ハイパースター

いちた

第1話 海鮮居酒屋

「俺はさ、野球でプロになりたかったんだ」

 上司の飯塚はジョッキグラスを口に傾けた。机に置くと、ゴトッ、と分厚い音が響く。

「メジャーリーガーとか、そういうのじゃない。しっかり現実を見た上で、プロになりたいと思ってた。努力して、入団して、一軍じゃなくていい……プレーを続けて少しでも人に勇気とか、感動を与えられるような選手になりたかったんだ」

 飯塚はそこまで言うと、もう一度ジョッキグラスを傾けた。そのまま飲み干して机に置くと、「まあ、挫折したんだけどな」と軽く言う。ジョッキの中の氷が、カラ、と崩れる。

 飯塚は「つぎ飲むか? 山田」と聞いた。

「いえ」

 獅熊シグマは小さく答える。

 飯塚は「身体はでかいのにな、山田は」と言って、テーブルの横を通りかかった男の店員に「すみません、レモンサワー一つ」と注文した。「はい!」と店員は大きな声で応答する。

 声がうるさく、獅熊は少しだけ、眉をひそめた。

 山田という名前は、獅熊の一般人としての名前だ。山田は印刷会社で派遣社員として働いているが、獅熊は裏社会の業者として、日々物騒な仕事を請け負っている。

「レモンサワー一丁!」

 男の店員は厨房に向けて大きな声で叫んだ。厨房からは「アーイ‼」と威勢の良い掛け声が返ってくる。駅に近い、個人の海鮮居酒屋だ。店内はそこそこ広いが、席はほとんど埋まり、賑わっている。人気店のようだ。

「よし山田、見てろよ」

 飯塚は何を思い立ったか、手が届く範囲を目で探した。すると、それがいいと思ったのか、テーブルの端にあるペン立てに手を伸ばして、赤いペンを取った。両端がキャップで、太字と細字が書けるものだ。何だ、と獅熊は思う。

 飯塚はそれを持って振ったり、握ったりした。形状や、重さなどを、手で計っているようだった。五、六秒もすると何かの準備ができて、「よし」と飯塚は言った。

「これを飛ばして、机に落ちたときだ」

 これはペンです、という持ち方で飯塚が言う。自信のある様子はマジシャンのようだった。

 机に落ちたとき……。獅熊は反芻して、想像した。そして何も思い浮かばず、飯塚の手元を集中して見ていた。一体、何だというのか。

 飯塚は梃子てこの要領でポーン、と赤いペンを上に飛ばした。細くて丸くて、少し光沢のある赤いもの、それがくるくる、と何度か宙を回って、すぐ机に落ちた。

 ……何だ? これは。

 飯塚が言った通り、それは本当に机に落ちたときだった。赤いペンは倒立して一瞬止まり、トントン、と何度か跳ねて倒れた。獅熊は、目を見張った。

 飯塚はそのまま、二回、三回、四回、五回、と何度も拾っては赤いペンをポーンと上に飛ばすのを繰り返した。何回繰り返しても、飛ばされた赤いペンは机に落ちるとき、倒立して、トントンと跳ねて、倒れた。

「よし、じゃあ山田。左手を広げてみろ」

 飯塚は指示をした。

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