第23話

 学院からの帰りの馬車の中で、リオはミルスと他愛ないことを話し合っていた。


 ミルスとリオは、互いに今日起こった何気ないことで笑いあっていた。


「――ああそうだ、レオナルドから言われたんだけど。

 『ミルスの嫉妬の視線が怖い』って言ってたわよ?

 可哀想だから、控えてあげて?」


 リオの言葉に、ミルスが仏頂面になって応える。


「そうは言うが、学級が別の俺が爪弾きにされるのが気に食わん。

 昼食もさっさと食べ終わって、その後はすぐ球避け遊びドッジボールに興じてるじゃないか」


 昼食の時にはミルスも合流する。


 だが、球避け遊びドッジボール仲間たちは時間が惜しいとばかりに昼食を食べ急ぎ、校庭に飛び出していってしまうのだ。


 リオがきょとんと小首をかしげた。


「爪弾きなんてしてないわよ。

 ミルスも球遊びに参加すればいいだけじゃない。楽しいわよ?」


 ミルスが苦笑を浮かべて応える。


「俺はお前のように、最初から周囲に対等を強いてきた訳ではないからな。

 学院内でも王族として扱われてきている。

 今から言葉で対等と告げても、どうしても俺に対する遠慮は出るだろう。

 そんな状態で球遊びに興じてもつまらんし、お前の邪魔になるだけだ」


「そこまで私の事を思ってくれるのに、嫉妬の視線は我慢できないんだ?」


「そりゃそうだろう?

 レオナルドの奴、お前の肩に馴れ馴れしく手を乗せるんだぞ?

 それを静かに見ていられるほど、大人にはなりきれねぇよ」


 不貞腐れるミルスを、リオはどこか嬉しそうに見つめていた。


 リオが上目遣いにミルスを見て尋ねる。


「……私が浮気しそうで心配?」


「お前がそんな事をする女だと思ったことはないさ。

 だが俺の妻に馴れ馴れしい男を好意的に見ろと言われても、うなずけるわけがない」


 リオは微笑みながら、眉をひそめて唸った。


「う~ん、レオナルドが馴れ馴れしいのは、別に私に対してだけじゃないんだけどなぁ。

 彼はああいう性格なのよ。

 ミルスは自制心が弱いから、自分を抑えるのに苦労するのね」


 確かにレオナルドが肩に触れるのはリオだけではない。


 親しい友人相手なら、男女構わず無意識につい手が伸びてしまうという悪癖持なのだ。


 いわゆる『触りたがり屋』というべきだろうか。


 そこに親しみの情以外の意味はない。


 周囲はそれを理解しているので、敢えて嫌がる事もしない。


 彼の周囲に居る異性の該当者が少なく、特に親しいリオとレオナルドが目立つだけだ。


 それはミルスも理解してはいるが、嫉妬を抑えるのは難しいと感じていた。


 ミルスはふと、胸に浮かんだ疑問が気になり、口にする。


「なぁリオ、お前は『俺が他の女と馴れ馴れしくしてたら』どう思うんだ?

 想像してみてくれ」


 リオがきょとんとした後、赤い瞳がしばたき、すぐに笑顔に変わる。


「前にも私は言ったわ。

 私はあなたの妻で、あなたは私の夫。

 そこに一抹の不安すら感じていない。

 この言葉だけでは不足なのかしら?」


 リオの力強い言葉に、ミルスは苦笑を浮かべて応える。


「俺の妻は頼もしいな。

 だが嫉妬をしてもらえないというのも、少し寂しく感じる。

 ……いや、これは俺の我儘だな。忘れてくれ」


 リオが再び瞳をしばたかせた後、突如として剣呑な笑みに豹変した。


 その豹変ぶりに、ミルスは思わず息を呑んだ。


 命の危険を感じるような笑みを浮かべたリオが、静かにミルスに問う。


「――逆に聞くわ。

 私が嫉妬に駆られたとして、どういう行動に出ると思う?

 もしかして、ミルスはそちらがお好みだったのかしら?

 嫉妬に燃えるだなんて『私らしくない』と思うんだけど。

 でもあなたが言葉では足りず『態度で示してほしい』と望むなら、そういう対応を取っても構わないわよ?」


 ミルスはその言葉に、しばらく絶句した。


 リオは『借りは必ず返す』と有言実行し、そのためなら命を削る事すら厭わない女だ。


 そんな苛烈な女が燃やす嫉妬の炎は、さぞよく燃え盛ることだろう。


 この手負いの肉食獣のような獰猛な笑み――こちらがおそらく、理性で覆い隠していたリオの本心だ。


 しかもこの笑みすら、その炎の片鱗でしかないと感じていた。


 ミルスの体に他の女が触れた瞬間、疾風迅雷の如くリオが駆け付け、相手の女を様々な意味で再起不能にしかねない。


 そう思わせる壮絶な笑みだった。


 たちが悪いことに、それを可能にする権力と武力を、今のリオは兼ね備えている。


 ミルスはその状況を思い描き、背筋に走るおぞけをこらえきれず、身を震わせた。


 夫に架空の女が馴れ馴れしく触れるという、曖昧な想像だけでこれほどの嫉妬の炎を燃やす。


 その炎を『自分らしくない』という強固な意志で自制し、平然と笑える女。


 それが『リオ』なのだと、ミルスは改めて理解していた。


 仮にリオの自制心が嫉妬心に負けた場合、どんな惨状が待ち受けているかなど、ミルスは想像したくもなかった。


 可愛い嫉妬を望みたかったが、どうやらリオの嫉妬は火力が強過ぎて、それは望めそうにないと理解した。


 嫉妬していない訳ではない――それが解っただけで充分だと、ミルスは納得したのだ。


「……今のままでいい。

 お前が自制心の強い女で良かったと、創竜神に感謝しよう」


 リオが一転して無垢な微笑みでミルスを見つめた。


「わかったわ。

 それじゃあ今まで通り、『わたしらしく』対応するわね」


 ミルスは、リオが垣間見せた内に秘める炎を、欠片も見せないその笑みを見て戦慄していた。


 『金輪際、いたずらに嫉妬を煽る真似はすまい』と、固く心に誓った。





 リオに裏表がないなど、とんでもない話だ。


 陰湿とは無縁だが、これほど二面性が極端な女は珍しいだろう。


 一見無害な小動物だが、一皮むけば規格外の猛獣が潜んでいる女だ。


 その事を知らずにいるレオナルドは、幸せ者なのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る