プロローグ 鬼②

 署を出てから二十分ほど無言の車中を過ごし、燈と高坂の二人は人気の少ない埠頭の倉庫へとやって来た。


「着いたぞ」


 燈はエンジンと止めると車を降りて倉庫に視線をやる。一目見て古びているとわかるその倉庫には人の気配はまるでなかった。既に使用されていないのか明かり取りの窓も塞がれて中の様子は窺い知れない。


「あ、あのここで何を?」


 同じように倉庫を眺めながらおずおずと高坂が尋ねる。


「鬼退治だ」

「は?」

「鬼退治だ」


 ポカンとする高坂に燈は同じ言葉を繰り返す。


「え、えっと……」


 しかしそれで分かりましたと納得できるわけもない。


「ちゃんと銃は携帯してきたな?」

「は、はいそれは……」


 高坂は頷く。部屋を出る前に絶対に忘れるなと念を押されていたのだ。


「この倉庫には人間を喰う鬼が潜んでいる……俺たちはそれを狩る、OK?」

「そ、それが自分たちの仕事なんですか?」

「そうだ」


 理解できないというような表情。それに面倒くせえという表情で燈は答える。


「あ、あの……」

「いるんだよ」

「その」

「い、る、ん、だ」


 それ以上は許さないという強い口調だった。


「…………」

「じゃ、行くぞ」


 さすがに押し黙った高坂を促す。


「え、どこへ」


 うんざりするような表情で燈は高坂を見る。


「鬼を狩りに倉庫に入るに決まってんだろうが」

「…………」


 イラつくような視線から逃げるように高坂は倉庫へと視線をやった。


 使われていない筈の倉庫の扉はなぜか鍵が壊れていた。


                ◇


 倉庫内は完全な暗闇だった。明かり取りは完全に塞がれているらしく漏れる光はない。開かれた扉だけが唯一の光源でその照らす範囲を超えた先は完全な暗闇に包まれている。


「け、けっこう物がありますね」

「…………そうだな」


 燈が用意していた小型の電灯を手におっかなびっくり高坂は奥へと進む。もう片方の手にはしっかりと銃が握られていた。その言葉通りに使われていないはずのその倉庫には物が散乱している。積み上がった段ボールや埃の積もった棚などが乱立し、まるで迷宮のように道を狭めて複雑にしていた。


「おい」

「は、はい!」

「声が大きい」

「す、すみません……」


 怯えの入り混じった表情でかしこまる高坂を無視して燈は周囲に気を配る。物音はない。今ので気づかれているのかそうでないのか、彼にはその気配を感じ取れなかった。


「いいから先に進め」

「は、はい」

「簡単な注意だけしておく」


 進むのを再開し、警戒はそのままに燈は口を開く。


「対象…………鬼は文字通りの化け物だ。人間を喰らう為に進化し変異した存在で、虎のように俊敏しゅんびんでその膂力りょりょくは人間を紙のように引き千切る…………まともに相手をして勝てるような存在じゃない」


 それは人を喰らうもの……言い換えれば人の天敵であるがゆえに。


「そ、それじゃあどうすれば…………」

「だが無敵の生物と言うわけでもない…………銃で急所を撃ち抜けばさすがに死ぬ」

「そ、そうですよね」


 ほっとしたように頷きつつ、高坂は手に持つ銃の感触を確認する。それはこの暗闇の中で確かな安心感を与えてくれるものだった。


「問題なのはいかに当てるかだ」


 けれどそこに燈は冷水をぶちまける。


「当てれば殺せる。当てなければ殺せない。虎のように俊敏な相手の急所を撃ち抜くのは難しい…………けれど仕留められなければ死ぬのはこちらだ」


 拳銃の装弾数はそれほど多くない。そして再装填の瞬間は大きな隙だ。


「なら、どうやって……当てるんですか?」

「それは――」


 口にしたところで燈は何かに気づいたように押し黙る。


「どうしたんで……っ!?」


 慌てて後ろを振り向こうとした瞬間に高坂の視点が大きくずれる…………簡単に言ってしまえば彼は滑ってこけたのだ、それも盛大に。しかも運の悪いことに倒れた先には積み上げられた段ボールがあり崩れたそれは静かな倉庫内に大きな音を立てた。


 さらにその拍子に手にした電灯はどこかへ行ってしまったらしく、何とか立ち上がるも暗闇の中で巻き上がった埃を吸い込んで彼は大きくせきこんでしまった。


「ごほっ、ごほ……す、すみません先輩」


 謝罪しながら周囲を見回すがそこは完全な暗闇。慌てて電灯を探すがどこかに埋もれてしまったのかスイッチがオフになったのか、漏れる光すら見受けられない。幸いなのはもう片方の手に握っていた銃だけは離さずに持っていたことだろう。


「え、ええと…………先輩?」

 もう一度声をかけるが暗闇からの返事は無い。


 不安が胸に渦巻く中で唯一の安心を与える存在である銃を彼は強く握りしめた。

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