第5話 エリカの場合

○エリカの場合


「おはよー、エリカー」

「おはよー」


 女子校の朝は賑やかだ。あちこちから女生徒たちの声が響き渡る。朝からこうもテンションが高いのかとエミリは苦笑いだ。

「エミリ〜? もしかして今朝は機嫌が悪いの〜?」

 クラスメイトのサヤカが言う。

「えっ? あっ、ごめ〜ん。不機嫌な顔してた?」

「ううん、な〜んか苦笑いしてた〜。クスクス」

 サヤカは中学校から同じ女生徒の一人だった。高校に上がってもサヤカとは何となくつながって行くのだろう。

「ねえねえ、聞いた?」

「な、なにを?」

「エリカちゃんに親衛隊ができるみたい」


 エリカは子役からデビューをしている芸能人だった。エミリも母親の勧めで一度だけ子役オーディションに参加したことがあったのだ。

 当時からエリカは子役として有名だった。そんな中で、初めてオーディションに参加したエミリは、至る所でミスをしていた。慌ててはトチるエミリをエリカはそっとフォローしてくれた。そんなこともあって、エミリはオーディションの会場ではエリカの後を付いて歩いていた。

 そんな時、オーディション会場で小道具が失われるアクシデントがあった。周りにいた子供たちは、エリカが犯人だと囃し立てたが、エリカは何も言わずに黙っていた。たまたまそこで居合わせたエミリは、トイレの屑籠の中に入っていた小道具を拾い上げたまま手に持っていた。

「これのこと? さっきトイレに落ちてたよ?」

 エミリがそれを差し出すと会場は一同に静まり返った。そして、何も無かったかの様に散々に人は去って言った。

「ありがとう……」

 エリカは口に出してお礼を言うとエミリの上着の裾をそっと握りしめていた。

「泣いちゃう……?」

 エミリはエリカをコートの中に隠して抱きしめる。

「ううん……泣かない……うっ……うっ……」

「分かった、エリカは泣かないのね?」

 そう言ってエミリは泣き止まないエリカと一緒に会場に残ったのだった。


「親衛隊って、今時、何なのよ?」

 エミリは今更ながら不機嫌になっていく。

(でも……)

 エミリは親衛隊の話よりも上級生の間でエリカが噂になっていることの方が気になっていた。

(エリカのこと……気に入らない人たちがいるみたい……)

 このことは、母親たちの噂話から耳にしたことだった。


 エミリたちが入学したこの女子校には演劇部があった。その活動は歴史が古く、学校創設の機運にも関わるほど伝統ある演劇活動だった。卒業生の中には実際に華やかな演劇の世界で活躍する者も多い。

 エミリを気に入らない上級生の中には、演劇部の人間も含まれていた。

「エミリ? どうしたの?」

 ボーッと突っ立っているエミリにエリカが話しかける。

「うわっ、な、なによ、エリカ?」

「なによ……って? ボーッとしてたよ? エミリ?」

「えっ? あっ? うん……、ちょ、ちょっとね。アハハ」

 エミリは作り笑いを浮かべる。

「ダメだよ〜、ボーッとしてちゃ?」

 エリカは可笑しそうにエミリの頭を撫でた。

「エヘヘ〜」

 エミリは笑いながらも廊下の遠くから感じる視線に目を移す。

(やっぱり……)

 エミリの角度からはようやく見える遠い廊下の端に上級生たちの姿が見えた。エミリはエリカが気づかない様に向きを変える。

「1限目〜、何〜?」

 エミリは話題を変えようとしてエリカに聞いた。

「え? 確か、音楽だったような……?」

 エリカはほとんど憶えていない様だった。

「その前に集会でしょう? 何か、ほら? 新任の先生たちが来るとか?」

「サヤカってば、そういう情報どこから仕入れてくるの〜?」

「ナイショー」

 サヤカはクスクスと笑いながら廊下を先へと歩いて行く。

「私たちも行こうか?」

 エミリが後ろを振り向くとエリカの周りに上級生たちが立っていた。

「あなたがエリカね? 私のこと、憶えてる?」

 上級生の一人がエリカの肩に片手を乗せて言いだした。

「ご、ごめんなさい……憶えて……ないです……」

 エリカは上級生の腕を掴もうとする。

 上級生の取り巻きたちは、エリカの腕を抑えた。

「痛っ」

 エリカの声が聞こえる。エミリはエリカに走り寄ると上級生たちの間に割って入った。

「あのう、手を離してもらえますか?」

 エミリは上級生を睨みつける。

「あなた、何様? 新入生でしょう? 上級生が怖くない訳?」

 取り巻きたちは騒ぎ出す。

「そ、そりゃあ……、怖いですよ……で、でも、友達のピンチに黙って見ていられません」

 エミリは負けじとハッキリと言う。

「友達? あなたが〜? このエリカと〜? 笑わせないでよ」

 一人だけ目立つその上級生はエリカの肩から手を離すとエミリの襟ぐりを掴んだ。襟ぐりを掴まれたエミリは両手を広げてエリカを守るように上級生の前に立ちはだかる。

(こ、怖くなんか……ないし……)

 エミリは震えそうな足を踏ん張らせて立ち続ける。

「アイカちゃん……?」

 後ろからエリカが上級生へと身を乗り出した。

「アイカちゃん……? そうでしょう?」

 アイカちゃんと呼ばれた上級生は、エミリの襟ぐりから手を離した。

(アイタタタ……)

 エミリはシワになった襟ぐりを伸ばしていく。

 上級生はエリカが名前を呼んだことで満足したように去ろうとする。

「ま、待って……アイカちゃん」

 エリカは上級生たちを追いかけようとする。

 アイカは立ち止まって振り返るとエリカに向かって言った。

「今度こそ邪魔しないでよね? この意味、分かる?」

 アイカは再び前を向くと集会が始まる体育館へと去って行く。


「アイカちゃん……」

 エリカは下を向くと片手で涙を拭う。

「エリカ……」

 エミリは事情は知らないが泣き始めたエリカの肩を両腕でしっかりと抱きしめた。

「ごめん……エミリ……」

 泣きながらエリカが言う。

「ううん……気にしないで……大丈夫」

 エミリはエリカを「ヨシヨシ」と慰めた。


 エミリは、エリカに片思いをしている。それは、初めて出会ってから少しずつ育まれていったもので、中学校を卒業する頃にはすでに自覚していた。エリカは自分のものにはならないけれど、自分だけはエリカを守ろう、全力で。エミリは独りでそう決めていた。エリカの周りには敵が多い。そのことは、オーディション会場で出会ってからエミリは嫌と言うほど目にしていた。だからこそ、こうして同じ学校に通える今は、何があってもエリカを守りたいと思う。

「集会……行けそう? エリカが嫌なら一緒にふけようか?」

 エミリはエリカの髪をやさしく撫でながら言う。

「ううん……行きたい……集会」

「そう? じゃあ、行こうね?」

「うん」

 エリカは赤く腫らした目を隠さずに笑って言う。

「新しい先生って、どんな人かなあ〜?」

「さあ〜ねえ〜?」

 エミリはエリカにハンカチを渡すと手鏡を傾けた。

「ほら、エリカ、髪の毛ボサボサだよ?」

 エミリはエリカの髪の毛を指でとかしていく。

「うわっ、げえっー、すっごいブスだね? 今の私?」

「こらこら、エリカ、ブスとか言っちゃダメでしょう? 現役のアイドルが?」

「ええっ? 私、アイドルじゃないよ? 売れない大根子役でしょう?」

「アハハ、それ、ウケる〜」

「でしょっ? 私、これ、いっつも言われてるから、耳にタコだよ」

「ククク。エリカ、超ウケるね〜」

「フフ。エミリが一緒に笑ってくれて良かった〜」

 エリカはご機嫌に戻ると腕を後ろに軽く組んで軽くスキップをして前を行く。

「フフ。置いて行っちゃうよ?」

 エミリはそう言いながらこちらへ振り返るエリカの姿にキラキラのオーラを見つけて、眩しさに目を細める。

「エリカ……」

 エミリは改めてエリカを好きな自分の気持ちに気付かされる。

(こんな愛しい子……他にはいない……)

 エミリはその場に立ち尽くすとエリカを想う気持ちにギュッと胸の前で拳を握る。そんなエミリをエリカは手招きして急ぐようにと促す。

「早く早くー」

「ま、待ってってばー」

 エミリは走り出した。


 体育館に入ると生徒たちはクラスごとに列を作って並んでいた。エミリとエリカも出席簿の順番に並んでいく。

 校長先生の挨拶から始まった集会もいよいよ新任教師の紹介となった。エミリは登壇する新任の中にある人物を見つけてギョッとする。

(イ、イツキ兄〜!?)

 エミリはまったく予想だにしない実兄の登場に慌て出す。

(えーっ!?)

 「あ、あーっ。ゴホンッ。俺が、新しく入った新任の神谷イツキです。よろしく」

 「わあ〜」

 ザワザワと歓声が上がる。

 「ああ、俺が言うのも何だが、俺はお前たちみたいなかわい子ちゃんにはモテるんで、俺には近づかないように、ダハダハダハ」

 「ええーっ、何あれー、キモ〜い」

 次々と残念な悲鳴が上がる。

(イツキ兄……ワザとああやって、牽制してる……そうやって、身を守ってるんだ……自分も、調子に乗っちゃう子供たちのことも……)

 エミリは実兄だけにイツキの考え方がよく分かった。

「うっそお……奇跡かも……」

 エミリは不穏な発言を自身の後方から聞く。

(バッカねえ〜、エリカ……)

 振り返ると感激のあまり顔を真っ赤にして興奮しているエリカの姿を見つけた。

(あ〜あ……ダメだ……こりゃあ……)

 エミリは親友のエリカがすっかり妄想の世界に突入してしまったことを感じ取る。

(も〜う、エリカ〜。心配の種が多すぎるってばあ〜。ハア〜、私、身が持つかしら……)

 エミリはエリカの嬉しそうな表情を見つめると何でも許せるような気がする。

「惚れた弱みかなあ……」

 エミリは呟くと「ハア〜」っと体育館の高い天井に届きそうなほど大きく息を吐き出した。

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