高いと考えます。
これは作品に対する作者の立場での設計や解釈と、読者の立場での作品内容に対する解釈の違いや相違から生じるものだと判断します。
特定の作品に対する様々な解釈の余地や可能性は尊重する必要がありますが、どちらか一方の解釈が定説として定着する現象は、小説の作者の立場からは不快に感じる可能性があることを認識させられる効果もあると思います。
また、最後の部分で言及された「読者」に関連する部分については、様々な解釈や評価の余地があると判断します。
個人的には、この作品の最後の部分を読んでいた時、ベルナール・ヴェルベールの「神」という作品を読んだ時の記憶や印象を改めて思い出すきっかけとなりました。
小説の作者や読者の皆様にお勧めしたい作品です。