第14話 オモイ

○オモイ


 その頃、天界ではオモイカネとアマガミが何やら相談事をしている。

「ヒカルの気持ちが知りたい……とは? どういうことなのかのう〜?」

「アマガミ殿は、この方の気持ちを知りたいということはありませんでしたか?」

「う〜んと、え〜っと……」

 アマガミは過去の気持ちを思い出そうとして悩む仕草を見せる。

「誰でもいいんですよ? 難しくお考えなさらずとも……」

「わ、わらわが知りたいのは、母神様のお気持ちじゃ……」

「お母様の?」

「そうじゃ……」

 アマガミは寂しそうに俯いた。

 アマガミは母神とは遠く離れて暮らしているため、いくらでも会えるという訳ではない。会いたい時に会えない寂しさは幼神には大変、堪えた。そんな時には母神の気持ちを知りたいと切に願った。

「そのような時には、どうなさいますか?」

「わ、わらわは……」

 アマガミは膝を抱えてしゃがみ込む。

「す、拗ねるのじゃ……ただ、じーっと。床を見つめて……」

 幼い女神は泣き出しそうな背中を丸めて指先で床に円を描いた。そうしているといつもなら傍で様子を見てくれるウメが背中を摩って心も体も温めてくれていた。

「う、う〜ん……」

 オモイカネは想像とは異なる返答を受けて立ち止まる。

(う〜ん……、これでは、人の子の願いを叶える場合ではありますまい……)


 ヒカルたちはそれぞれのクラスに集まって授業を受けていた。今日はヒカルが苦手とする数学の授業がある日だ。それでもヒカルは、何とか教科書に目を通してきていた。

「この問題、だれか解けるか〜?」

 数学の教師が生徒たちに問いかけた。

「俺、やりま〜す」

 意外なところから声が上がる。その声はサトシの声だった。

「おお、珍しいな〜? サトシ〜?」

「俺だって、たまには、やるっすよ〜」

 サトシは立ち上がると楽しそうにホワイトボードへと歩み寄る。サトシはペンを掴むとサラサラと数字を連ねた。

「ありゃ? 途中で間違えたかなあ……?」

 サトシの計算式は途中で答えが出なくなっていた。

「あれ? おっかしいなあ……」 

「クスクスクス」

 クラスのあちこちからサトシの様子を笑う声が聞こえる。サトシはその声を何も気にしない様子で白板に向かい合っている。

「ようし、サトシ。お前のそのやる気に援護してやる」

 数学の教師はそういうと、一つだけ間違いを正してくれた。サトシはそれを見ると、「ああ……」と呟いて、その先の誤った計算式を消していった。

「できた!」

 サトシの明るい声が響いた。

「ようし、正解!」

「おっし!」

 サトシがガッツポーズを決めるとクラス中に笑い声がドッと上がる。サトシはケラケラと笑いながら「してやったり」と満更でもなさそうだ。

 ヒカルはサトシのこのノリのいいお調子が好きだった。そのおかげか、苦手意識の高かった数学授業がちょっとだけ楽しく思えた。

(わ、わたしも……やってみたいなあ〜)

 ヒカルはサトシが書いた数式をノートに書き写していく。数学の教師が正した箇所も正確に写していく。

(サトシくんの勘違いって……?)

 ヒカルは同じ問題を自分で解きながら正解と過ちとを考察した。


 授業の後、ヒカルは短い休憩時間にサトシへと声をかけた。サトシはいつもの調子でヒカルに笑いかけて言う。

「おう、何だよ? ヒカル〜? どうした?」

「う、うん」

「次、早く行かなくて良いのかよ?」

「う、うん。行くよ」

 ヒカルはサトシを見上げると何か言いたそうな顔をする。サトシはその顔を見るとヒカルの前に立ち止まって静かに待った。

(ん? なんだあ〜? ヒカルの奴?)

 ヒカルは急に始まったその沈黙に慌てて声を出そうとする。

「あ、あのね……」

「うん?」

「さ、さっきね……、今日は、数学の授業……ありがとう」

「はあ?」

「え、えっと……何でもない、何でもないんだけど……、で、でも……」

 ヒカルは自分の気持ちが分からなくて、その場でどうして良いのかまで分からなくなる。

(ど、どうしよう……)


 オモイカネは、アマガミの様子を見ていた。まだ幼い女神のアマガミでもできることはあるだろうか?

 オモイカネは何やら思い出してアマガミに話しかけた。

「ねえ? アマガミ殿? 夢枕に立つことは、もうお出来になるのですか?」

「ゆめ……まくら……とな?」

 アマガミはその言葉にまたしても泣きそうになっている。

「ううっ。 ま、まだ、出来ぬのじゃ……」

「やっぱり……」

 オモイカネはこの予想通りの言葉にアマガミを促す。

「ここで、もう一度やってみませんか? アマガミ殿?」

「な、何をじゃ……?」

「ですから、夢枕ですよ?」

「はあ〜」

 アマガミは肩を落として返事をする。オモイカネはアマガミをその気にさせようとして、泉の淵から人間界の様子を覗き見る。

「人の子たちは、意外にも昼間にも眠る子たちが居るようですし……」

 オモイカネは先ほどからモトキの様子を眺めていた。モトキはなにやらムニャムニャと机に頭を押し付けて眠っているようだった。

 アマガミは天界の水を通してモトキたちの様子を映し出すと、確かに夢の中に入っている人の子の意識を感じ取った。

「ワラワにできるかのう……?」

 いまだにアマガミはそのことに及び腰でいるとオモイカネが背中を押すように言う。

「練習、練習〜」

 

 アマガミはウメに教わった通りに想いの海を渡って行く。

(え、えーっと……)

 アマガミは願いを発した男の子の意識の波に入り込む。巧くその波を拾えれば、人の子らが想いで見るようにその映像、音声をアマガミたちも再生して触れる事が出来る。アマガミは、朧げながらにその作業を進めた。

 

 モトキは夢を見ていた。それは、小学生の頃。モトキがヒカルと隣同士の席だった頃の場面だ。モトキはヒカルと机を向かい合わせて給食を食べていた。ヒカルはいつでも行動がゆっくりで食べるのも遅い。そんなヒカルの性格を見越してモトキは、当時、苦手だった野菜などをヒカルの皿に移していた。モトキはそのイタズラがヒカルにはバレないものだと思っていたから遠慮をすることがなかった。モトキは早々に自分だけ給食を食べ終えると、サッサと教室を出て遊びに行くのが常だった。

 ヒカルはいつもモトキのイタズラに気づいていた。そして、もう一人、そのイタズラに気づく者がいた。それは、サトシだった。

 夢は、現実には見えない場面も想いを通して伝え来る。アマガミとオモイカネはそれを夢の場面から見ていた。

 モトキが教室を出ると、サトシがヒカルの机に寄って来た。サトシはヒカルの皿を取り上げるとモトキが無造作に入れた野菜を除いて、ヒカルが好きなおかずを載せた。サトシは黙っているようにと合図をすると面白そうに席へと戻って行った。ヒカルはサトシのまるで見えないものまで見えているかのような行動に不思議に思った。それでも、サトシの行動は優しさから来るものだとヒカルは思っていた。


「この辺りからですかねえ……?」

 オモイカネがボソリと言う。

「な、何がじゃ……?」

 アマガミはまだ人間の心のキビがよく分からないようだ。

「で、ですから〜、ヒカルちゃんという名の女の子の気持ちが動いたキッカケですよ」

「き、きっかけ?」

「そうです。どんな恋物語にも始まりはあるでしょう? その始まりのことですよ」

「そ、そうかのう……?」

 アマガミはオモイカネの顔を見つめた。オモイカネはその麗しい女神の瞳につい見惚れてしまう。

「いや、あの、僕じゃなくって……」

「な、なんじゃ? トモ? 何か言う事があるなら聞かせてたもれ?」

 アマガミはまだ幼いと言っても生まれは女神。その瞳で上目遣いに請われると、さすがにオモイカネもたじろぐ。

(か、可愛い……)

 思わずオモイカネは目を逸らした。

(はあ……この女神もいつになったら恋をするのか……)

 オモイカネは幼い女神を見つめるとあやすように抱きしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る