第14話 兄弟
「獅熊?」
巨体が膝をつき、身体を丸めている。雁馬は後ろから、「大丈夫か?」と聞いた。「ちなみに大丈夫ってのは、立派な男って意味なんだぜ」
獅熊は、ゆっくりと息を吸った。膝をついたまま、顎を引いて、自分の左の肺の辺りを見る。長い何かが刺さっていた。少し太くて、長い、大きな釘のようなものだ。奥から、くるくると回転しながら飛んできたのが一瞬だけ光に照らされて、獅熊には見えていた。
獅熊はそれを抜いた。正確に、真っ直ぐと刺さっていた。きっと心臓を狙ったのだろう。幸いにも、外れたわけだ。
入り口に、誰かがいる。玄関の電気を消したのか、暗くて顔は分からない。しかし、うっすらとではあるが人影は確認できる。そして何よりも、この刺さる感覚には、覚えがあった。赤いペンを左手に受けたときの感覚だ。真っ直ぐに、刺さるような感覚。やはりか、と思った。この世界から足を洗おうと思ったら、それなりの刺客が来るわけだ。
人影は、まだいる。しかし、肺に刺さった釘を抜いて獅熊が立ち上がったから、慄いたのだろう。戸惑うような、立ち去るような挙動を僅かだが見せた。
「誰かいるのか?」
後ろから雁馬はそう言った。先は暗く、雁馬には何も見えていない。
獅熊はそれには答えず、ゆっくりと息を吸った。そして、叫ぶ。
「俺は孤児だ! 身内などいない!——ぐっ、う」
言い終わりに、咳き込んだ。肺に激痛が走る。
獅熊はまた膝をつきそうだったが、堪えた。あの影が立ち去るまでは、二本の足で堂々と立ち続けなければならない。心身ともに、頑丈さだけは自慢だ。それだけで生きてきたのだから。
「おお獅熊、俺と同じだな。俺も孤児だ」
雁馬が嬉しそうに、後ろから言った。いまどのような状況なのか、何も分かってないのだろう。
気づけば、入り口に人影は無くなっていた。去ったようだ。獅熊は安堵し、一旦、床に座った。動くたびに、肺に激痛が走る。顔が歪み、脂汗が滲む。
雁馬は、そんな獅熊の顔を窺って、「どうした獅熊、元気出せよ」と言った。あ、ヤクルト飲むか? と加えて聞いてくる。
獅熊は、「いらない」と答えた。あれ賞味期限切れだろ。コイツは、思慮が本当に欠けている。いま、獅熊は心臓を刺されて死ぬかもしれなかったのだ。
そのまま少し休むと、しっかり息が吸えて、吐けていた。もう少し休めば、歩くぐらいは普通にできそうだった。
「まあでも」
雁馬は思い出したかのように、そう言った。獅熊は、どうせ何の脈絡もないことを言うのだろうと思うが、耳だけは傾けている。
「身内はいねえけどよ。兄弟みたいなもんだよな、俺たち」
冗談か本気か、分からなかったが、雁馬はそう言って、よいしょ、と獅熊の隣に座った。隣に座られた獅熊は眉をひそめた。しかし、悪くない気分ではあった。兄弟か。
「ああ仕事、辞めないとな」
獅熊はそう言った、辞めるのは、派遣先の印刷会社の方だ。正社員の話も、もしかしたら飯塚が獅熊を殺すために持ちかけたものかもしれない。手の込んだことをする業者もいるものだ。
「俺もバイト辞めるか」
雁馬はそう言う。俺も? と獅熊が思っていると、雁馬は「いよいよ、ハイパースターになるときだな」と言った。何だハイパースターって、と聞き返してみるかと思ったが、やっぱりやめておいた。どうせそんなに、大したことではないに決まっている。
大したことではない。
しかしまあ、退屈ではないか。
獅熊は、ふいにそう思った。そう、コイツと一緒にいるのは、退屈ではない。
獅熊は思った。ぶん殴ってやりたいときはあるし、話が噛み合わないときもある。というかその方が圧倒的に多い。いや、ほぼそれだけだ、確実に。しかし、いまはとりあえず、退屈していない。
なんだか、それでいいと思えた。少し死にかけたから、妙に落ち着いているのかもしれない。
心の中のため息が、消えはしないものの、フッと軽くなる気がした。
なあ、駅まで競争しようぜ。と言ってくる雁馬に、獅熊は苦笑いして「黙れ」と言った。
ハイパースター いちた @Kaworu_if
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