最終話 伝えたくて
今年の紅葉は、色づくのが遅かった。
「ノースレイク観光バス」が、事故現場に向かったのは、昼を過ぎた辺りだ。
あゆみが座ったのは3Cの通路側だ。どうやら、僕に窓側の席を譲ってくれたらしい。
左手に見える支笏湖は、西に傾いた陽射しを浴びて、湖面に光の道を作る。
バスに乗り込んだ遺族と、命を落とした七人を繋ぐ光だ。
「亮……」
ここにいるよ。
あれから一年、あゆみの体は仕事に復帰ができるほど回復した。
赤紫に変色した唇は、もとのふっくらとした形になり、僕を誘う。唇に触れたとしてもあゆみは気が付かない。
腕の傷は薄くなり、目の上の裂傷も化粧でカバーができる。そして心の傷も、かさぶたができ、やがて剥がれ落ちる。それが時間の治癒力、思い出になる為の助走だ。
「あいつの好きなチューハイ、ここで開けるか?」
「ああ、乾杯しなくちゃなぁ……」
通路を挟んで、同じ並びの男二人は泣きながら、乾杯を繰り返す。
涙を誘ったのは、あゆみが教えた「無口な男」からの伝言だ。
二人を、「一生の友」と呼んだこと、味方は二人だけだと感謝をしていたこと、男は支笏湖の旅を、心から楽しんでいたこと。
「俺が無理に誘ったんだ……」
一人が背中を丸めると、もう一人が背中をさする。交互になだめ合い、彼らの時間も心の傷に力を貸してきた。そして、二人同時に泣いたのは、「無口な男」の携帯を開いた時だった。
「あいつ、バカな顔して笑っているよ」
「ああ……」
「無口な男」が、友人のポケットに忍ばせた携帯は、傷だらけだが画像は無事だった。
『その写真は、プレゼントだよ』
「無口な男」が、二人を見て笑った。
遺族には、支笏湖ブルーは眩しすぎる。
まだ一年だ。
雑木林を見るのも辛いだろう。
運転手の息子も、湖を見ない。
眺めるのは、反対側の動物避けのフェンスだけだった。
「お父さんは、人に恨まれたりしないよ。信じてあげてね」
あゆみが話かけると、息子はうつむき堪えていた涙を流す。息子は、ちゃんと分かっている。そうでなければ、一周忌の『慰霊の日』に一人で来たりしない。
学ぼうとしているんだ。父親の背中を思い出して
知ろうとしているんだ。父親の足跡や生きた証しを
運転手の人生が続いていたら、この息子から旅行のプレゼントを貰ったに違いない。せめて今日は、父親の姿を若い運転手に重ね、思い出せばいい。
あの事故は重軽傷者二十二名、あゆみも含め重体が三名、そして死亡が七名だった。
バスが横転する瞬間、あの運転手は何を見たのだろう。
きっと、子鹿を守るために、みずから体を張った雄鹿の姿か……
車両を運転席側に倒し、雑木林で勢いを抑える判断は正しかった。そうでなければ、後部座席にも死者は出ていた。
『あなたはいい人ね』
「品のいいおばあさん」の声が聞こえる。そう、君の父親はいい人だった。
あゆみは、遺族への言葉を伝え終えると、僕が座っていた席に戻る。支笏湖ブルーを眺めて涙を落とすが、僕は拭えない。
ハンカチを差し出したのは、後ろの席の男で、どこかで見た「四角い顔」だ。
あゆみは、僕の思い出をぽつりぽつりと語り出す。後部座席でうなずいていた男は、あゆみの許可を得ると、僕が座るべき席に腰をおろした。
「今でも、亮の夢を見ます」
「そうですよね」
「今日は、側にいる感じがして……」
「まだ一年ですから、忘れられる訳がない。僕も両親の夢を見ます。寂しさと悔し涙で目が覚める……」
互いの言葉で、二人の目はブルーになった。
「父は、失礼なことを言いませんでしたか?」
「いいえ、いいお父様でした」
「父は、口が悪くて……」
「仲のいいご夫婦でしたよ」
「母には優しいのですが、僕にはケンカ腰です」
男は困った顔で、頭をかいた。
「僕の独りよがりな親孝行で、寿命を縮めた。
詫びたところで、親は戻ってこない」
「――あなたに、お父様から伝言があります。短い言葉ですけど聞いて下さい」
「えっ?」
「『いい息子に育った』嬉しそうに、そう言いました。
ご両親は、旅行を楽しんでいました」
「四角い顔」は、僕の席で涙を流し、あゆみに背中を撫でて貰う。
「すみません。あゆみさんも辛いのに……」
そう言いながら、ずっと泣いていた。
翌年、「四角い顔」は、あゆみの許可なく隣に腰をおろす。二つ用意された花は、同じラッピングでオレンジの百合だ。
僕が気づいたのは、事故から三年がたった「慰霊の日」だ。
献花台に並んで立つのは、「四角い顔」とあゆみで、二人の手首に揺れていたのは、オレンジのミサンガだった。
これから、あゆみが泣くと、涙を止めるのは「四角い顔」かな。
後悔はないの?
その人は、将来、指毛が生えてくる遺伝子を持っているよ。
あゆみの笑顔に、迷いはないようだ。
オーストラリアに、留学していたって?
悪かったよ。二浪か留年って言って……
ねえ、あゆみ?
僕の言ったとおり、心の傷は時間じゃないと癒やせない。
だけど、時間は残酷な顔を持っている。
日々の暮らしで、優しさの定義はガラッと変わる。ちゃんとアンテナを彼に向けて、くもらないように優しさのハンカチで磨くといい。
その人は、君を愛している。
結婚式は出席できない。その日は都合が悪くてね。
また、どこかで会えるさ。そのとき、君は彼と手を繋ぎ、笑いながら街を歩いているかも知れない。やがて、二人の手を握るのは小さな手だ。その子は、君の笑顔を彼に伝えるメッセンジャーになる。
君が泣いても、僕はもう泣かない。
これからは、君が笑うと僕は笑う。
悪いね。少し眠くなってきた。
僕はもう眠るよ。
END
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座席番号 3C 渡辺 亮
支笏湖ブルー 君が泣くから僕も泣く 雨京寿美 @KOTOMICLUB
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