第5話 獅熊と雁馬
しかし言っていいはずがなく、獅熊は心の中でため息を吐く。長く、重く、そして行き場のないため息が、白いガスのように充満していく。
あの田中という店員は、
「コイツ抜きの仕事はないのか」
以前、仕事の仲介人に獅熊は主張した。仲介人が経営するホテルのスイートルームで、仕事の打ち合わせをしているときだ。
獅熊の前にはスーツ姿の仲介人、獅熊の隣には、だらしない姿勢でニンテンドーDSをしている雁馬がソファに座っていた。
「ない」
仲介人はそう言った。物事を鋭く見極める、はっきりした声だった。
「お前たちはセットだ。単品だと物足りないが、セットなら満足できる」
仲介人はファストフードの商品のように言った。自分が商品のように言われたことに獅熊は憤りを感じるものの、それは納得せざるを得ないことではあった。このペアは、雁馬が攻撃、獅熊が守備、という体制でできている。もちろん最低限の戦闘は獅熊にもできるが、その単品に来る仕事など、それほど大したものでもないと予想が付く。また逆も然りで、戦闘以外のほとんどを獅熊に任せる雁馬も、単品では誰も興味がないに違いない。獅熊と雁馬のペアだからこそ、いまの仕事があるというわけだ。
あまり表情にでない獅熊が、そのときばかりは、珍しく落胆していた。スイートルームから出た後だ。最上階までエレベーターが来るのを待っている間、隣にいる雁馬はその獅熊の顔を窺って、「どうしたんだよ獅熊。元気出せよ」と言った。
コイツは本当に思慮に欠けている。お前のことを言っているのだ、とぶん殴ってやりたい気持ちだった。話を聞いていなかったり、勝手な行動をしたり、いまのように、何食わぬ顔で逆鱗に触れてくる。そしてそれを微塵も悪いことだと思っていない。些細なことではあるものの、長年一緒に居ると看過できるものではなくなり、最近はもう我慢とか、そういう次元じゃなくなっている。
本当に殴りたい気持ちだったが、どうせ「痛ってえな、何するんだ!」とブチ切れて、本気で殴り返して来るに決まっていた。雁馬はその気になれば、拳一つで家を全壊させる。実際、それを獅熊は見たことがある。あんな拳は、いくら頑丈な獅熊でも御免だった。だったらもう、心の中でため息を吐くしかない。獅熊の心の中は、濃密なガスのようなため息で、何も見えないほど充満している。
その雁馬が、この海鮮居酒屋でバイトをしているのだ。十年来、一緒に仕事をしてきたとはいえ、そんなことは知らなかった。飯塚とともに入店すると、「いらっしゃいませ!」と聞き慣れた声がした。は? と思うものの、雁馬は「いらっしゃいませ! 二名様でしょうか!」と大きな声で言ってきた。「いやお前、なんでここでバイトしてんだ」と、そう言いたかったが、またしても獅熊は、はぁ、と心の中でため息を吐くだけだった。
「山田にも、ウチの課を導いて欲しいもんだな」
飯塚は微笑みながら、獅熊にそう言った。嬉しそうな目を向けてくれるのに、獅熊は合わせることがちょっとできない。獅熊は苦笑いをしつつ、すみません、の意味で頭を垂れた。本当に、恐縮だ。
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