幕間 河童

 暗い夜道の中を一台の車が走っていた。周囲は山間に囲まれていてガードレールの向こうは底の見えない崖が広がっている。対向車はほとんど通ることはないが、単調な運転は眠気を誘う。それでミスをすれば命にかかわる事故にもなりかねない場所でもあった。


「そろそろ目的地のキャンプ場跡だ」


 しかし幸いにも運転手である燈は事故を起こすこともなく目的地へと辿り着いた。それなりに長い距離を走って来たので疲労はあるが、眠気はまだそれほどない。


「あの、先輩」


 後部座席から高坂が声をかける。その隣には間を空けて早苗が座っており、当の隣の助手席には誰も座っていない。二人で前に座って高坂から目を離すのを燈が嫌ったためだ。


「なんだ」

「まだ目的を聞いてないんですが」

「現地で話す」


 いつも通り説明を求める高坂を無下に突き放す。高坂は隣に座る早苗に助けを求める視線を向けるが、彼女はそっと目を逸らす。早苗が彼に賛同して燈に抗議しないのは、彼女がすでに出発前に説明を受けているからだ。高坂に対してとは違い燈も早苗の安全には一定の配慮をしているらしく、ろくろ首の一件以降彼女には事前に説明をするようになっていた。


「ここだ」

「近くに止めるんですか?」

「いや、中まで車で侵入する」

 


 答えながら燈はキャンプ場の入り口を車で通り過ぎる。十年ほど前に閉鎖したというキャンプ場のその看板は朽ちかけていて名前もほとんど読めなかった。元から門の類は設置していなかったようなのでぶち破る手間が省けたのは助かる。

 彼はそのまま管理人室跡らしき建物の横を通り過ぎ、駐車場へと向かう道を無視して宿泊地へと車を乗りこませた。


「着いたぞ」


 そうして到着したのは宿泊地の中でも川沿いに位置する場所だった。車もかなり川に寄せていて下りて数歩歩けばもう川だ。光源もない夜ということもあって流れる川はどす黒くそこも見えない。手入れされておらず草も辺り中に生え茂っていて、仮にテントがあっても泊まるきのしない光景だった。


「警戒して降りろよ」


 警告をしつつ自身も銃を手に取りながら燈は車を降りる。早苗と高坂も同じように銃を片手に車を降りるが、早苗の表情は硬く高坂の方は怯えた様子だ…………彼の持つ銃だけ空砲であることを知ったらどうなるのだろうかと不謹慎に早苗は思う。


「あの、先輩。それで目標はなんなんですか?」


 三人とも車を降りると高坂がおっかなびっくり周囲を見回しながら尋ねる。聞かれた燈の方は車のトランクを開けると何かを取り出しているようだった。


「河童だ」


 何か丸い輪のようなものを取り出して燈が答える。暗闇の中でよく見えないがそれは浮き輪のようなものに早苗には見えた。


「河童…………すか?」


 困惑したような声を出したのは高坂だけだった。早苗の方は事前に説明されているので今更驚くこともない…………聞かされた時はいささか気が抜けたような表情を彼女も見せていたが。


「河童といっても通称だ。おとぎ話のような間抜けな姿をしてるわけじゃない…………もっとも俺も何度か狩ってるがまともに姿を見てはないがな」

「えっ、狩ってるのにですか?」

「こんな暗闇で向こうは川の中だからな」


 河童は水に適性を得た変異をし、獲物を水中へと引きずり込んで殺すようになった妖の総称だ。基本的に水中で過ごし、陸に上がるのは獲物を引きずり込む際の短時間だけだ…………そして基本的に燈は水中で仕留めるような狩り方をしている。


「じゃあ、どうやって狩るんですか?」

「まず、向こうはこちらの存在にすでに気づいている。例えば獲物が一人であれば寝静まった気配を感じれば陸に上がって襲ってくる可能性は高い」


 しかしこちらは三人だし、息を潜めはしても当然寝てしまうような馬鹿はしない。


「ではどうするんですか?」


 早苗の中で半ば答えは出ていた。だから非難するような視線を向けて尋ねる彼女に燈はまだまだ青いというように冷笑する。その必要性を理解しても早苗はまだ納得できていないのだ。


「もちろんこうする」


 燈はその手に持っていた浮き輪のようなものを持ち上げて高坂の頭から落とした。それはすっぽりと彼を覆うように落ちて腰の手前辺りで詰まって止まった。


「ちょ、先輩!?」

「古来から水の中の獲物を狩るには釣りと相場が決まっている」

「じょ、冗談っすよね!?」


 逃げ出そうにも浮き輪はきっちりと嵌って両腕が自由にならない。そんな高坂の背中を燈は推して行って川べりへと辿り着く…………そして蹴った。


「うわっ!?」


 悲鳴と共に高坂が川へと落ちて盛大な水しぶきを上げる。


「ちょっ、俺……泳げ、ないんす、よ!?」

「安心しろ、浮き輪になってる」

「流され、るん、ですけど!」

「ケーブルが付いてるから大丈夫だ」


 燈が高坂を拘束した浮き輪には言葉通り長いケーブルが繋がっていた。しかしその先は燈の手ではなく車の方へと向かって伸びていた。


「…………この後はどうするんですか?」


 暗い川に消えていく高坂の姿に顔をしかめながら早苗が尋ねる。


「獲物はすぐに食いつく」


 河童にとって高坂は縄張りを荒らす別の妖だ。すぐに襲い掛かるだろう。


「ぎゃっ!?」


 悲鳴と共に高坂が水中へ引きずり込まれるような音がした。


「ほらな?」

「…………」


 燈は肩を竦めるとケーブルの先を辿るように車へと戻る。それはトランクの中に入ったなにかへと繋がっていた。


「それはなんですか?」

「特別製の発電機だ」


 答えながら燈は発電機のスターターであるロープを握る。


「まさか!?」


 発電機に繋がったケーブルに早苗が答えを見出すと同時に、燈はそれを勢いよく引いた。爽快な機動音と共に特別製の発電機が膨大な電力を生み出し…………それはケーブルを伝わってその先へと一瞬にして到達した。


 バチィ



 振り向いた早苗の目に川から放たれる閃光が目に入る。一瞬の内に流れ込んだ大量の電気は高坂とそれを捕まえていた河童だけではなくかなりの広範囲を感電させたことだろう。


「終わった」


 告げると燈はトランクをそのままに車内へと戻ろうとする。


「この後はどうするんですか?」

「処理班が来るまで待機だ。寝ても構わないが念のために交代制で片方は起きるようにする」

「…………彼は?」

「ケーブルで繋がってるから流されはしないだろう。このまま放置だ」


 平然と告げて彼は車内へと入っていく…………それに続くことができないまま早苗はもう一度川の方へと視線を向けた。水中に潜む妖をまともに倒すが難しいのは彼女にもわかる。間違いなくこれは安全で確実に妖を葬れる最善の方法だ…………高坂という存在の犠牲にさえ目を瞑れば。


 これに自分は慣れることができるのだろうか…………重い気持ちを抱えながら早苗は助手席のドアへと手をかけた。

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人を喰った話 火海坂猫 @kawaneko

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