第2話 赤いペン

 左手を広げる? 獅熊は言われたことを頭の中で反芻する。マジシャンから指示を受けるとき、観客はこんな気持ちになるに違いない。つまり何なのか分からないが、なんだか凄い気がする。

「こう、キャッチャーの感じだ」

 飯塚は獅熊が広げた手を修正して、「よし」と言った。獅熊はまさに、キャッチャーの感じになる。そんな自分を俯瞰すると恐ろしかったが、いまから飯塚が何をするかへの興味の方が、若干大きかった

「手のひらに投げるから、当たったら、手を閉じてみろ」

 飯塚はそう言うと、今度は赤いペンを前に投げるように構えた。やはり自信があるのか、飯塚はモーションを取ることなくすぐにポーン、と赤いペンを投げた。ピッチャーのようだ。くるくる、と回転しながら宙を飛び、獅熊の手のひらに当たる。

 そしてまた、それは当たったときだった。赤いペンは手のひらに対して垂直となり、一瞬だけピタッ、と止まった。机のときと同じだ。重力で落ちる前に、獅熊はゆっくりと手を閉じる。それで獅熊の手中には、赤いペンが収まっている。

「ペンじゃなくても、重さや形が分かれば、大体思った通りに投げられる」

 飯塚はそう言って、まあ補欠部員が手に入れた変な特技だな、と自嘲気味に笑った。

 獅熊は左手の赤いペンを持ち直して、眺める。細工はない、お店のものだ。また、ペンを右手に持ちかえて、感覚の残っている左手をグ、パ、と閉じたり開いたりしてみた。そうやってさっきピタッ、と手にきた感覚を思い出していた。細いペンの重心が手のひらに伝わって、突き刺さったような感覚さえした。そう、さっきのは、だった。

「凄いじゃないですか」

 獅熊は割と真剣にそう言った。野球部時代にどんな補欠の仕事を、いくらしていたとしても、普通の人間にできることではないと思った。

 飯塚は少し噴き出すような息遣いをして、目の前でぶんぶんと手を振る。

「全然こんなのは、大したことない。寧ろこんなことができるまで補欠だったのかって、恥ずかしいぐらいだ。しっかりとプロになった奴の方が凄い」

 飯塚はしかし嬉しそうに言った。悔しさが滲むものの、現実を見つめた潔い諦観もある。それなりの努力をしたが、しっかり区切りをつけてきた人間にしか言い表せない、言葉の爽やかさが感じられた。

「山田は何かないのか。そういう昔の、将来の夢じゃないけどさ」

 飯塚が話の向きを変えるように、獅熊に聞く。

「そうですね」

 獅熊は少し考えた。子供の頃、スポーツ選手に憧れたり、お金持ちの社長に憧れたり、普通の子供が抱くような将来の夢を、獅熊も持っていた。しかし、それに飯塚のような具体性はない。漠然としている。漠然としたまま道を外れ、裏社会に沈み、獅熊という殺し屋をやっているいまに至る。

 獅熊は、右手に持っていた赤いペンを、さっとペン立てに直した。

「特になかったです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る