第10話

 リオが目覚めると、そこは第三王子の私室だった。


 もちろん、第三王子妃であるリオの私室でもある。


 服はネグリジェに着替えさせられており、一人でベッドに寝ていた。


 朧気な記憶を辿り、自分が再び力を使い過ぎて倒れたのだと悟った。


「起きたか」


 横から声をかけられ、顔を向ける。


 そこにはパジャマを着て椅子に座るミルスの姿があった。


「エルミナ王子はどうなったの? ファラさんは?」


 ミルスが今日、何度目かの苦笑を浮かべて応える。


「その『自分の事より他人を先に心配する癖』は少し改めろ。

 お前の方が状態が悪いんだぞ。

 『敗北した竜将候補は、他者から治療を受けられる』んだとさ。

 王宮魔導士たちが治療して、今は自分の部屋で寝ているはずだ」


 敗北し、証を失った時点で『竜将候補』ではなくなる。


 成竜の儀のルールは、もう彼らには適用されないのだ。


「そう――無事で良かった」


 心の底から安堵して、リオは微笑んだ。


 ミルスは納得がいかないように尋ねる。


「なぜあれほど無茶をしてまで、エルミナ兄上に殴りかかっていったんだ?」


「何度も言わせないで。

 私は朝の借りを返したかっただけ。

 ただそれだけよ。他に理由はないわ」


 その回答に納得していない様子のミルスは、再び質問を口にする。


「そんな理由のためだけに、命を削るまで戦えるものなのか?

 お前は力を使い過ぎて、寿命を縮めたはずだ。

 それは、お前にも自覚があるんだろう?」


 リオは静かに微笑んだまま応える。


「そうね、確かに魂を削られるくらい苦しい思いをした。

 けどそれがどうしたっていうの?

 借りは必ず返すわ。

 そのために必要なら、多少の寿命くらい安いものね。

 ――そんな事より、あなたこそどうしたの?

 腑抜けだったあなたが勇ましくお兄さんに殴りかかっていけた事の方が私には驚きよ?

 腑抜けは返上したの?」


 ミルスは自嘲の笑みを浮かべて応える。


「腑抜けか。確かに俺は腑抜けていた。

 吹っ切れた今は、それが恥ずかしいほどよく分かる。

 なぜ俺は、あれほどおじけづいていたんだろうな」


 リオはきょとんとして瞳をしばたかせ、ミルスに尋ねる。


「吹っ切れたの? あれほど頑なに戦いたがらなかったあなたが、急にどうしたっていうの?」


 ミルスは、さわやかな微笑みを浮かべて笑っていた。


 その目はリオの瞳を捉えている。


「エルミナが力尽きたお前の顔面を狙った瞬間、思わず身体が動いていた。

 後はもう、身体が動くに任せていただけだ。

 気が付いたら、吹っ切れた自分が居た。

 どうしてなのかは、俺にも分からん」


「ふーん……じゃあ、ヤンク王子と戦う決意もできたの?

 あの人はエルミナ王子とは比べ物にならない強敵よ?」


 ミルスがニヤリと微笑んだ。


「ま、なんとかなるだろ?

 ヤンク兄上はエルミナ兄上と違って、急に襲い掛かってくることはない。

 お前の体調が戻ったら、二人で戦いを挑めばいい。

 それで勝つ! ……シンプルだろ?」


「……勝つ気でいるんだ?」


 ミルスが呆れたように応える。


「戦う前から負けるつもりで挑む奴が居るかよ?

 やるからには、勝つつもりでやる。

 当然だろ?」


「うわー、その言葉! 『数時間前の誰かさん』に聞かせたいわー。

 懇々切々こんこんせつせつと聞かせたいわー」


「……だから、それは反省したから、ほじくり返すのはやめてくれ。

 いたたまれなくなる」


 二人が声を上げて笑った後、ミルスが立ち上がった。


「顔色も良さそうだ。

 今日はもう大丈夫だな。

 お前はこのベッドを使え。俺は隣室のベッドを使う」


 そう言い残し、ミルスはその場を後にした。


 呆気に取られたリオが小さくつぶく。


「形の上では夫婦なんだから、同じ部屋のベッドでもいいんじゃない?

 ……そんなに私が嫌なのかしら。

 あら? 私はなんで、それを残念に思ってるの?

 不思議ね」





****


 部屋の外では、ミルスを追いかける侍従が似たようなことを尋ねる。


「なぜご夫婦なのに、別の部屋を用意しろ等とおっしゃるのですか?」


 ミルスが赤い顔で歩きながら応える。


「同じ部屋で寝て居たら、俺の理性が耐えられん。

 俺はまだ、リオから夫として認められた訳ではないのだ」





 若い二人はまだ、お互いを夫婦として認め合えなかった。


 リオは己の心にまだ自覚がない。


 ミルスは、不甲斐ない姿を見せ続けたことで、リオに負い目を感じていた。


 まだ夫として名乗る資格がないと、勝手に思ってしまったのだ。


 そんな若い夫婦は、両片思いですれ違いながら、その夜を過ごしていった。

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