第8話 女神

○女神


「アマちゃま〜?」

 天界の遊戯室にウメが迎えに来たようだ。ウメは夢中で花を摘み集める幼神を見つけた。

「夢見草でございますか?」

 ウメは笑いながらアマガミの横にちょこんと腰を下ろす。アマガミは夢中になっているようで、ウメの登場にも躊躇しない。

「ルンルンル〜ン♪」

 幼神の歌声は今も続いている。

「ウメ? ウメ? これは、お茶にするのか?」

 アマガミはウメに花束を差し出す。ウメはそれを受け取って微笑む。

「ウフフ。アマ様には、少々、苦味が強うございます……うふふ」

「ウ、ウメ……?」

 アマガミはウメの笑いに少々、戸惑う。

「苦味……? それは、美味しいのか……?」

「いいえ、いいえ、とても、そのようなものではありません」

 ウメはアマガミの髪を撫で下ろす。

「わ、わらわは……何も知らないのだな……」

 幼神は花束を渡してしまうと、ウメの腕をグイグイと引っ張った。

「行こう? ウメ? 帰ってお茶を楽しもう?」

「はい、はい、アマ様」

 ウメはアマガミの手を握り返して宮城を後にした。


 あの遊戯室以来、友となったオモイカネには、まだアマガミは会ったことがなかった。アマガミはアマガミの方でたくさん話したいことがあったけれど、たまたま会うという機会もなければ、会いに行くということもなかった。アマガミはトモと会いたいような会いたくないようなモジモジとした気持ちに戸惑う。

「ど、どうしているかのう……?」

 アマガミはあれ以来、夢見草を使わずとも想いの海でヒトの子の夢見を覗き見ることができるようになったことをトモにも話したかったのだが。

「如何なさいましたか?」

「う、うん……」

 アマガミは決めかねる表情でウメを見つめた。

「うん……ト、トモは、わらわを憶えているのかのう……?」

「お忘れになるはずはありますまいよ、オホホ」

「な、なぜなのじゃ?」

「オモイカネ様は、知恵を司る神々にあります故。記憶力は確かです」

「そ、そうなのかのう……」

「ええ、確かに」

 ウメは頷く。


 その頃、知恵を司るオモイカネは古い書物に囲まれて格闘していた。というのも幼神のオモイカネはじじ様に宿題をだされていたからだった。

「ドッスーン!」

「バラバラバラ」

「イテテ……」

 大きな音が書庫に鳴り響く。

「ツウっー……」

 トモは泣きそうになって崩れた書物の中から起き上がる。

「はあ……」

 散らばった書物の山を見ると幼神は泣き出しそうになった。

「随分、派手にやったのう……」

 書庫の入り口からじじ様が顔を覗かせている。

「ご、ごめんなさい……」

 恥ずかしさを隠しながらもトモはじじ様に謝った。じじ様は後ろに手を組むと「ほっほっ」と笑いながら書庫の奥へと歩んでくる。

「お探しのものは見つかったかえ?」

「い、いいえ……」

 トモはじじ様の宿題のヒントになるのではないかと古い絵を探していた。その絵は、代々に伝わる神話を元にした絵だった。そこには、オモイカネの神が為した神ごとが描かれている。

「ほっほっ。よいよい。さあ、ここはそのままにして、客神だぞよ?」

「きゃ、客神……ですか?」

 トモは不思議そうにじじ様を見上げる。

「ほっほっ。そなたにも客神があって、不思議はなかろう〜?」

「は、はあ……」

 トモは、じじ様が言う程、神脈は広くはなかった。神々の世界においては知恵の神だけあって、頼り甲斐があり交友関係も広くありそうなのだが、幼いトモにはまだそこまでのつながりは持てなかった。

「い、一体、どなたさまでしょう……?」

 トモは埃を払い落としながら立ち上がる。

「ほっほっ。あの子じゃて」

「あ、あの子……? は、はて……?」

 トモは思い出しかねて尋ねた。

「男神でしょうか? 女神でしょうか?」

「ほほっ。そなたは、どちらが良いのじゃ?」

 じじ様は幼神を試すように聞いた。

(ど、どちらと言うことでも……)

 トモは、伏し目がちにじじ様の様子を伺う。

「め、女神でしょうか……?」

 トモは恥ずかしくなって、手をモジモジとさせてしまう。

「うむ。女神じゃ」

「えっ!? ど、どなたでしょう?」

 トモは急に明るい顔になる。

(え、えっと……ど、どの子かな……?)

 幼神はこれまでの記憶の糸を手繰っていく。

「あ、あの子かしら……?」

 トモはハッキリとアマガミの姿を脳裏に映し出す。

「あ、アマガミ殿……でしょうか? じじ様?」

「ほっ。忘れずにおったか? よいよい」

 じじ様は、嬉しそうに微笑んでいる。

「そ、それでは、わ、私、こ、ここを早速片付けますね?」

「よいよい。ここは、このままで良い。姫神を待たせるでない、早く行かれよ」

 老神は幼神を促す。

「は、はい!」

 トモは久しぶりに会えるその女神に胸の音を高鳴らせる。

(ドクンッ……ドクンッ……ドクンッ……)

 

「あ、アマガミ殿〜?」

「トモ〜? わらわを憶えておいでか?」

「もちろんです。忘れたことなどありませんよ?」

「トモは、わらわの友でいてくれたのか?」

「はい」

「ウフフ」

 トモはアマガミが変わらず元気で居たことに安堵する。何しろあの遊戯室では夢見草を試すと言って別れたのだから……。

「変わりはありませぬか? アマ君は?」

「変わりはないぞよ? 何か可笑しいか……?」

 アマガミはその甘〜い香りを体中に滴らせている。

「あ、甘い……」

 トモは、知恵の香りとは異なる、愛を素とするその女神の香りに引き込まれる。アマガミはそのようなことなどツユ知らず、涼しい顔でトモに言う。

「いまここで、何をしておったのじゃ? トモ?」

「えっ? ああ、うん……。ちょ、ちょっとね……」

(書庫で書物をぶちまけていたなんて言ったら……か、かっこ悪いしなあ……)

 トモはアマガミから目をそらしていく。

「???」

 アマガミはトモの表情に見入る。

「そ、そんなことより、アマガミ殿? 遊戯室で遊んで以来ですね? あの草はどうなさいました? 本当に試されたのですか?」

 トモは急いで話をアマガミに振った。

「あの草は、とっても不味かった……お、おえ〜っ」

 アマガミは当時のことを思い出してエグそうに舌を出して見せる。

「クククク」

「トモ〜?」

 アマガミは舌を戻すと嬉しそうに笑い出す。

「やっと、笑ったぞよ? トモ?」

「はいっ?」

「トモは、先ほどから、ずーっと難しい顔だったのじゃ……。わらわは、嫌われておるのかと心配したぞよ……?」

「えっ? っと? そ、そのようなことは……」

 トモは、アマガミの前では格好つけていたかったのだが、どうもその態度が裏目に出ているようだった。

「ご、ごめんなさい……アマガミ殿に気を遣わせましたね?」

「よいよい。トモが笑ってくれたら、わらわは、何でもするぞよ?」

 アマガミはそう言うと、再び舌を出して変顔をする。

「ぐええ〜」

「ククク。きゃはは」

 トモは、今度は、大袈裟なくらいに笑って見せる。

(アマガミ殿はお優しい……)

 トモは真剣な顔に戻ると、アマガミの手を引いた。

「さあ、こちらへ? 一緒にお茶を頂きましょう?」

「トモ……?」

「えっ? っと……な、何か……?」

 トモはキョトンとしてアマガミを見つめる。

「きょ、今日は、のう……」

「は、はい……?」

 アマガミはトモに相談があって参ったことを申し上げる。


「ふむふむ……なるほど……。アマガミ殿は想いの海に行かれて、そこから願いを拾い集めるところまでは出来るようになられたと……」

「そうなのじゃ……で、でも……あまり正確には拾えておらなんだった……」

「それは、確かに難しそうですね?」

「ウメがトモに相談してみては? と申しての……」

「わたしにですか……?」

「うん……」

 アマガミは言うなり顔を伏せてしまった。まだ幼い女神は上手くその備わった能力を発現できずにいる。戸惑いの中で苦しむ女神の姿は、男神の保護欲をくすぐった。

「良いでしょう。私も知恵の神々の端くれです。良い知恵をお貸しできるよう尽くしましょう?」

「ほ、本当か? わらわを助けてくださるのか?」

「はい、アマガミ殿。一緒に頑張りましょう?」

「うんっ!」

 幼い女神は力強く頷く。初めて得た友の時のように、初めて得られた助っ人に心から感激する。

「わ、わらわは、嬉しいぞよ。とっても、とっても……。だ、だから、そ、その……ありがとう〜トモ〜」

 アマガミは嬉しくなって思わず幼き男神に抱きついた。

「う、うわあっ」

 急に抱きつかれたトモは支えきれずにアマガミを抱えたまま地面へと転がる。

「だ、大丈夫!?」

「平気じゃ」

「良かった〜。怪我はない?」

「大丈夫じゃ」

 アマガミは地面に転がり、草の葉を髪の毛に絡ませて笑っている。その笑い声がオモイカネの屋敷の庭中に響き渡る。

 女神の笑い声が響き渡ると庭中が一気に華やいだ。花々はその香りを放ち、蝶たちは戯れて舞を踊った。鳥たちは鳥どりのハーモニーを響かせる。

「ああ、一気に天界が……」

 幼い男神は女神の奇跡に微笑んだ。

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