二話 ドッペルゲンガー②
辿り着いた官舎はごく普通のマンションのように見えた。しかし早苗は大きめのアパートのような建物を想像していたのでそれよりもずいぶんと大きい。妖の関係者全般が住人だと燈は説明していたが、そもそもその関係者とはどういった人間なのだろうかと疑問が浮かぶ。
「概ねは研究者だ」
早苗が尋ねると燈はそう返した。そのまま話ながらマンションのエントランスへと向かいオートロックを解除して中へと入る…………住んでいはいないと彼は言っていたが、その暗証番号は知っているらしい。
「俺たちは人間が変異した存在である妖を駆除するのが仕事だが、そもそもその発生をどうにかしようと研究するのは当然だろう?」
「…………そうですね」
言われてみればその通りだった。家族を殺された経験から早苗は同じ犠牲者を出さないためにも妖を狩ることだけを考えていた…………しかし指摘されてみればそういうアプローチの仕方もあるのだ。
「まあ、ぶっちゃけた話俺たちと違って市民を守るためというようなお題目の研究者はほとんどいないがな…………妖は人をはるかに超えた能力を持っているし普通には考えられないような場所に適応して見せたりもする。その変異のシステムを解明してうまく利用できればなんてことは誰だって思うことだろう」
うまくいけば超人を生み出したり、現代では不治の病とされている病気の治療法だって見つかる可能性もあるだろう。
「そして妖を駆除するには少人数で十分だが、研究には人手がいる」
妖の発生率はそれほど高くない…………まあ、高ければ今のように秘匿なんてできていないはずなので当然だが、二人の所属する署の管轄内で事件は月に一件あるかないかだ。それだから少人数での駆除が成立している。
しかしその研究となると話は別だ。様々な面からのアプローチが必要になるし発想だって複数の人間からの視点が必要だ。実験を数こなすにもとにかく人出がいる。大量の資材や機器にと資金面でもいくらあっても足りない。
「近くに表向きは製薬会社となっている妖の研究施設がある…………この官舎に住んでいるのはほとんどそこの職員だよ」
「では、その職員に会いに来たのですか?」
「違う」
燈は首を振る。
「では誰に?」
「会えばわかる」
そう答ながら、早苗を連れて燈はエレベーターへと入った。
◇
「ここだ」
燈が案内したのはマンションの十階の一室だった。107号室と書かれているその扉の横には高坂という表札がかけられていた…………それがほんの一時間ほど前にろくろ首に襲われて死んでしまった同僚のものだとわからないほど早苗は鈍くない。
「あいつの家だ」
「…………お悔やみを申し上げに来たということですか?」
高坂は死んだのだからここにいるのは残された家族だろう。せめてその死を伝える責任は負うということなのだろうかと早苗は燈を見るが、彼は的外れな答えを口にした子供を見るように薄く笑う。
「違う」
否定して、インターホンを押した。
「はい、どなたですか?」
それは早苗の聞き覚えのある声だった。彼女の中の常識が親族であれば声が似ることもあるだろうと囁くが、早苗の耳は確かだった。それは間違いなく彼女の知る人物の声だと確信できてしまっている。
「綾崎だ」
「――――あっ、先輩ですね!」
燈が名乗るとインターホンの向こうの声が明るくなる。そのまま玄関へと駆け寄ってくる足音がして、開錠音の後に扉が開いた。そこから現れたのはほんの少し前に目の前でろくろ首に殺されたはずの男だった。高坂昇太朗。その姿は早苗よりも少し前に部署に配属されて燈から邪険に扱われていた彼で間違いない。
「こんな夜中にどうしたんですか――――宮藤さんまで一緒に」
視線が向けられるが彼女は何も答えられなかった。ただその目は信じられないものを見るように高坂へと向けられている…………傷一つない。仮にあの後助けられたのだとしても無傷なはずもないし、時間的に先回りしてマンションにいられるはずもない。
「どうしたんです?」
そんな様子の早苗を高坂がさらに注視するように見つめてくる…………気持ちが悪いと感じた。その視線がまるで観察でもされているような無機質なものに思えたのだ。
「今現場から上がって来たばかりでな、宮藤も疲れてんだよ」
「あ、そうなんですね」
フォローするように燈が口を挟むと納得したように高坂は早苗から視線を外す。
「お前今日は病欠だっただろう? その現場が近かったからついでに様子を確認に来たんだ」
「―――――そうだったんすか! ありがとうございます!」
何かが切り替わったように、とても嬉しそうな笑顔を高坂が浮かべる…………それがひどく早苗にはおぞましいものに見えた。
「これはお見舞い品だ。特製の栄養剤だから精がつく」
しかし当の方は平然とした様子で持っていた紙袋を高坂へと渡す。それは車を降りる際に彼がトランクから取り出していたものだった。こういう時のために常備してあると言っていたそれが何なのか早苗は尋ねたが、ただ土産物だと彼は返しただけだった…………そして実際にその通りに彼は使ったわけだ。
「わー、助かります!」
高坂は本当に嬉しそうにそれを受け取る。普段の高坂に対する燈の態度を考えれば何か違和感でも抱きそうなものだが、当の高坂にはそんな疑念は一切ないようだった。
「そうだ、良かったら少し上がっていきませんか? コーヒーでも淹れますよ」
「いや、今言ったが俺たちは現場から上がって来たばっかりでな。すぐに署に戻って報告書を上げにゃならん」
「…………そうなんですか」
「お前の元気そうな顔も確認したし俺たちはもう帰る…………また署でな」
「はい!」
さらりと断って話をまとめると燈は早苗を促して高坂の玄関前を後にした。
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