第9話 一ミリも恐くない
鮫島は薄い寝間着を着ている。しかし、目ははっきりとしているようだ。特に慌てている様子もない。寝ていたのではなかったのか。
「おお気になるか。俺は雁馬だ。こっちは獅熊。数学記号じゃないぜ。動物っぽい感じの名前なんだ。『雁』と『馬』、獅子の『獅』と『熊』って書くんだ、難しいよな」などと空中に漢字を書いて説明をする雁馬に対して、鮫島は顎を引き、「喋るな、撃つぞ」と言った。落ち着いた声だった。寝間着姿で拳銃を片手にしているのは、中東の富豪を思わせる格好だった。
雁馬は、鮫島に警告されたばかりであるのに、のうのうと「酷えな」と反応した。「誰だ、って言われたのに。な、獅熊」。残念だが、コイツは人の話を聞いているようで、全く聞いていない
後ろに言った雁馬を、獅熊は無視した。その代わり、じっと鮫島を見る。確かに、写真で見た男だった。先日、この部屋に入っていったあの鮫島。
ふと目が合うと、鮫島は銃口を、雁馬から獅熊に向けた。何もするなよ、と脅されたかのようだった。獅熊はサッと手を上げてみせる。私に反抗の意志はありませんよ、とでも言うように。一ミリも恐くない、というのは本当だ。
やっぱり、簡単だな。
獅熊は鮫島に対して思った。拳銃で脅しが利くのは、それが相手に恐怖を抱かせるからだ。鮫島の片手の持ち方では、引き金を引くときに力みが出る。だからその瞬間に避ければいい。確実に避けられるものは恐怖ではない。つまり脅しにならない。
お前は少なくとも早く撃つべきだった。
銃口から外れた雁馬は体重を消した。しゃがみ、地面を蹴ると、拳に体重を乗せて、鮫島の鳩尾に入れる。動作はそれほど速くないのに、一切の無駄がないため相手は認識できず、まともすぎる重たい一撃を喰らった。
「うっ——」
鮫島は嗚咽を口にして、一歩引いた。銃を落とす、が、これほどまともな鳩尾を喰らって、立っているのは立派ではあった。さすがヤクザではあるのか、と獅熊は思った。
雁馬が容赦なく足で蹴り押すと、さすがに倒れた。呻き声が漏れる。うまく呼吸ができなくて、いまにも泣きそうな、悔しそうな、死にそうな鮫島の顔を、雁馬は馬乗りになって容赦なく殴る。びち、ごき、と鈍い音が絶え間なく続いた。目、鼻、顎を二十秒ほど殴り続けると、鮫島から力が無くなっているのが分かった。出血は少なく、腫れたり、折れたり、陥没したりして、ただただグチャグチャになっている。
「ああ、喉、乾いたな」
雁馬は、よいしょ、と膝に手を付いて立ち上がって、キッチンの方へスタスタと歩いて行く。部屋は整頓されており、物も少ない。質素だ。こちらとしては仕事がしやすく、ありがたくはあるが。
獅熊はグチャグチャの顔に耳を近づけ、しっかりと、息をしていないことを確認した。数十秒前まで生きていたのが嘘のようだ。
「おい獅熊」
冷蔵庫の方から雁馬の声がする。
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