第14話 佐藤一郎の圧迫面接

 深夜の住宅街を佐藤氏とふたりで歩く。

 僕とTのどうでもいい話に聞き耳を立てていた人と、こんな時間にこんなことをしているなんて、あの時は想像もしなかった。


「生きていたら、いろんなことがあるんですね」


 ぽろりと口から考えが転げ落ちる。そのことを「しまった」ではなく「まぁいいか」と思える程度に、僕は佐藤氏を受け入れるようになっていた。最も覆い隠さなければならないものをさらしたのだ。今更取り繕うような外面そとづらなんて、僕にはない。


「貴方、今おいくつでしたっけ」

「二十一です」

「二十一。お若くていらっしゃる」

「もう少ししたら就活が始まります」

「ウチなら喜んで採用しますよ」

「あのスカウト、本気だったんですか」

「勿論。即戦力となる人材を欲しがるのは、どの業界も同じです。ましてや我々の仕事はどれだけ丁寧に指導をしても、素質がなければ出来ませんから」


 佐藤氏が真顔で僕のことを褒める。


「そんな直球で言われたら、嬉しさよりも申し訳なさの方が先に来て居心地が悪いです」

「褒められるのは苦手ですか」

「まぁ、そうですね。今まで僕がしてきたことなんて、全部褒められたものじゃありませんから」


 僕は笑う。

 こういう時、反射的に笑ってしまうのはどうしてだろう。

 

 相手の心に負担を掛けないようにするため?

 自虐で傷付いた気持ちを誤魔化すため?

 境界を越えようとする相手を牽制するため?

 

 どれも正解で、どれも違う気がした。

 僕は笑いついでに尋ねる。


「佐藤さんって聞き上手だなとは思ってましたけど、話すのも結構好きですよね」

「説教臭いと鈴木からいつも言われます。うるさかったですか」

「あ、いや、全然。それが嫌とかではなくて。なんだろう、僕だったら曖昧にしてそのまま放置してしまうようなことも、きちんと言葉にして伝えようとしてくれている感じがするなと思って」


 靴底が地面と接する度、『じゃり』とも『ちゃり』とも聞こえる音が闇に広がり、散っていく。しばらくの沈黙の後、佐藤氏は言った。


「『察する』という言葉が、大嫌いなんです」

「大嫌い、ですか」


 驚いた。

 好き嫌いとは別のところに判断基準を置いているような佐藤氏が、こんなあからさまに好悪を言葉で出してくるとは。


「よくある表現で申し訳ないですが、親のかたき、もしくはそれ以上に嫌いです。『分かって欲しい』だなんて、他人に対してよくもそこまで甘えた考えが持てるものだと思っていますし、『言わなくても分かるでしょう』だなんて言われた日には試されているようで大変不愉快です」


 佐藤氏はいつものように淡々と話しているが、言葉の選び方の端々はしばしに感情が見える。


「その逆もしかりです。相手が何を考えているのか、何を言いたいのか、言葉にしなくても分かる人間なんていません。私からすればそんなもの、分かったような気になっているだけで、実のところは目の前の相手のことなど何も理解していないし、知ろうとする努力を放棄しているだけの、ただの怠慢です」

「そうでしょうか」


 伯母のことを真っ向から否定するような佐藤氏の言葉を、僕は聞き流すことが出来なかった。


「僕の伯母は佐藤さんが仰るような察しの良い人でしたが、それでも僕とは向き合ってくれていたように思っています」

「ではお尋ねしますが、貴方の伯母様は幸せだったと思いますか」

「え」


 左の方向へ進んでいた話が、急に右に旋回したように感じた。


「何が幸せなのかは個人によって異なりますし、貴方と伯母様は違う人物ですので、これは貴方の印象としてそう思うかという質問です」


 そう聞かれて、僕は記憶の中にいる伯母の姿を掘り起こした。

 人との付き合いを避けるように、一人で生きていた伯母。色々なものを譲り、諦める中で、伯母はどれだけの言葉を飲み込んできたのだろうか。察しの良さを当たり前のものとして幼かった僕は享受していたけれど、もしかすると伯母が切り離した人々と僕は同じことをしていたのかもしれない。言いたいことがきっとたくさんあったに違いないのに――。


「何か余計なことを考えていますね」

 

 佐藤氏が僕の顔を覗き込む。


「先程も申し上げましたが、貴方と伯母様は別の人間ですので、どれだけ伯母様の心情を推し測ろうとも深みにまるだけですよ。私は貴方自身の印象を聞いています」

「僕は……」


 言葉が出て来ない。

 幸せだったと言うには伯母の生き方はあまりに孤独で孤高だったし、幸せじゃなかったと言えば僕の存在が負担だったと自分で認めることになる。

 黙ったままの僕を見て、佐藤氏が言った。


「私は貴方の気持ちを察したりはしません。貴方のことは貴方の口から聞きたいと思っています。言葉を尽くすことは人間にしか出来ませんので」

「……これって圧迫面接ですか」


 質問に答えられない僕が苦し紛れに出した問い掛けに、佐藤氏は「それは大変失礼しました。質問を取り下げます」とあっさり引いた。


「私の口数が多いのは、言葉できちんと伝えたいためという一点に尽きるということが言いたかったのです。そして貴方にもご自分の気持ちを言葉にして表すことを諦めて欲しくないと思っています。どうも貴方はひとりで抱え込む傾向がありそうなので、突拍子のない問いに対しても考えていることをきちんと言葉ですぐに説明するトレーニングになればと思った次第です」

「聞き耳屋になるとそんな研修もあるんですか」

「この仕事が、というよりも一般社会で求められるスキルです。レスポンスが遅くなるほど、相手の期待を無駄に高めるだけですので」


 こういうことはすぐに打ち返せば案外それ以上ツッコまれないものですと、佐藤氏は言った。


「考えることはとても良いと思います。自力での解決を試みるのも大切です。しかし、一人で出来ることには限りがあることを貴方はよくご存じでしょう。本当に助けて欲しい時は、ちゃんと声に出すことをお勧めします」


 居合のような察し合いなど、読み違えた時に悲劇しか生みませんので――。

 

 佐藤氏はそう言うと、ピタリと口を閉じた。

 僕に伝えたいことを全て言ったのだろう。比較的小さな声でのやりとりだったが、無くなった途端、夜の空気が身体中にまとわりついてきたように感じて、僕は俄かに心細さを覚えた。


 本当に助けて欲しい時か。

 僕がこれまで生きてきた中でそう感じたのは、恐らく二度だ。


 一度目は、家族が亡くなった時。

 二度目は、Tを拒絶した時。


 今日が三度目になりませんように。

 何事もなく、Tを連れて帰ることが出来ますように。

 そんなことを祈るように考えていたら、隣を歩いていた佐藤氏が足を止めた。


「この家です」


 佐藤氏の視線の先に目を向ける。

 道路に面した戸建てと戸建ての間、七、八メートルほどの細い路地の奥に建物が見える。


旗竿地はたざおちですね」


 佐藤氏が聞き慣れない言葉を呟く。


「道路と接している竿のような細い路地の先に旗みたいな形をした土地が広がっている場所のことです。旗竿地に建てられた家は外側から見つかりにくく、死角も多いと言われています」


 ――エアポケットだ。

 E市を見て回っていた時に感じたことを思い出した。


「あの家に出入りするためのルートはこの路地のみです。ご友人が運転する車両も、恐らくこの近くで待機することになるでしょう」


 時刻は深夜二時十分。佐藤氏いわく、到着予定時刻は深夜二時三十分。あと二十分ほどある。僕たちは路地への出入りが見える位置に移動し、身を潜めた。


 本当にTは来るのだろうか。

 あいつが闇バイトだなんて、何かの間違いじゃないかと今でも思っている僕がいる。

 そうであって欲しい。


 落ち着かない気持ちでいる僕のそばで、佐藤氏の気配が揺らぐ様子は皆無だった。

 全ての聞き耳屋がこうなのか、それとも佐藤氏が別格なのか。

 そんなことを考えていたら、佐藤氏のスーツのポケットが揺れた。


「はい」


 佐藤氏がスマートフォンの通話ボタンを押して話し始めた。いくつかの短いやりとりの末に電話を切ると、僕を見た。


「少し離れます。貴方はここを見張っていてください。決して一人で動かないように。いいですね」


 そう言うと佐藤氏は立ち上がり、足早にどこかへ向かって行った。

 このタイミングで一人にするとか、マジか。

 ひとり残された僕は、ひとまず目を閉じて深呼吸をした。


 ゆるりと吹く風が、顔や手を撫でる。

 葉と葉がれる。

 何かの生き物がひそやかに移動する。


 こんな時間でも、世界から音は無くならない。

 右から人工的な音が近付いてくる。

 人の歩く何倍もの速さで接近してきたその音は、僕のすぐ近くで止んだ。

 目を開けると、路地のそばに黒のワゴン車が停車している。

 

 運転席にいたのは、Tだった。

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