第4話 ヒカルのキモチ
○ヒカルのキモチ
今日は慌ただしい時間割だった。朝は体育から始まって、午後は6限目までの月曜日。部活動にも行くとしたら帰る頃には日が暮れている。
ヒカルは部活動は吹奏楽部に入りたいのだが、一度、見学に行ったきりだった。
ヒカルは絵本が大好きで、小さい頃から図書館に通っては読み聞かせの時間があることを楽しみにしていた。その読み聞かせてもらった絵本の中でも動物たちが奏でるクラリネットのお話がヒカルはお気に入りだったのだ。
(わたしもいつか仲間に入りたいなあ……)
ヒカルはそう思いながら絵本を抱きしめ空想していた。
ところが、実際に中学生になり、吹奏楽部に入ろうとすればヒカルの足はすくんでしまう。
(ど、どうしよう……)
ヒカルは今日も見学に行きたいのだが、いや、むしろ、思い切って入部を申し込みたいのだけれども、その一歩は踏み出せずにいる。
「お〜い、ヒカル〜?」
振り返るとサトシがバスケットボールを片手にヒカルをジッと見て立っている。
「サトシくんっ」
ヒカルはドキッとして「きゃっ」と飛び上がる。
「なんだよ、ボーッとして? 何? 部活? どこかに入んの?」
サトシは当然どこかに入るんだろう? と言う顔をしてヒカルを見る。
「う、うん……。ま、まだ……決めてない」
「ふ〜ん、まあ、いいけど? 迷ってんなら見学してくれば? 俺も一緒に行こうか?」
「えっ……?」
「えっ? って、お前なあ〜」
サトシはクスクスと可笑しそうに笑い出す。
「何、緊張してんだよ? お前、背中が暗〜くなってっぞ?」
「そ、そんな風に見えてたの……?」
「ああ、うん、そうだな。暗〜く、重〜く悩んでる背中だったな」
「……」
(どうして、サトシくんは……いつも私の気持ちが分かるんだろう……すっごく不思議で……すっごく気持ちがいい……うれしいなあ)
ヒカルは思わず笑いだす。
「うん! サトシくん、一緒に見に来て? 吹奏楽部♪」
「おお、いいじゃん♪ 吹奏楽部の部長さんって、上級生のサクラさんだろう〜? 俺、ちょーっと憧れてんだあ〜♪」
サトシは顔を赤らめて照れた風に言う。
「サ、サトシくん……? エリカさんは……?」
ヒカルは確か、サトシはモトキのお姉さんの親友に恋をしているとモトキから聞いていたことを、うろ覚えの記憶から正してみる。
「ん? ああ、もちろん、エリカさん一筋だぜ〜? 俺?」
サトシは目を輝かせて言う。
「ふ、ふ〜ん……」
ヒカルはサトシの気持ちを目の前で聞いて戸惑う。
(私のキモチ……)
ヒカルはドキンドキンと打つ胸の痛みを感じていた。
「どうした? ヒカル? 気分が悪いのか?」
「えっ? う、ううん……」
ヒカルは慌てて首を横に振る。
「おっし、じゃあ〜、行こうぜ? 吹奏楽部?」
「うん」
ヒカルはサトシと並んで歩き出した。
吹奏楽部が主に活動をしている音楽室は校舎の一番隅っこにあった。サトシとヒカルが近づくと管楽器の音が響いてくる。
「プウ〜♪」
「ブウ〜♪」
「ボエ〜♪」
「ピウ〜♪」
サトシは手にしていたバスケットボールをヒカルに持たせて、両手を両耳に当てる。
「おお〜、な〜んか、すっげ〜音の嵐〜。練習っていつもこんな感じなのかよ?」
「う〜ん……どうだろう? 私も詳しくはないし……」
ヒカルは音楽室が近づくたびにドキドキが止まらない。
(わ、私……緊張してて……)
ヒカルは怯えて一歩一歩の足が震えそうになる。
「あなたたち見学の人たち?」
ヒカルとサトシの後ろから二人にかけられたであろう声が響いた。
「はい」
サトシが活きのイイ返事をして後ろへと振り返る。
「おっ……」
ヒカルも振り返ってみると、そこには部長のサクラが立っていた。
「見学なら歓迎するわよ。ぜひ、見て行って欲しいな?」
「はいっ! もちろんっす♪」
サトシは両手を下に降ろした。
「あなたは、確か……? 前にも一度、見に来てくれていたわよね? 吹奏楽部のこと……?」
サクラはヒカルの顔を覗き込む。
「は、はいっ」
ヒカルは緊張のあまり声が裏返った。
「フフ。肩の力を抜いて良いのよ? 怖い?」
「い、いいえ……」
ヒカルは恥ずかしくて下を向いてしまう。
「あっ、俺、見るだけでもいいっすか? 俺、ほら、これ?」
サトシはヒカルの両手からバスケットボールを受け取る。
「クスクスクス。そうね? あなたはどう見ても、そちらの部よね?」
サクラは楽しそうに笑ってバスケットボールの動きを見る。
「でも、ボールは危ないから、音楽室に入る前にドアのところに置いておいてくれるかしら?」
「はい、もちろんっす」
サトシは嬉しそうに答える。
「さあ、あなたも。そろそろ入りましょう?」
サクラは優しくヒカルの肩をさすった。
「あ、ありがとう……ございます」
ヒカルはサクラが触れるその肩の温もりに心の強張りを溶かした。
「うん、あなた、とてもいい笑顔ね? とってもキュートで可愛いわ。そこの君もそう想うでしょう?」
サクラはサトシに話を振った。
「はいっ。もちろんっす。コイツ、笑うと可愛いんすけど、なかなか笑えないタチで……」
サトシは困った様に髪をボソボソと掻く仕草を見せる。
「あらあ〜? どうして〜?」
「ああー、コイツ、ちょ〜っと、間が長いんすよね〜。ボーッとしてるって多分、言われるんっす。まあ、だから、ちょっと、反応が鈍いって言うか……。そういうとこ見てやれる奴じゃないと、コイツ自分から笑えないんっす」
「なるほどねえ〜、良いこと聞いちゃったかも、私。ウフフ」
サクラは得した様な顔をして笑いかける。
「あなた? お名前は? 聞いても良い?」
「は、はい。え、と、あの……ノノ瀬ヒカル……です」
「そう、ヒカルちゃんね? 私は、サクラ。よろしくね?」
「は、はい……サクラ先輩」
「ああ、俺は、サトシっす」
「サトシくんね?」
「ウィッす」
「クスクスクス」
サクラはまた楽しそうに笑った。
「あなたたち良いコンビだわ〜、面白い」
「そ、そうすうっすか〜? デヘヘヘヘ〜」
サトシはおどけたようにワザと言う。
「さあ、お遊びはここまでよ。ここからは、練習、練習〜」
サクラはキリッと表情を切り替えると、すでにオープンにしてある音楽室へと足を踏み入れる。
「さあ、いらっしゃい」
サクラは手を伸ばしてヒカルの手を取る。
「ようこそ、吹奏楽部へ。あなたたちを歓迎します」
サクラがそう言うと、一斉に部員たちの視線が集まる。
「わあ〜、いらっしゃ〜い!」
部員たちからは次々と歓迎の声が上がる。
「少ない部員数で困ってたのよ。だから、お願い。ヒカルちゃんは、ぜひ、入部してよね?」
「はい」
ヒカルはハニカミながら顔を赤くして頷いた。
「良かったな、ヒカル〜♪」
サトシはポンっとヒカルの背中を押す。ヒカルが驚いてサトシの方へと振り向く。サトシは、「ガンバレよ♪」と言う様な表情で片目を閉じて見せる。ヒカルはサトシの顔を見上げると、「ありがとう」と顔に書いてあるかの様な弾ける笑顔でサトシに大きく頷いた。
(可愛い〜ぜ〜、俺のヒカル♪)
サトシは大好きなヒカルのその笑顔が見れて微笑む。
(俺、ヒカルの笑顔がメッチャ好きなんだよねえ〜。誰にも渡したくないって想う……。でも、まあ、モトキになら……俺は、譲るんだけどねえ〜)
サトシはヒカルに満足すると一人だけ音楽室を去ろうとする。
ヒカルはサトシのその様子に気づかずに部員たちの輪の中に吸収されていった。
「ねえ? サトシくん?」
サトシの様子に気づいたサクラが追いかけてくる。
「あなた、とても良い人なのね〜?」
「はあ〜? 何がですか〜?」
「とぼけてるの?」
「えっ、いや……、そういう訳じゃないっすけど……」
「ねえ? また話しかけても良い?」
「えっ? 俺っすか? もちろん、良いっすけど? な、なんで……?」
サトシは意外な展開に驚きを隠せない。
「うん、ヒカルちゃん? あの子のことで相談したいときは、あなたに聞こうと思って? 迷惑?」
「ま、まさか……とんでもない」
「あの子、とっても可愛いし、サポートが必要になると想うから、頼むわね? 私も楽しい部活動にしたいから」
「はい、もちろんっす」
「クスクス、ホンット頼もしいわ、あなた。サトシくん?」
「そう言ってもらえると嬉しいっすけど……」
「普段は、お惚けキャラを演じてるわけね?」
「えっ? さ、さあ〜?」
「クスクスクス。そういう感じなのね? よく分かる」
「よく分かる……? なんっすか、それ?」
サトシはサクラの顔をジッと覗き込む。
「フフフ。まあ、いいわ。じゃあ、またね? サトシくん? バスケ、頑張って」
「チーっす。じゃあ、ヒカルのこと、頼みます」
「もちろんよ。ここまで彼女を連れてきてくれてありがとう〜。おかげで、入部者一名確保できたわ」
サクラは笑顔でサトシを送り出すと、嬉しそうな余韻をその表情に残して音楽室へと急いだ。
「さあ、練習、練習〜♪」
サクラが音楽室に入るとヒカルは楽しそうに部員たちと笑っていた。
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