二話 ろくろ首①
初仕事と告げて燈が早苗と高坂を連れて向かったのは街中の大きな商社ビルだった。およそ二十階建てで日中であれば数多くのサラリーマンでにぎわうはずのその建物は、時刻がすでに深夜に差し掛かっていることもあって照明は完全に落ちており人気も全くない。もちろん通常であれば夜間の警備員が常駐しているはずではあるが、今日に限っては警察が手をまわして完全な無人となっているはずだった。
「今日の仕事はこのビルに潜む妖を夜が明ける前までに始末することだ」
あらかじめ用意されていたカードキーを使って通用口からビルの中へと入り、入口正面のロビーで立ち止まって燈は口を開く。そこは開けていて通りに面したガラスからも月明かりが入ってくるので比較的明るい。何か異常が迫っても気づくのは容易だ。
「あの、今仕事の内容を説明するんですか?」
「そうだが?」
「危険な現場ではなく打合せならせめてここに来るまでの車内で行うべきだと思うんですが」
「…………そうだな」
もっとも過ぎる意見に燈は素直に同意してしまった。これまで彼が現場に同行させるのは高坂だけだったので事前に説明する必要など何もなかった。現場に到着してから高坂を突っ込ませるためだけに最低限の説明をすることが常となっていたのだ。
ただ、それは高坂に対してだからこそ許されることであって、早苗に対してはそうでないという常識くらいは燈にだってある。
「次回からは注意しよう」
「…………やけに素直ですね」
「間違いは間違いだからな」
訝しむ早苗に燈は肩を竦める。早苗からしてみれば不親切な先輩刑事が突然殊勝になったように見えるのだろうが、別に彼だって彼女を死なせたいわけではない。そうでなかったら最初に早苗に対して部署替えなど勧めず放っておいたはずだ…………だからこそその生存率を下げるようなことには反省もする。
「まあ、反省は次回から生かすとして話の続きだ。現在このビルでは複数の警備員が行方不明となっている。人のいる日中は問題ないが人気のなくなる深夜に狩りをする輩がビル内には潜んでいるということだ」
「それで騒ぎなっていないのですか?」
「業界的にはよくあることだからな。慣例的に警察に話が回ってくるまでは消えても問題ないようなのがあてがわれる」
妖の存在を国は一般に明かしてはいないが、厳格に秘匿しているわけでもない。警備員のような妖にとって狙いやすい職業であれば被害も多く、大抵の警備会社は妖の存在を認知している…………それゆえに危険とみなされる現場へと派遣するような人材も確保しているのだ。聞いた話では借金持ちなどが大半らしい。
「気分の悪くなる話です」
「だが必要だ」
そのおかげで一般人への被害は抑えられているのだから。
「あの、先輩」
「…………なんだ?」
ここでようやく口を開いた高坂に燈は面倒そうな視線を向ける。
「そ、その妖ってのはどういう奴なのかわかってるんですか? それにこんな広いビルに潜んでるなら三人で探すのは無謀じゃ…………」
「質問は一度に一つにしろ」
燈は高坂を睨みつけるが、早苗も同様の疑問を抱いているような表情を彼へと向けている。高坂だけであれば無視してもいいのだが、流石に彼女はそうもいかない。
「…………妖の正体に関してはおおよそつかめている。対象はうまく監視カメラを避けていたみたいだが完全に避けるのは無理があるからな」
大昔ならいざ知らず、今時は防犯のために監視カメラが設置されているのが普通だ。妖だろうが物理的に存在している以上はカメラに映る。
「対象はなんなんですか?」
「ろくろ首だ」
「ろくろ…………あのろくろ首ですか?」
「そうだ」
まさかそんな妖とは想定していなかったのか目を丸くする早苗に燈は頷く。
「まあ人間の顔した大蛇くらいに思っとけ」
一般的にろくろ首はあまり恐ろしいイメージではないが、現実に存在すればそういう脅威だ。
「あの、それはわかりましたけどどうやって探すんすか?」
「方法はちゃんと考えてある」
高坂に答えつつ燈は早苗に少し近寄るように手で招く。
「なんですか?」
「少し話がある…………おい、お前はちょっとあの辺に立ってろ」
「え、一人でっすか?」
「こちらから見える範囲だから問題ないだろ」
「…………わかったっす」
追い払われるように高坂はすごすごとロビーから離れていく。彼の歩いて行ったエレベーターホールは開けていないが他の通路もなく、ロビー方面さえ見張っていれば不意を打たれることもない。立ち止まってその事実に気付いたのかほっとしたような表情を高坂は浮かべた。
「それで話とは何ですか?」
「ろくろ首を見つける手段についてだ」
「…………高坂さんにも聞かせなくていいんですか?」
「必要ない」
きっぱりと燈は告げる。
「…………お前、あいつと接して何日経つ?」
「配属されてからですから、一週間ほどです」
不意にそんなことを尋ねられて訝しみながら早苗は答える。この一週間特にやることもなかった早苗がしたことは銃の訓練と同じ新人である高坂との交流くらいだった。
燈は何を尋ねてもまともに答えてくれないし、高坂に対する態度も目に余る…………彼からも燈に対するいくらかの愚痴を聞かされていた。
「家に招かれたか?」
「いえ、流石にそこまで親しくはなっていませんから」
「ならいい」
何がいいのだろうかと早苗は疑問に思う…………まさか自分に気があるから手を出されていないか気になったというわけでもあるまいし。
「あいつ無能だろう」
「むのっ…………上司とはいえいくら何でもそんなものいいはパワハラではないでしょうか」
「じゃあお前はあいつが優秀だと思うのか?」
「それは…………熱意はあります」
「それは無能と言っているのと変わらんぞ」
むしろ熱意のある無能なんてやる気のない無能より厄介だ。
「それなら聞き方を変えるが、お前がこの部署に入るために受けたテストをあいつも突破できると思うか?」
「それは…………」
三人の所属する部署。正式な名前はなく必要な際には害獣処理班と呼ばれるそこに所属するためにはいくつかのテストを受ける必要がある。その中でも最も重要視されるのが思想と戦闘能力に関するテストだ。特に後者は基準に満ちて居なければ容赦なく落とされる。危険な存在である妖と対峙するのだから戦闘能力がそのまま生存率に繋がるのでそれも当然だろう。
「…………彼の実力を私はまだ確認していませんから」
「いい逃げ方だ」
「あなたが彼に訓練の許可を出していればそれを確認する機会はあったはずです」
燈は早苗にはいくらでも銃の訓練をしていいと許可を出していたが、高坂に対しては彼が頼んでも一切の許可を出さなかった。そのことには早苗も抗議したが燈は弾の無駄だと一切応じようとはしなかったのだ。
「あいつに好きに撃たせたら妖より味方のほうに良く当たるぞ?」
「まさか」
そんな銃の腕でテストに通るはずがないと早苗は燈を見るが彼の表情は冗談で言っている風ではなかった…………まさか、と思う。戦闘能力を見るテストの中でも銃の扱いは再重視されていた。それがそんな腕前でテストを通るはずがない。
「だからあいつに任せられる仕事は一つしかない…………銃も空砲だしな」
「今何と?」
聞き捨てならないことを口にした燈に早苗は確認するように尋ねるが、彼は無視して高坂のほうへと視線を向ける。
「その仕事に関してだけは、あいつは非常に優秀だ」
「だから今の言葉の意味を…………仕事ってなんです?」
「囮だ」
そう答える燈の視線の先で…………突如天井から降って来た何かが高坂へと巻き付いた。
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