二話 ろくろ首②
高坂昇太郎は自分がなんで今場所にいるのか自問していた。夜間の人気もないビル内はそれだけで恐怖を覚えるし、ましてやそこに人を喰らう化け物がいると聞かされれば尚更だった。しかも彼はそれにどう対処していいかわからないのに今は一人で放置されている…………頼れるはずの先輩は自分を相手にもしてくれないし、もう一人の新人にかかりきりだった。
「そもそも俺どうしてこんな仕事してるんだろう…………」
ふとそんな疑問が浮かぶ。元来彼は臆病な性格で荒事には向いていない。そもそも警察官だって向いていないと思うのに、その中でも公開すらされていないような危険な部署になんで自分は配属されたのだろうか…………不思議なことにその経緯が思い出せなかった。
ギィ
しかしそのことをより考えるより前に何か金属のきしむ音が耳に届いた。それは天井から聞こえたように思えたので見上げると排気口が目に入った。薄暗くてよくわからないが、それはぐらついて今にも外れそうに高坂には見えた…………危ないな、そう思った瞬間にネジを飛ばしてそれが開いて女の顔が飛び出した。
「えっ、なんで!?」
意味が分からない。天井の排気口からいきなり女の顔が出てくるというのもわからないし、それが迫ってきているのに見えるのが顔だけというのもわからなかった。普通であればまっすぐ落ちてくるにしても肩とかその体が見えるはずなのだ…………これではまるで彼女には首しかないようではないか。
ろくろ首
そんな単語を思い出す。イメージでは着物を着た古風な女性が頭に浮かぶが、高坂に迫るその顔はどこにでもいるような妙齢の女性のようだった…………考えられたのはそこまで。
直撃を避けるために彼は反射的に身を引いて、その目の前を女性の頭とそれが繋がる白い何かが通り過ぎていく…………けれど固いものが地面へと叩きつけられるような音はしなかった。頭は地面へと直撃するその寸前で滑るように横へと移行し、白い何か…………その伸びた首もそれに続いた。
「こ、これ首!?」
瞬く間に高坂の周囲を回るように覆ったそれの正体にようやく彼が行きつく。しかし蛇の体のように蠢くそれに自分が取り囲まれてしまっているのだという事実に高坂が気づくのは少し遅かった…………逃げようにも、そう考える頃には彼を覆っていた首はその距離を一気に縮めていた。
つまり、高坂を締め上げたのだ。
「ぐぎゃっ………苦し、せん……ぱ…たす」
悲鳴を上げようにも肺が押しつぶされて声が出ない。その姿は紛れもなく大蛇に絞殺されようとしている哀れな獲物だった。宙へと持ち上げられて締め付けられる彼の運命はもはや他者の手を借りねば逃れようのないものだった。
そして、その他者の手は彼を助けない。
◇
「高さっ――!?」
「声を出すな」
叫ぼうとした早苗の口を燈が抑える。
「あれは俺たちの存在に気付いてはいるが注意を払っていない。その優位をわざわざ崩そうとするような真似をするな」
「…………ですが、このままじゃ彼が」
「軽く見積もっても全身の粉砕骨折だ。それでショック死しているかもしれないし、そうでなくともすぐに窒息死する」
燈は淡々と目の前の事実を述べる。
「まだ、助けられる可能性があるはずです」
「その必要はない」
きっぱりと告げる燈を早苗は睨みつけるが、彼は意にも介さなかった。
「あいつのことを思うならせめてその死を有効利用してやるべきだろう」
「それはあなたがっ!?」
「こんなことをしている間に最大のチャンスを逃すぞ?」
自身の拳銃を手に燈が高坂のいるエレベーターホールへと視線を向ける。つられて早苗が目を向けるとろくろ首は高坂を締め付けるのをやめて次の行動へと移ろうとしていた…………すなわち捕食へと。うめき声をあげることすらなくなった高坂の頭上へとその頭を伸ばし、真下を向いてその口を大きく開ける。
その顔それ自体は普通の人間に見えたのに、顎まで外れて開き続けたその口は高坂の体を飲み込めるくらい大きくなった。
「撃つなら今しかない…………撃てるか?」
「!?」
野生動物が隙を見せる瞬間の一つが食事だ。そしてろくろ首も今食事のためにその急所であろう頭を無防備にさらけ出している。完全に動きが止まっているわけではないが拳銃で狙うタイミングが今であるのは明らかだった…………しかし早苗はすぐに答えられなかった。
その事実は理解していても、高坂を助けるべきだという考え最初からその考えのない燈への反発が胸を渦巻いて言葉が出ない。
「わかった、俺が撃つ。お前は俺が外した時にあれがこっちに向かってきた場合に備えてろ。その場合は直進で来るだろうから出来るだけ引き付けて撃て」
「待っ…………!?」
「待つ暇はない」
それだけ告げると燈は意識から早苗の存在を消し去ってろくろ首へと銃を構える。狙うは脳天。ゆっくりと高坂を頭から飲み込みつつあるその側頭部を撃ち抜く。呼吸を止め、手のぶれを抑えて時間が止めれとばかりに集中…………引き金を引いた。
大口径の拳銃がけたたましい音を響かせて人間の目視できないスピードで銃口から弾丸が飛び出す。それは一瞬の内にろくろ首の側頭部を貫通して向こう側へと抜けていった。
「命中」
自分自身も確認するように短く燈が呟く。
「ならすぐに彼を助けないと!」
「待て」
走り出そうとする早苗を制止しながらも燈はろくろ首から視線を外していない。頭という急所撃ち抜いたにもかかわらず彼はまだ終わったと判断していなかった。
「良く見ろ」
「え、あ」
言われて早苗がろくろ首のほうをよく見るとそれはまだ動いていた。頭に大きく空いた穴からだらだらと血を垂れ流しながらも、高坂を加えたまま天井の排気口から戻ろうとしている陽だった。その首がゆっくりと排気口へと吸い込まれるように収納されていく。
「あ、あれで死んでないんですか?」
「考えても見ろ。自分の急所をわざわざ伸ばして突っ込むなんてリスクが大きすぎると思わないか?」
それではまるで殺してくださいと言っているようなものだ。獲物に頭で近づくことによる状況判断のメリットはあるにしてもリスクのほうが大きい。
「あの頭は感覚器官であって生存に必要な機能が詰まってるわけじゃない」
「つまり、彼を犠牲にしてもろくろ首を倒せていないということですか?」
「だがこれで目は潰せた」
非難するような早苗の視線を軽く燈は受け流す。正確に言えば目だけではなく耳も嗅覚も潰せた状態だ。普通の人間であればもはや生活するのもままならない状態だろう。
「後はあれが回復する前に本体の元へ行って止めを刺せば終了だ」
「…………どうやって見つけるんですか?」
このビルが広いというのは最初にした話だった。だからこそ非情にも彼女の上司は高坂を囮にしたのだと思っていたのだが、それでは本末転倒のように思えてしまう。
「高坂の体には発信機が埋め込んである」
答えながら燈はその受信機らしきものを取り出してスイッチを入れた。
「普段は排気口を高速で移動してるんだろうが今は高坂をきちんと呑み込めていない状態で戻っているからな、移動方向を確認すれば先回りできるだろう」
「…………最初から、ここまで想定していたってことですか?」
「そうだ」
燈は頷く。高坂を囮にして感覚器官を潰し、その発信機を頼りに本体を見つける。高坂一人の犠牲を最初から前提にした作戦だ。
「より多くの妖を殺して人を助けるために…………ハンターの生存を優先すべきだと言ったのはあなたじゃありませんでしたか?」
「そうだな」
早苗が配属された時に、彼女への皮肉を交えてそう燈は話した。
「だからそうしているだろう?」
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