黄金林檎の落つる頃 ~二人の漱石~
四谷軒
明治三十二年秋、子規庵にて
――
「
正岡子規「くだもの」より
明治三十二年秋。
東京根岸、子規庵。
正岡子規は、折からの
このあと、子規は立つどころか座ることもできなくなり、談話も許されないほどの凄絶な状況となっていくのだが、子規本人は
「
郷里の松山の言葉でそう言っては、家人や来客に余計な気遣いをさせないようにしていた。
「……さて、今日は漱石が見舞いに来るとか」
東大予備門以来、漱石──夏目漱石は子規は親友である。
最初は寄席だったが、そのうち俳句や漢詩などを共にするようになり、今ではすっかり、互いになくてはならない存在だと思っている。
*
「黄金林檎の落つる頃?」
見舞いに来た漱石は、子規の枕頭に置かれた
この頃、熊本の第五高等学校(のちの熊本大学)の英語教師を務める彼は、俳句の結社・
その漱石が「黄金林檎の落つる頃」と言ってきた。
これは何かある。
そう思った子規は、「そいつぁ、君の新しい句のネタかい」と振ると、「ちがう」と返って来た。
「おれは、英国に留学することになった」
文部省から、内々に打診があったという。
「そいつぁ
「……何が
漱石は帝国大学を卒業し、東京師範学校の英語教師となったものの、人の模範であることはできないとして悩み、そもそも英語の教育ではなく、英文学を志していたという屈託もあり、務めて二年早々にして辞した。
この時漱石は、人の模範たり得ないという懊悩、あるいは恋愛についての悩み苦しみもあり、東京から去って、松山の愛媛県尋常中学校、熊本の第五高等学校と勤め先を変えていった。
……英語教師として。
「そのおれに対して、どうだ。文部省は英語教育の研究のため、英国に行けとよ」
英文学の研究という、黄金の林檎を落としたのが今だ。
漱石はそう
黄金の林檎とは、漱石に言わせると、
おのれの夢破れた今を、黄金の林檎の落つる頃とたとえるところが、いかにも漱石らしい。
*
「……すりゃあ、
子規は、籠から林檎をひとつ、取り出した。
「祝いだ。食べるか」
漱石が「
その剥き方が、漱石の目から見るといかにも雑で、皮の裏に実の部分が分厚くくっついている。
「おい、おい」
もしかして、手先がうまくあつかえないのかと漱石は心配し、
「これでいい、これでいい」
子規は何と、剥いた皮の裏に口をつけた。
「えっ」
漱石があっけに取られている間にも、子規はちゅうちゅうとその林檎――の皮だったもの――を吸い出した。
上野の山から吹く風が子規庵に流れる中、吸い切った「皮」をしゃくしゃくと噛みだす子規。
漱石が黙然としているので、口を離した。
「……知らんのか、林檎は、皮の方が――皮のそばにある
実際、子規はその著作「くだもの」で、「林檎は
「だからお前も、
子規が病床から差し出した「皮」を手に取る漱石。
きょろきょろと、子規庵の開け放した病室兼書斎の縁側の向こうを見る。小園(庭のこと)の秋の草花の先にある
「旨い」
「じゃろ?」
子規は莞爾として笑った。
そうして二人で林檎の皮を吸って食べ、よしなしごとを語るうちに、時が過ぎていった。
*
夕暮れ。
かあかあという烏の声が聞こえ、漱石は腰を上げた。
「長居した」
「何、いいさ」
子規庵を出ることがない子規にとって、来客は貴重だ。
ましてや、それが親友である漱石であるならば、なおのこと。
「もう、来られないかもしれん」
「そうか」
渡英するとなると、忙しくて来られない。
渡英したらしたで、しばらく帰れない。
帰る頃に、子規が生きているか、わからない。
だからこそ漱石はこの折りに来訪したのだが、いざ来てみると、おのれの愚痴ともつかない、くだらない話題を振ってしまったと後悔した。
もっと、ほかの話題にすべきだった。
友との最後の日々という黄金の林檎を、落としてしまった。
「なあ」
驚いたことに、子規は立ち上がった。
結核から影響されるカリエスなのに、そんなことをしてはと、漱石はあわてる。
「そんな気に病むことはないさ、とは言わん」
子規が漱石の肩を抱くと同時に、倒れそうになる。
漱石は思わず子規を支える。
「そんな月並みなことは言わん」
子規はふっと笑った。
月並みとは、子規が言い出したことで、月並み句会という例月の句会・歌会で作られる俳句・和歌を、つまらないという意味で使った。
「……気に病んでもいい、体を壊してもいい。だけど、自分のやりたいことをやれ、漱石」
今の子規でないと言えない台詞だ。
血を吐いても、俳句に歌に、のめり込む子規でないと。
「せっかくの英国じゃないか。英語の教育? そんなのくそくらえだ。英文学を極め
「…………」
子規は漱石の肩を叩いた。
「落ちた林檎なら、拾って見せろよ。それでこそ、漱石だろ」
元は漱石だった
そう言えばそうだったと、漱石はうなずいた。
「
晋の孫楚という男が隠遁を決意して、「流れに
子規はそれを知って筆名にしていたが、東大予備門で知り合った夏目金之助という男が、やはり負けず嫌いであり、子規はそれを気に入って「漱石」を譲った。
「……あん時から、変わらん。林檎の
「何てえ、たとえだよ」
漱石は愚痴りながら、そっと子規を寝床に横たえた。
子規は、「辛気くさいのは、
「君に進呈する。
見ると、
――あやまつて 林檎落しぬ 海の上
と記されていた。
「……いやいや、拾えと言っといてこれはないだろう」
「辛気くさいのは性に合わん、と言うとろうが」
子規庵に笑声が響く。
笑顔のまま漱石は去り、そして翌明治三十三年、英国へと旅立った。
その後、漱石は
一方子規は、病床で短歌や俳句、随筆を書き、最後には口述で書きつづけた。また、
その死に至るまで。
子規は、奇しくも漱石が帰国を命じられた明治三十五年に亡くなる。
より正確には、明治三十五年九月十九日、午前一時頃であり、以来、この日を
……漱石も子規も、ふたりとも、一度は黄金の林檎を落としたのかもしれない。
けれども、それを拾おうとした。
英国と日本、たとえ離れていても、ふたりは共に、拾おうとしたのだ。
前のめりになって。
【了】
黄金林檎の落つる頃 ~二人の漱石~ 四谷軒 @gyro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます