Musica est in Oriente

燈栄二

1. Valeria Maritus Interfector

 商人のルキウス・クラウディウスは全てのアンフォラを取引し終えたことを確認すると、彼よりも三十歳ほどは若いだろう少女に声をかけた。


「今回の納品も終わりましたよ。次の街へ行かれますか?」


街路を往来する人々を眺めていた少女はうーんと少し考えるそぶりを見せる。


「だったら、今日はパルミラで泊まることにしましょう。あの街が夕焼けに染まって赤くなる様子を見てみたいの」


「分かりました。ウァレリアさん」


ルキウスは荷物を背負いなおすと、再び道を歩き出す。どうして彼がウァレリアと名乗る、十代後半くらいにしか見えない、彼と比べれば少女としか呼べないような、イチゴ色の混ざった金髪をした彼女に従い商人をすることになったのか。


実際に商人として表舞台に立つのはルキウスだが、誰に何を売りつけようか、と考えるのは主にウァレリアだ。この奇妙な関係のはじまりは、数十年前にさかのぼる。


 剣は思っていたより重いものらしい。小型のものでもやはり金属なのかそれなりの重さを有している。ウァレリアは夫であるウァレリウスの胸部を貫いていた。


理由はそう難しい話ではない。彼はウァレリアを自分のものにし、彼女の行動を制限した。それが彼女にとっては到底耐えられないことだった。ただそれだけ。


剣を引き抜くと、生暖かい液体がウァレリアの全身を赤く染めていく。しかし不思議と恐ろしさを感じない。


彼女の脳裏に過ったのは、夫を手にかけたことに対する罪の意識でも、ウァレリアを妻としてくれた男を失うことの悲しみでもなく、いかにしてこれからを生き抜くのかについてだけだった。


「ただいま戻りました」


 若い少年の声が入り口から聞こえてくる。夫の奴隷をしている少年の声だ。名はなんといっただろうか。何でもいい。今はこの状況を報告されないようにすることが先決だ。


「ご主人様、もしかしていらっしゃらないんですか?」


部屋へと少年が足を踏み入れる。北方のゲルマン人とかいっただろうか? その系統の血を引いているように見える少年へ、ウァレリアは剣を構える。ちゃんとした構え方なんか知らない。とりあえず刃が相手の方を向いていればいいと思う。


「おかえりなさい、奴隷。あなたの主人は死んで、今の主人は私よ」


少年は部屋へ足を踏み入れようとしたが、剣を構えるウァレリアの姿を見て躊躇した。


「落ち着いて。これから言うことを呑んでくれれば何もしない」


少年が震えながらも頷くのを見ると、ウァレリアは腕の筋肉が限界を迎えていたのもあり、剣を床に落とした。


「私の名はウァレリア。お前は?」


「ルキウスです」


ローマ人らしい名だ。ウァレリアはそう、と短く返すと


「今日からルキウス・クラウディウスと名乗り、ウァレリウスの後継者と言いなさい。そして私はお前のいささか歳が上の妻だ。


それが私たちの新しい身分。分かったら商売に使えそうなものは全てまとめて頂戴。私も着替える。そしてここから逃げるのよ」


 ウァレリアは自室、というよりも牢獄であった部屋へ立ち入り、急いで血まみれになった服を脱ぎ捨てる。欲を言えば体も洗いたいが、浴場へ行く時間はなさそうだ。仕方なく丈の長いチュニックに着替えると、ルキウスから準備が出来たという声がした。


ウァレリアが夫の死体がある部屋へ姿を現すと、奴隷としての礼儀なのか、ルキウスは彼女の服装を褒めたたえた。何十年も着ていない、古さの目立つ服装へ。


「お世辞はいらないわ。すぐにこの街を離れましょう。見つかるのも時間の問題と言って差し支えないでしょうから」


ウァレリアは走り出す。待ってくださいと言いながらルキウスもそれに続いた。

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