森の中にて、『お菓子の祠』を見つけました

黒澤カヌレ

森の中にて、『お菓子の祠』を見つけました

 もう限界だ、と目の前が何度も揺らいでいた。

 もうかれこれ三時間以上、森の中をさまよっている。登山コースから外れてしまい、完全に道に迷う形になった。


「どうしよう」と僕は何度目かの呟きを発した。

 歩き疲れて、足の感覚も曖昧になっている。


 それ以上に、おなかが空いて仕方なかった。昼は山頂にあるというレストランで食事を取るつもりでいたから、お弁当もおやつの類も持参してきていない。買ってきたペットボトルも既に空になっていて、口に入れられるものが何もない。


 ふらふらと、あてどなく森の中をさまよう。

 誰か、と心の中で救いを求めた。


 その途中で、ぼんやりと視界の奥に白い物体が浮かび上がった。

 引き寄せられるようにして、目にした物の方へと歩いていく。


「なんだ、祠か」


 大人の胸の高さくらいの、白っぽい祠が佇んでいた。

 なんの神様を祀っているのかわからない。でも、今の僕に必要なのは神様じゃない。


「お供え物なんか、さすがにないよな」

 祠に手を触れ、そっと中を覗き込む。小さな格子の奥を見たが、中は空だった。


 く、と声に出し、僕は屈めていた体を元に戻そうとする。

 その途中で、不意に鼻腔をついてくるものがあった。


 甘い、と脳が自然と反応する。


 ひくひくと鼻を動かし、匂いの元がどこから来るのか探ろうとした。


「この祠、もしかして?」

 表面に手を触れ、ざらざらとした質感を味わう。顔を傍に寄せ、改めて匂いを嗅いだ。


「まさか」と声に出し、祠の屋根の部分を指でつまむ。


 パキっと小気味のいい音がして、ひと欠片を割り取ることができた。


「これ、お菓子で出来てる?」

 手の中にある祠の欠片は、どう見てもビスケットだった。


 空腹になり過ぎて幻覚でも見ているのか。そもそも、いつ頃からここにあったのか。

 色々と懸念が浮かんできたが、気にしている余裕はなかった。


 心を決め、ビスケットを口の中に運ぶ。

 その直後に、頭の中に電気が走った。


「うわ、おいしい!」


 ただのビスケットじゃない。二枚重ねになっていて、間にホワイトチョコレートが挟んである。北海道辺りのお土産でありそうな、ラングドシャのクッキーだった。


 衛生上どうかとか、考えている余裕はない。もしかすると、神様が僕を助けようとして祠をお菓子に変えてくれたのかもしれない。


 次々と祠の表面を割り取って、貪るように口の中に入れていく。

 美味しい。こんなに美味しいお菓子、今まで食べたことがない。


 気づいた時には、目の前の祠が消えていた。


「ごちそうさまでした」

 とりあえず手を合わせ、神様への感謝を述べる。


 つい、完食してしまった。





 これは、天罰でも下るんだろうか。

 祠を丸ごと食べてしまうなんて、罰あたりにも程がある。


 東京のアパートに帰ってからも、ずっと祠のことで頭がいっぱいだった。

 でも、罪悪感はすぐに心の中から消え去ってしまう。


 あの祠のことを考えると、急におなかが空いて仕方なくなる。


「それにしても、美味しかったなあ」





 もしかしたら、という想いが芽生えた。


 あの森の中の祠だけが、特別なものだったのだろうか。でも、もしかしたら世の中にある祠というものは、僕が知らないだけで『お菓子』で出来ているものなのではないか。


 インターネットで検索し、近場にある祠を訪ねてみる。近所の公園のすぐ隣に、小さな祠が作られているのがわかった。


「ちょっと、試すだけだから」


 一目見た感じだと、普通に木で出来た小屋のように見える。でも顔を近づけてみると、またかすかに甘い匂いがした。

 屋根の部分に手を伸ばし、指先に力を込める。

 パキリ、と今度も軽く割ることができた。


「すみません。ちょっと味見を」

 軽く謝りつつ、破片を口の中に運んでみた。


「これ、マカロンだ」


 外側はふわふわでサクサク。内側はしっとりした甘み。そしてラズベリーの鮮烈な酸味。


「まさか」と他の部分も割り取ってみる。

 口に入れた途端、「くう」と声が出た。


 場所によって、味がそれぞれ違っている。次に食べたのはバニラ味。次はチョコレート。

 しかも、店で売られているのより何倍も美味しい。


「ごちそうさまでした」

 気づけばまた、完食してしまった。





 祠というのは、木や石で出来ているものではなかったらしい。

 神様を祀るものとして、ひそかにお菓子で精巧に作られている。きっと名のある職人が定期的に、それでいてひっそりと完璧なお菓子を作って各地に配しているに違いない。


 でも、なぜお菓子で祠を作るんだろう。

 答えはよくわからない。


 とりあえず、検証が必要だ。


「だから、一口だけです。味見するだけなんです」

 これは好奇心。決して食欲なんかじゃない。





「ごちそうさまでした」

 また、やってしまった。


 今度はカステラで出来ていた。ふわふわとした卵の甘みと砂糖のハーモニー。なんという至福。

 僕は、やはり祟られるのだろうか。





 我慢できなかった。

 近場だけでなく、他県にある山の上とか、海のほとりにあるものだとか、祠と名のつくものは手当たり次第に訪ねていった。


 どんな神様を祀ったものだと、どんな種類のお菓子になっているのか。


 水神様を祀ったものは、羊羹の味がした。火の神様を祀ったものは、飴細工だった。


「たまにはしょっぱいものも食べたいな」


 そんな贅沢を口にしつつ、稲荷神社を訪ねてみる。


「うわあ、おせんべいだ!」

 もう、胸の中がいっぱいになった。





 帰り道で、背後から呼び止められた。


「おい! お前が祠を壊したのか」


 田畑の間にある祠を訪ね、しっかりモナカの味を堪能した後だった。日焼けした顔の老人に怒鳴りつけられ、祠を跡形もなく消し去ったことを見咎められる。


 とりあえず素直に謝ろう。管理している人かもしれない。


「はい。美味しく、いただきました」

 深々と頭を下げると、相手は何も言わなかった。


 ついで、口元にあんこがついているのに気付く。拭いながら顔を上げると、老人は唖然と両目を見開いていた。


「食った? 祠をか?」

 まるで化け物でも見るように、彼は小刻みに震えていた。





 大体、答えが見えた気がする。

 なぜ、祠というのはお菓子で出来ているのか。


 それは、食べ物こそが『命の源』だからだ。全ての生き物は、食べるものがなければ生きていけない。全ての命を満たし、世の中を流転させる。それが食べ物の本質だ。


 つまり、食べ物こそが『神』と呼ばれるにふさわしい。


 そんな神様を祀るものなら、石や木ではなく、お菓子で作るのが適切だと思える。

 今まで味わってきた祠の中には、神様も住んでいたのだろうか。祠とは神様の住まうところという話もある。祠を食べた時に、一緒に中の神様も食べてしまったのかもしれない。


「神様って、美味しいものだったんだな」





 でもやはり、これは罰当たりだったらしい。


 その日に食べた仏塔型の祠は、クロカンブッシュで出来ていた。無数のミニシュークリームが固めて結合されていて、一個一個に芳醇なカスタードクリームが入っていた。


 満足感を覚えてアパートに帰ると、白い人影が出現した。


 僕の方を指差して、「#“‘&j@|¥$%!!!」と、良くわからない言葉を発している。とりあえず、怒っているのは伝わってきた。


 祠はやはり神様のためのもの。お菓子だって彼らの食べるものだったのだろう。それを僕が口にしたから、きっと怒って出てきたに違いない。


 申し訳ない、という想いは生まれる。

 でもそれ以上に、食欲が刺激されて仕方なかった。


 目の前にいる真っ白な影。それを中心に、甘い匂いが漂ってくる。

 やっぱり、僕の考えは間違っていなかった。


 何かを考える前に、ふらふらと『神様』の元へと歩いていってしまう。


「ごちそうさまでした」

 次に気づいた時には、また両手を合わせていた。





 あんぱん、クリームパン、エクレアにビターチョコ。

 その後も各地の祠を巡っては、様々なお菓子の味を堪能していった。お店に売っているもので我慢しようかとは考えたけれど、祠に使われているお菓子には到底敵わなかった。悪いとは思いつつも、僕は食べることをやめられなかった。


 竹林の中を歩き、また小さな祠を発見する。

 丁寧に割り取って、欠片を口に入れていく。今回はゴーフレットで出来ていた。


 そうして今日も祠を完食した後、竹林の奥から白い影が出現した。

 一体だけではなく、同時に五体。それらが僕を取り囲み、指を差して怒りの声を発する。


「すみません。美味しかったもので」

 僕は両手を合わせ、とりあえずの謝罪を口にする。


 でも、許してもらえるはずはなかった。


 真ん中にいた一体がひときわ大きな声を上げ、僕を糾弾した。

 次の瞬間に、ふわっと足元の感覚がなくなった。


 これは、とすぐに状況が理解できた。


 足元に黒い穴が空き、僕はその中へと落ちていく。

 僕はきっと、神様の怒りに触れた。そして、天罰を受けている。


 これは間違いなく、『地獄』に落とされてしまうものだ。


 でも、心の中は穏やかだった。

 僕を取り囲んでいた神様。今日もとても、甘い匂いがした。


 これから行く地獄には、どんな出会いが待っているのだろう。

 鬼たちや、閻魔大王。その他にも様々な神様がいるはずだ。


 やっぱり、食べたら美味しいんだろうな。


 真っ暗な奈落の底へと落ちながら、僕はにっこりと微笑んだ。





 ◆◆◆


 今日は、降霊会を行う日だ。


「死んだおじいちゃんがどうしているのか、地獄の亡者に聞いてみるんだ」

 ユキオは放課後の教室に佇んで、仲間たちに呼び掛ける。みんなが一斉に頷き、一個の机を取り囲む。


 小学校の校舎の中は、夕方の五時を過ぎて薄暗い闇に包まれている。電気はつけず、一心に覚えてきた呪文を唱え始める。


 すぐに、ぼんやりとした影が出現した。


「あなたは、地獄の亡者ですか?」

 現れた幽霊に対して、ユキオは真っすぐに呼び掛ける。


「ああ、そうだよ」

 彼はあっさりと答えた。


 よし、と心に決め、ユキオは半透明の人影を見据える。


「地獄っていうのは、どういう場所なんですか。怖い場所なんですか?」


 死んだおじいちゃんは、過去に車で人を轢き殺している。死んだ後は地獄に落ちるのをずっと怖がっていた。

 今も、鬼たちに苦しめられているのかもしれない。そう思うと落ち着かなかった。


「そうだね。怖い場所だ。怖い場所だった。鬼たちが無数にいて、いつだって亡者を苦しめようとする。そういう場所だった」


 どこか、変な言い回しだった。


「鬼っていうのはね、体がマシュマロで出来ていたり、クッキーで出来ていたり、見た目はちょっと可愛らしいんだ。でも性格は残虐で、そのギャップが余計に恐ろしかった」


「あの、それで」


「でも、今はどこにもいないんだよ。百や二百じゃない数だったのに。鬼たちも閻魔大王も、雲の上から高みの見物を決めていた神様も。今は、どこを探しても見つからない」


 感慨深そうに、現れた幽霊は語り続ける。

 何があったんだろう、と耳を傾けるしかない。


「あそこにはもう誰もいない。亡者を苦しめる存在は、全ていなくなってしまったんだ」

 しみじみと、噛みしめるように発せられた。


「地獄はとにかく広くって、とても静かな場所になったんだ」

                                     (了)


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