二話 ドッペルゲンガー③

 玄関を後にしてもそのまましばらくは高坂がこちらを見ている気配があったが、バタンと扉が閉まる音がするまで離れたところで燈が口を開く。


「理解できたか?」

「…………できません」


 なにがどうなっているのか、早苗は混乱しっぱなしだった。


「お前は本当に頭が固いな」

「…………すみません」


 普段なら反発していたところだが、今の彼女にはその自覚があった。現場帰りということもあっただろう。こんな風に簡単に動揺していては駄目なのだと流石に早苗も思う…………そしてその原因は燈の言う通り彼女の頭の固さにあるのだ。


「勉強はできるんだろう? それなら俺がお前に教えた妖の話を思い出せ」

「教えたって…………あ」


 燈が彼女にしっかりと説明した妖など一つしかなかった。ドッペルゲンガー。あの時はなぜ脈絡もなくそんな妖の説明をするのかと思ったが、今思い出せばそれはこれ以上ないくらいに起きたことの説明になっていた。


「彼、が…………ドッペルゲンガー?」

「それを本人に指摘するなよ」


 高坂の部屋から遠ざかり、エレベーターへと乗り込みながら燈が忠告する。


「あいつの正体を詮索するような行動は防衛本能を働かせる可能性が高い」

「…………防衛本能、ですか?」

「そうだ。俺たちはあいつを利用しているが完全に制御できているわけじゃない。ドッペルゲンガーの性質は説明した通り概ね判明しているが、未知の要素も残っている…………俺たちはあくまでわかっている範囲であいつを利用しているだけだ」

 

 わかっている範囲でルールを守れば比較的安全に高坂という存在を運用できる。しかしルールを破れば当然危険があるし、知られていないルールが存在する可能性もまだ残っている。


「今のところあいつには簡単な条件付けがなされている。とはいえそれも大層なものじゃなくて新しい個体になったあいつに与える情報で状況への認識にいくつか変化がある程度だがな…………今回の場合だとあいつは病欠したという情報を受け入れて自身がすでに配属済みでこちらとの面識もあるという設定になる」

「…………今日のように会わなかったらどうなるんですか?」

「明日には配属したての新人として部署にやってくるだろうな」


 基本はその設定なのだ。しかし今日のように会う必要があったり、追加の事件が起こった際のために別の設定も刷り込まれているというわけだ。


「どうした?」

「…………あなたが彼に辛く当たる理由は理解できたと思います」


 早苗にも高坂との関係性は簡単にリセットされてしまうものなのだと理解できた。それであれあば確かにまともに相手をするのも面倒くさくなるだろう。親身になったところで彼が死んでしまえばまた最初からやり直しなのだから…………けれど、と思う。


「しかしそれは彼の運用法にも問題があるのではないですか? 彼をあんな風に消耗品として使うのではなく、まともな戦力として活用する手段もあると思います」


 モラルの問題もあるが正直に言えばもったいないように早苗には思えるのだ。確かに高坂は死んで問題ない消耗品であるかもしれないが、どうせならまともな訓練を施してある程度の戦力にすればただの囮にするよりも役に立つように思える。


「あのな、そんなことお前が気づく前に俺や研究者が気づいていると思わないか?」


 なぜなら早苗のその発想は特一したものではない。誰だって考えつくようなことだからだ。


「…………そうですね」


 口にしてしまったことを少し恥じつつ早苗は肯定する。もう少し考えが回ればそうしたほがいいではなく、なぜそうしないのかの理由を尋ねられただろう。


「俺や研究者があいつをそうしなかったのには二つ理由がある…………一つはあの商社ビルでも言ったがあいつがこれ以上ないくらいに無能だからだ。基本臆病な性格だし戦闘に向いた能力をしていない。検討のためのテストをした頃もあるらしいが、あいつをまともに戦わせようとすると自身が死ぬだけではなく周りの犠牲が増えるという結論が出た」


 だから拳銃を持たせても実弾は入れず空砲なのだ。それならば少なくとも誤射で死ぬ味方は生まれない。


「そんなに、ひどいんですか?」

「ひどい」


 即答する。


「そもそもドッペルゲンガーっていう妖は生存本能から生まれたような存在だからな。荒事をするというのがそもそもその本能と矛盾した行為だ…………本来ならあれは人間社会に紛れて危険から出来るだけ遠ざかって生活しているだけの存在だ」


 危険は基本的に避け、死ぬのは不慮の事故などの不測の事態だけ。そう言った意味では他の妖と違い危険性は小さいが、何かの事態で個体が死ねば新たな予備を生み出すための栄養確保として人を殺す存在であるのは間違いない。


「そんな生存本能の塊のあいつが疑問も抱かず危険な仕事に従事してるのは刷り込みによるものだ…………元々向いていない仕事を無理やりやらせている状態なんだよ」


 それでまともな戦力になると考えるほうがおかしい。


「刷り込みができるなら、上手くやれば戦力にできるのではないでしょうか」

「それが二つ目の理由だ」


 マンションを出て、車に乗り込みながら燈は答える。こんな場所からはとっとと離れてしまいたかったので燈は話を中断して車を敷地外へと発進させた。


「で、二つ目の理由だが…………お前、あれの戦闘力を高めたいと本当に思うか?」

「それはどういう意味ですか?」


 提案しているのだから早苗はそれが良いと考えているのはわかっているはずだ。


「さっきも説明したが俺たちはあいつを利用しているが、その性質をすべて解明できたわけじゃない。俺たちのした刷り込みは今のところ有効に働いているが…………その影響だって今確認している最中だ」


 ぶっつけ本番でデータを取りながらやっているようなものなのだ。今後ある日突然言葉を交わした瞬間に高坂が襲い掛かってくる可能性というのもゼロではない。


「仮にあいつがこちらの制御を外れて暴走した時のことを考えてみろ」

「あ」

「リスクを考えれば無能な方がちょうどいいんだよ」


 ほとんど不死身のような存在が高い戦闘力で襲ってくることなど考えたくもない。


「幸いとしてそんな真似をせずともあいつは囮として有用だ。妖にはどうも縄張り意識のようなものがあるらしくてな、別の妖がその範囲内入ってくると優先して狙う…………おかげで俺たちは比較的安全な状況で妖を狙えるわけだ」


 もちろんその安全は絶対ではないが、これまでのケースを振り返っても先に燈から妖に仕掛けるような真似でもしない限りはまず高坂が狙われる。それはどんな種類の妖でも共通していたから、変異の仕方が違っても妖には互いを認識する共通の何かがあるのだろう。


「まあ、それでもあいつを鍛えたいなら好きにしろ。仕事を入るまではあの場所で何をしようが基本的には自由だからな」

「…………いえ」


 そこまで説明されて早苗に頷けるはずもない…………そもそも燈が無理に止めない時点でその程度のことでは高坂の性質は変わらないと言っているようなものだ。どれだけ今の個体を訓練したところで…………きっと大本の方をどうにかしないと変化はないのだろう。


「そうか、それならあいつに関する注意事項を伝えておく…………まず、さっきも言ったがあいつの正体に関しては詮索するな。それと招かれてもできる限りあいつの部屋には入るな。どうしても入る必要があったとしても出された飲み物には手を付けるなよ。睡眠薬なんかが入っていたらそのまま餌にされる可能性もある」

「つまり彼を信用するなということですか?」

「そうだ」


 見た目は同じ人間でただの気の弱いだけの男に見えても妖であるがゆえに。


「緊急時用のコードは知っているだろう? あいつの部屋に入ってすんなりと出られない状態であれば気づかれないように送信しろ…………まあ、あの部屋もモニターされているからよっぽどの事態にはならないはずだが、研究者共も信用ならんからな」

「モニター、されてるんですか?」

「当たり前だろう。妖なんて危険生物を自由にさせとくはずがない」


 何度も繰り返すが利用していても安全な存在ではないのだ。


「あのマンションの居住者は大半が研究者だって言っただろう? その中にはあいつ専門で常駐して研究してるやつらもいる…………確かあの部屋はいざとなれば遠隔で焼却装置が起動できるようにもなっていたはずだ」

「そんなことまで?」

「そんなことまでだ」


 妖とは決して油断していい存在ではない。


「だがさっきも言ったが研究者共も信用ならん。妖から得られる研究成果は莫大な金を生むことも少なくない…………研究のためなら人を犠牲にしていいような奴らもいる。そうでない奴らでも妖は殺さずに捕獲しろくらいの事は言って来るしな」

「捕獲…………できるんですか?」

「不可能じゃない。ただ大量の人員と装備に犠牲を出す覚悟がいるだけだ」


 しかも妖は秘匿された存在なのでその潜伏場所にもよる。そう言う意味では今回のろくろ首はやりようによっては生かしたまま捕獲も可能だっただろう…………もちろん燈にはそんなリスクを負うつもりはないが。


「警察の方針は駆除優先だから研究所は専用のチームを抱えていて独自に妖の捕獲を行っている…………たまに要請があって手を貸すこともあるがな。ハンターが引き抜かれることも珍しい話じゃない」


 あたりまえだが公務員より給料はいいし、リスクはあると言っても部隊での行動になるから安心感も違う。少数で自分の命を常に危険に晒す仕事環境に嫌気が差したり、妖とはいえ人の形をしたものの命を奪い続けることに忌避感を抱いたりしてスカウトに応じてしまう。


「お前も望めば転職は容易だぞ?」


 新人だろうが大量の人員を確保したい向こうは受け入れてくれる。そもそも厳しいテストを突破してハンターに慣れている時点で経験以外の能力は充分なのだから。


「私は今の仕事を辞める気はありません」


 命を奪うことは確かにつらい…………けれど、迅速に対処できれば助かる人は増える。恐らく捕獲には入念な準備が必要だろう。そうなれば犠牲者は殺す場合より多くなる。


「ああ、その方がいい…………向こうの仕事のほうが気は滅入るからな」

「…………あちらの基本方針は捕獲なのですよね?」


 それなのに気が滅入るのかと早苗は疑問に思う。


「確かにあいつらは妖を殺さず捕獲する…………だが、捕らえた後の妖を研究者はどう扱う? 当然様々な面で調査するだろうし、実験も行うだろうな…………ちなみに捕獲任務がない時は研究所の警備がチームの仕事だ」


 それはつまりその調査や実験を警備のために見ることがあるということだ。


「これは人づてに聞いた話だが、直視できない光景も少なくないそうだ…………まあ、警備が目を逸らしていい訳がないんだがな」

「…………」


 早苗は思わず押し黙る。そんな仕事は絶対にごめんだと思った。


「おっと、話がそれたな…………それであれだ。また細かい話は文書にして渡すが、最大の注意事項だけ言っておく…………あいつの寝室には絶対に近寄るな。出来る事なら意識も向けないほうがいい」

「…………はい」


 早苗は素直にそれに頷く。詳しいことを説明されなくてもそれだけで理解できた。


 きっとその場所に、高坂の本体とでもいうべきものがあるのだろう。

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