第10話 モトキの恋

○モトキの恋


 放課後には、ヒカルは吹奏楽部の活動場所である音楽室に居た。サトシと吹奏楽部の見学に来て以来、正式に入部となって、今ではヒカル一人でも部活動に臆することなく参加できている。いつもはパート練習からだったが、今日はおしゃべりが先行していた。

「ヒカルちゃん、クラリネットって初めてだったわよね?」

「はい。絵本の中で憧れて、クラリネットをやりたい理由ってそれだけだったので……」

「ウフフ、面白いわね〜?」

 同じクラリネットの担当には、3年生が一人と2年生が二人居る。3年生は、上級生のサクラと同じ学年で、ヒトミと言った。ヒトミはヒカルと同じく中学に入ってからの奏者だったが、家にはクラリネットがある環境だったらしい。

 2年生の二人は珍しく双子の奏者だった。一人は男の子でヨウタと言う。ヨウタはメガネをかけていて、どちらかと言うと太り気味に見える。もう一人は女の子で、こちらも少しだけポッチャリして見える女の子だった。名前は、アサヒと言う。アサヒはヨウタの姉になる。

「ヨウちゃんも始まりは漫画だったよ〜、ねえ〜?」

「う、うん。俺、キャラクターに憧れてたからさあ〜」

「格好良かったんだよねえ〜?」

「ああ、うん、うん」

 クラリネットは優しいイメージに見られがちだったが、ジャズのようにカッコ良い時もある。ヨウタが見たアニメでは後者の描写が強かった。

「ヨウちゃんカッコいいことに憧れを持ってるんだもんね〜?」

「ま、まあね〜」

 アサヒは弟のことを屈託なく話す。話されているヨウタにしてみれば恥ずかしそうな内容でも遠慮がない。

「フフフ。ヨウタくんは、お姉ちゃんの言うことに何でも聞いちゃうのね?」

「えっ? そ、そんなことないっすよ?」

「そうかしら? ウフフ。ねえ? ヒカルちゃんもそう思わない?」

「えっ? えっと〜、う、う〜ん……」

 ヒカルは予期しないところで話を振られたために上手く返事ができないでいる。ヒカルは困ったようにアサヒ、ヨウタ、ヒトミの顔色を伺う。

「クスクスクス。ごめん、ごめん。困らせちゃった、ヒカルちゃんのこと〜」

「あっ、えっ、とっ、そ、そんなこと……ないですよ」

「ねえちゃ〜ん、腹減ったよ〜、俺〜」

「まあ〜たあ〜、ヨウちゃん、す〜ぐそれだも〜ん」

「だあああ〜」

 ヨウタは椅子の背もたれから体をはみだしては背中を反って仰反る。ヨウタのお腹はズボンからはみ出して、おへそが見えている。アサヒはそれを見ると「ポンポンぽ〜ん」っと、お腹を叩いた。

「イ、イッテ〜」

 その音を合図にしたかのように、打楽器がパート練習を始めた音が鳴り響いた。

「わたしたちも始めましょうか? ねえ?」

「は〜い」

 ヒトミの掛け声でヒカルたちのパート練習も始まった。


 放課後になればそれぞれの部活動が始まっているのだが、モトキはまだ部活動に入ってはいなかった。モトキは無難に何でもこなせるのだが、今のところこれというものが見つかっていない。運動部にしろ、文化部にしろやりたいことが見つからないのだ。

 モトキが校舎内をフラフラと歩いていると昼間のモトキと同じように中庭で佇む女性徒の姿を見つける。その女生徒は、どこかで見たことがあるようだった。

「え、えーっと……あれは、確か……?」

 モトキはその女生徒が学校の全校集会や何かと朝の登校時間などに校門前に立っているその人だと思い出す。

(ああ、確か、この学校の生徒会の人たちか……)

 モトキは女生徒の動きをじーっと目で追いかけていく。

 女生徒は何かをするわけでもなさそうで、ただ池の中の水を眺めているようだった。モトキは話しかけてみようかどうか迷う。

「う、う〜ん……」

 モトキは頭では迷っているようでも、足の動きの方はぐんぐんと女生徒に近づいていく。

「あ、あの……?」

 モトキは足の動きを止めると、女生徒のそばに立ち止まっていた。

「ここで何をしているんですか?」

「えっ……?」

 女生徒は立ち上がるとモトキを見下ろす。

(で、デケエ〜)

 モトキは立ち上がった女生徒を下から見上げた。

「ああ、あのね、いま、ここで、メダカたちを見ていたの……」

「メダカ? そんなのがここにいるんっすか……?」

 モトキは体を池のほとりに押し込んでグイッと身を乗り出して水面を覗いた。

「ほら? 小さいメダカたちがいっぱいいるでしょう?」

 女生徒が語る声を聞きながらモトキは水の中の動きを見つめる。

「ああっ!」

 モトキは初めてそれに気づいたように驚きの声をあげる。

「おわあ〜、た、確かに〜、い、いますね〜」

 女生徒は満足した様子で頷く。モトキは水の中に他の生き物はいないのかと目を凝らして見る。

「う〜ん……他に何かいるのかな〜?」

「他は、なかなか見えないと思うわ?」

「えっ? そ、そうなんですか?」

「うん」

 女生徒は仄かな笑みで優しく言う。モトキはその仕草にドキッとした。

「ねえ? キミ? 部活は? まだ決まっていないの?」

「はあ〜、まあ〜、そうですけど……」

「ふ〜ん……」

 女生徒はモトキに興味を持ったらしく、続けて話そうとする。

「ねえ? 生徒会って興味ない? 何なら、ビオトープ同好会でもいいよ?」

「え、え〜と……そ、そんな活動……ありましたっけ……?」

 モトキは初めて聞くその活動に問い返してみる。

「ううん、ないよ、まだ。だから、つくるの。一緒にやってみない?」

「えっ? お、俺っ?」

「うん、そう」

 女生徒は笑いかける。

(へ、へえ〜。この人、めっちゃ綺麗なんだなあ〜)

 モトキはマジマジと女生徒の顔を眺めた。

「私は、飯島愛梨。一応、ここの生徒会で副会長ってとこ。だから、同好会をつくるとか、結構、簡単だよ? どう? 興味ある?」

 愛梨はモトキを試すように言った。

 モトキは、突然の申し入れにドキドキが止まらないでいる。

(きゅ、急に、上級生に話しかけられてもなあ……)

 モトキはこれまでヒカルだけを想い見てきたから、これまでにこんな考えは抱いて来なかったけれど、いまでは、ハッキリと目の前の女生徒に感じてしまう。

(お、俺……格好悪いよなあ……)

 女生徒に見下ろされている自身の身長のことも、自分の思いや考えをハキハキと志を持って答えられないところも。

(俺、中途半端だし……)

 モトキは思わず後ずさる。

「ねえ? どう? 考えてくれてる?」

「えっ、い、いや……」

「いや?」

「い、いや、嫌なんじゃなくって……」

「じゃあ、OK?」

「うっ……うんっ。は、はい……」

 モトキは活動のことよりも急激に愛梨に興味を惹かれていく。

「そう。良かった。じゃあ、約束ね?」

「は、はい」

「ねえ? キミ? 名前は?」

「も、モトキっす。 神谷モトキ……」

「そう。一年生よね? 合ってる?」

「は、はい。合ってます……」

「OK〜。じゃあ、モトキくん、また話しかけるね? いいかな?」

「は、はい……よろしく……お願いします……」

「ウフフ、そんなに怖がらないでよ? 生徒会ってそんなに怖い感じ?」

「い、いいえ……」

 モトキは俯いて首を横に振る。

「生徒会も楽しいよ? ビオトープ同好会も、きっとね。ウフフ。じゃあ」

「じゃ、じゃあ……」

 颯爽と去っていく愛梨の姿をモトキは立ちすくんで見つめる。先ほどまで愛梨が立っていた場所には、爽やかな柑橘系の香りが残っていた。

(な、なんだろう……この香り……?)

 男子生徒のモトキには、女子生徒のデオドラント具合はよくわからない。

(し、仕方ない……エミリに聞くか? い、いや、ぜってーアイツには弄られるな……ってなると……)

 モトキは同居している長兄の婚約者を思い出す。

「義姉さんに……聞くとしよう……」  


「は……はっ……、ハックシュン……グズっグズっ……はあ〜」

 隣町の中学校で英語教師をしているハルカは職員室のデスクでティッシュペーパーを思わず掴む。

「し、新任早々、風邪なんて……?」

 ハルカは鼻にティッシュを当てると楚々として静かに鼻をかんだ。

「ハルカ先生? 風邪ですか? それとも花粉症〜?」

 学年主任の大川田が話しかける。

「い、いえ……どちらでもないです。た、多分……ですけど」

「気をつけてくださいよ〜? くしゃみ一つでも不安視される昨今ですからねえ〜」

「き、気をつけます……」

 確かに世界的な流行り風邪の流行以降、咳やくしゃみにも気を遣う。中学生ともなれば受験生も含まれており保護者からの要望もある。

「マスク、マスク……」

 ハルカはデスクの引き出しからマスクを取り出して身につける。

「これで、よし」

 ハルカは時計に目をやると、思い出したように立ち上がった。ハルカも新任ではあるが、文化部の副顧問を任されていた。それも新任だけあって、複数の部活での見習い扱いだった。

「今日は、放送部と……読書部ね……」

 ハルカはデスクの椅子をきちんと机下に収めると身なりを整え立ち上がる。

「キーンコーン、カーンコーン……」

 放課後を知らせるチャイムが鳴るとハルカは校内へと歩き出した。

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