二話 ろくろ首④了

 燈がサーバー室への扉を開き、早苗はその中へと入りこんだ。サーバーを冷やすための強い冷房に一瞬彼女の体が固まる…………それは自分が怖気ているせいではないと早苗は思いたかった。


「…………」


 確認するように早苗が振り返ると燈は扉が閉まらないように背中で支えながらさっさと行けと顎で示す。早苗は拳銃と強く握りしめると前を向いた。そのサーバールームはそれほど広いわけではない。左右に分かれて並べられたサーバーのせいで部屋は見通せないが、少なくとも正面にはろくろ首の本体は無いようだった…………つまりサーバーの陰に隠れているのだ。

 サーバーによって作られた通路は正面に進むと中央付近でまた左右に分かれている。ろくろ首の本体がいるのならそのどちらかだろう。


 静かに、振動を立てないように早苗は歩く。念のために部屋に入る前には靴を脱いでいた。床のひんやりとした感触が靴下越しに伝わってくるが、今の彼女には何の冷たさも感じない。


「っ!?」


 息を呑む。左右に分かれた通路に差し掛かって右手を覗いたら当たりだった。そこから進んで三メートルほどのところにスーツを着た女性…………の体だけがあった。本来顔がある位置には真っ白な首だけが天井まで伸びて収縮を繰り返しているように蠢いている。


「…………はっ、はあ」


 空気を揺らさないように息を吐く。拳銃を構える手はひどく緩やかだった…………鉛でも持っているように銃がひどく重く感じる。ろくろ首は棒立ちしていて距離は三メートルと外すはずもないシチュエーションだ。それなのにその体はとてつもなく遠いところにあるもののように思えた。


 スイッチを切り替えろ。


 あれは配属初日に聞いたことだったか。それはほとんど指導らしい指導をしてくれなかった燈の唯一といってもいいアドバイスだった。彼は妖を殺す際にそれを人間と思うなとは言わなかった。代わりに人であろうと殺せる自分を意識して自分自身を切り替えろと言っていた。


 なるほど、あれは人だ。


 例え首から上が天井へと伸びた異形であっても、早苗の目には人に連なるものに見えた。目の前で同僚が喰われる様を見てなおその無防備な体を撃つのには抵抗を覚える。


「…………ふ、う」


 余計な感情を抜き去るように小さく息を吐く。感情を捨てた自分をイメージする。感情も昂らず動揺もしない自分。機械のように正確に動いてただ目的を果たす。心の中にイメージしたスイッチを切り替えてそんな自分へと切り替わる。


「…………」


 拳銃を構える。撃つ。やることはそれだけだった。両手で構えて引き金を引いた拳銃から銃弾が発射され、早苗はその反動を両肩でうまく抑えていなす。銃弾は狙い通り正確にろくろ首の旨の真ん中を撃ち抜いて…………そこから赤い血が広がった。

 それが倒れなかったのは首が支えていたからだろう。しかし全身の力は抜けてまるで首つり死体のように力なくその両手両足が垂れる…………死んだのだと、それでわかった。


「よくやった」


 早苗の切り替えたスイッチが戻ったのは燈に声をかけられてからだった。


「い、いつの間に来たんですか?」

「お前がそれを撃ってから五分は経ってるぞ」

「えっ!?」


 全く彼女は気づいていなかった。それどころか目の前のろくろ首の死体に今気づいたかのような表情すら浮かべている。今だ熱の消えない自身の手の中の拳銃を見てそれが自分がしたことなのだと気づいた風でもあった。


「お前、無駄にこの才能だけはあり過ぎるみたいだな」

「無駄って…………」

「切り替えが良すぎても問題はあんだよ」


 やれやれと燈は溜息を吐く。


「まあ、いい。処理班に連絡して俺たちは帰るぞ」

「帰る…………って、高坂はどうするんですか!」

「どうするも何も今は排気口の中だろうが」


 死体から首の伸びた天井の排気口へと燈は視線を向ける。果たしてどの辺りに詰まっているのか、それを引っ張り出す作業を自分がやる気は彼には毛頭なかった。


「何も知らない新人を囮にして、その死を悼むことすらあなたはしないんですか?」

「…………そうだな」

「そうだなって!」

「そういう意味じゃない」


 溜息を吐いて、燈は言いなおした。


「まっすぐ帰るのは止めて、寄り道をするぞって意味だ」


                ◇


「どこへ向かってるんですか?」

「うちの部署の官舎だ」


 あの後事後処理を頼む電話をしてすぐに燈は早苗と共に商社ビルを後にした。彼は寄り道をするとしか言わなかったので当然その行先は気になる。通りに出てしばらく走ったところで彼女は車の進路が署とは真逆であることに気づいた…………寄り道というには方向が違いすぎる。


「官舎、ですか? それも方向が違いますけど」


 早苗は現在アパート暮らしだが害獣処理班に移る前には署の官舎に住んでいた。だから場所は知っているがそれとも方向が違うように彼女は思う。


「それに専用の官舎があったなんて初耳です」


 害獣処理班は一般の署員にも知らされていない部署だからそこでの仕事内容は他者には話せない。しかし官舎は通常の住居と違って住民同士の交流が深い。そして同じ警官同士仕事の話になることも多いだろう。

 そんな状況下で仕事内容を秘匿し続けるのも無理があるし余計な詮索をされることになる…………よって官舎を出ることを推奨されて早苗は従ったのだが、専用の官舎があるならそちらを紹介してくれても良かったのではないだろうか。


「ああ、それはお前に気を遣ったんだろ」

「どういう意味ですか?」

「俺もお前と同じアパート暮らしだ…………意味が分かるか?」

「…………よくない場所ということですか?」

「そういうことだ」


 ハンドルを握り、前を向いたまま燈は答える。


「そもそもあそこは害獣処理班専用の官舎ってわけでもない…………今うちの部署には三人しかいないわけだからな」

「そうですね」


 一つの建物を借り切るには人数が少なすぎる。


「だからあそこは妖の関係者全般の官舎みたいな状態になってる…………だけなら良かったんだがな」

「どういうことです?」

「落ち着いて休めない場所になってるんだよ」

「…………意味が分かりません」

「その辺は着いてから説明してやる」

「またですか」


 責めるというより呆れるような口調だった。燈がろくろ首に対する説明をいつ襲われるかもしれないビル内でおこなったことを思い出しているのだろう。改善すると約束した口で同じことを言っているのだからその反応も無理はない。


「待て待て、今度は別に危険はないし順序立てた方がわかりやすいってだけだ」

「順序立てて今説明するわけにはいかないんですか?」

「それじゃあインパクトが薄いだろう」

「…………つまり、現地に私が驚く何かがあってその印象を薄れさせたくないと」

「そうなるな」


 肯定する燈に対して早苗の呆れる表情が強まる。子供ですかと口にしなかったのは上司に対するせめてもの情けだろうか。


 後は特に会話もなく、目的の官舎まで何事もなく車は走った。

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