6. Mors Certa Hōra Incerta

 この日、ウァレリアは久しぶりに昔の夢を見た。パーンディヤで様々な装飾品を仕入れ、船に乗り揺れる波を眺めていたウァレリアのもとに、船頭と話を終えたルキウスが話しかけた。


「ウァレリアさんは、どうしてウァレリウス様を殺したのでしょうか?」


ウァレリアは振り向く。いつか聞かれるとは思っていたことだ。特に隠すような理由ではない。


「簡単よ。私から自由を奪った上に、失礼なことばかり言ってくるんだもの。静かになってもらったわ」


ルキウスは言葉を失っている。身勝手なウァレリアに愛想でもつかしたのだろうか。


「じゃあ、私のこともいつか、邪魔になったら殺すのですか」


子供の相手はやはり嫌いだ。調子が乱れる。


「今のところは、殺すつもりはないわ。あなたは優しいし、私のことを仲間として認めてくれるから」


ルキウスは分かりやすく顔を輝かせる。


「それは良かったです! これからも共に頑張りましょうね、ウァレリアさん」


 結局、ウァレリアはルキウスにも夫殺しの罪を背負わせ、彼の道を商人だけにしてしまった。もし自分で身分を買い戻せれば、もっと多くの選択肢が彼のローマ市民としての生にあったというのに。


ルキウスは三十年もの時間を、ウァレリアとの生活に費やして、幸せだったのだろうか。縁談を持ってきてやると言っても断り続けていた彼は、そこまでしてウァレリアに価値を感じていたのだろうか。今となってはもうそれを知るすべもない。


 目を覚ますと、知らない住居の中にいた。あまり広々としている様子がないところ、裕福な人物の暮らす家ではなさそうだ。


「目は覚めたかい?」


部屋に入ってきたのは、日に焼けた肌に短く切った黒い髪の若い男だった。恐らくフェニキア人だ。


「助けていただいたこと、感謝いたします。しかし、私には返せるものなどございません」


 一夜明け、パルミラから別の都市へと商品を運ぶ途中、盗賊に襲われた。そこでルキウスは愚かなことにもウァレリアを庇うことを選んだ。


「分かってるよ。君たちの荷物は全て奪われていた。それと、君と一緒にいた男性は、助からなかった」


「そう」


 不思議と何も感じられない。強いて言えば、思っていたより早く死んだものだ、というくらいか。人間はいつか死ぬ。それが早いか遅いかだけだ。


愚かなルキウス、私が死なないのは分かっていたでしょうに。


「冷静でいてくれるようで助かるよ。これから君はどうするんだい? あの男性がいなければ商売の仕事は続けられないだろう。良ければ私と組まないか? きっと私たちは素晴らしいパートナーになれる」


ウァレリアは男の眼を見つめる。透き通っているが、感情は全く感じられない。ウァレリアと同じ、人間の死をただの現象としか思っていない眼だ。


こういった類のものとは良い関係を築きやすい。いつもなら誘いに乗るところだが、ウァレリアはそういう気分にはなれなかった。


「魅力的なお話だけれど、お断りさせていただくわ。もう商人なんて散々なのよ。私は私の力で生きていくから、あなたもそうしなさい」


ウァレリアは寝台から起き上がると、男の脇を通り抜け、ローマ帝国の人波の中へ消えようとした。


「待ってくれ」


そこで、男はウァレリアを呼び止める。


「君の名前を教えてもらえるか?」


 いつから使っているのかすら忘れてしまったこの名を呟こうかと迷ったが、この男が知りたいのは、彼女の今の名ではないことは容易に理解できた。


「ブリタニアのリースよ。覚えていても何もないわ、きっと」


男が名前を明かそうとする。しかしウァレリアはそんなものに一切興味がなかった。


「じゃあね、優しいフェニキア人さん。あなたの生に幸あらんことを」


 終わってみればすぐの旅だった。あっけなく、今まで維持してきた身分も失ってしまった。それでも、ウァレリアの心はどこか晴れやかで、次はいかにしてルキウスが生きて死んだ、この美しい世界を生き抜こうかと考えていた。

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