第6話 セシルの気持ち。
顔を合わせるのは朝と夜の食事時だけ。お互いの咀嚼音が聞こえるのではないかしら、と思うほどの沈黙の中の食事。
せっかくウルが美味しく作ってくれているのに、味気ないにもほどがある。あまりに静かなのをフォローしてくれようとしたのか、3日目の朝からはピッケがバイオリンで静かな音楽を演奏してくれるようになった。
結婚してから2週間、会話らしい会話など交わした記憶がなかった。
「黒龍討伐の成功を祝う会が王城で開催されるそうです」
「あら、そうなのですね。それにはセシルも招待されているのよね?」
「はい。それから、もちろん、貴方も」
「一応妻ですものね。そういう場には当然ご一緒するつもりでいたわ。行きたくないとかゴネないから安心してくれて大丈夫よ」
「……ありがとうございます」
記憶にある限り、朝晩の挨拶や一言二言でない会話はこれだけだった気がする。
この短期間ではドレスを新調する時間はない。仕方がないから実家に置いてきたものからなにか、と思っていたのだけれど、いつの間にかサイズぴったりなものが用意されていた。旦那さまの騎士団の正装に合わせたかのような、銀に近い光沢のあるグレーの生地に、アイスプルーとエメラルドグリーンの糸で細かな刺繍がされているドレス。胸元の開きは控えめで、長袖。最大限に肌の露出が押さえられたもの。
――見苦しいから、年増は肌を出すなってことかしらね。
身に着けてみれば、存外に似合っているようではあった。こんな私でも、品良くおしとやかに見える。いつの間に? という私の質問に、トレフは「奥様のドレスをご用意するのは、我々の仕事ですから」と笑顔で返してきた。
――でもこの刺繍の細かさ、仕上がるまでに数か月はかかりそうよね?
偶然、ちょうどいいデザインのものでもあったのだろうか。行員だったわね、と思って、そして、祝賀会が今日。
――私、悪くないわよね? 鈍くもないわよね? あの生活の中で、どうやったら好かれてるなんて想像できた?
私は唸りながら眉間を揉む。
「……レディ・ミア」
「ん? あ、はい」
ついつい過去に思いを馳せてしまっていた。気付けばセシルはまた私の前に跪いている。私のお願いは、ハグと愛の言葉だったと思うのだけど?
そう思いながら姿勢を正して眺めていると、セシルは深く頭を垂れた。
「俺の気持ちが全く通じていないとは、まったく気付いていませんでした」
――いや、どうやったら今までの態度で気付けるって言うのよ。
思わず半目になる。
「求婚の手紙に、全部したためたつもりだったのですが」
「求婚の手紙?」
「……レディは全文をご覧になっていませんか?」
「……いえ?」
読んだ。確かに読んだ。
美しく聖母のごとくたおやかで慈愛に溢れるレディ・ミアとの結婚を望む、というような内容。あんなのは、求婚時の常套句のようなものだと思っていたからあまり気にしてはいなかった。
むしろ、あの内容では、この人私のことを知らないのでは? ということしか思い浮かばなかった。
「もしかして、あそこに並んでいた賞賛の言葉、あれ本気で言ってたの?!」
「貴方に嘘などつくはずがありません」
「そんなの、知ってるはずないじゃない」
貴方のオレンジベージュの髪は、まるで天から降り注ぐ光そのもの。その美しさには、太陽さえも嫉妬する。そのライラック色の瞳は星空に浮かぶ一番星のよう。魅惑的な光に私の心は捕らわれるばかり。
貴方の優しい微笑みは、世界中の美しいものすべてを集めても敵わないだろう。貴方が笑うだけで花が咲き乱れ、鳥たちが囀りだす。
貴方はまるで女神そのもの。どんな困難にも屈せず、優しさと愛で包み込む姿は、神々ですら羨むだろう。その魂の輝きは、この世の光といっても過言ではない。どんな闇も貴方の存在で照らされ、その輝きに触れる者は皆、永遠に救われるだろう。
貴方の優しさは、無限の海だ。どこまでも広がり、触れる者すべてを癒し、その深さに私は永遠に溺れている。
貴方の正しさは、まるで炎のように強く燃え続けている。その熱意と信念に、私はまさに心を焼かれるばかりだ。
貴方の笑顔は、どんな奇跡にも勝る力を持っている。その笑顔に出会った瞬間、私の世界は貴方のためにあると悟り、貴方のために生きるという価値を自分に見出した。
等々。
今でも思い出せる、あまりにも強烈な口説き文句。自分には髪と目の色以外は当てはまるように思えず、誰のことを言っているのかと目が点になった。あれも、彼の結婚の申し込みは相手を間違っているのではないかしら? と思った原因のひとつではある。
宛先は間違いでなさそうだったから、だったらそういう指南書をそのまま書き写したのか、もしくは売れない詩人にでも代筆させたのだろうと思っていたのに。
――えぇぇ……あれ、本気で言ってたの?
というか、この人が自分で考えたの? 真面目な顔であれを書いたの?
その言葉を向けられた方なのに、書き手の気持ちになって恥ずかしくなってくる。
「~~~~~~~っっ!!!」
羞恥心に耐えかねて、クッションで顔を覆って呻く。
「マイレディ、どうかなさいましたか?」
「どうもこうもないわ」
はふっ、とクッションから顔を上げる。セシルは目を丸くして私を見ている。顔が熱い。きっと真っ赤になっている。みっともないったらありゃしない。こほん、と咳払いをして誤魔化し、私はセシルを見下ろす。
「じゃあ、あの言葉が本当だったとして」
「本当です」
「……ちょっと、今すぐにはあれをあなたが書いただなんて事実を飲み込めないから、待って」
「はい」
従順な犬のように跪いたまま私を見上げてきているセシルに尋ねる。
「とりあえず、今よ、今。その態度は、さっきの私のお願いは聞いてもらえないっていう風に理解すればいいのかしら?」
「それは、その」
セシルは迷うように視線を彷徨わせる。
「ほら、やっぱり私のこと汚れてるって思っ」
「いません」
珍しく言葉をさえぎられる。口を閉じた私に、彼は必死な様子で身を乗り出した。
「俺は、貴方が汚れていないことを知っています。その身体が、穢れ一つない清らかなものだということを知っています。だから、そのような言い方をなさらないでください」
そんなことを言われても、私は言葉だけでは信じられなくなっている。言葉の裏でなにを考えているかわからない。それが人間なのだ。
「自分の妻になった女のことだから信じたいんじゃなくて? わからないわよ。本当にあの時穢されたのかもしれないし、もしかしたらその後の噂に翻弄されて挙句――」
「貴方は、そのような人ではありませんよ」
もしかしたら、自棄になって遊び歩いていたかもしれないじゃない、という意味合いの言葉は、低く響いた声に否定される。
「俺が、一番よくわかっています。貴方は、どこまでも高潔で真っ直ぐで、正しい人だ。自暴自棄になって身を破滅させるようなことはなさいません。当然、噂を鵜呑みにして寄ってきた軽薄な男などに流されるわけもない。そんなことをしたらご両親が傷つくのをご存じのはずだ。貴方は、愛するご家族を傷つけたりなどしません」
「な、んでそんな風に言えるのよ」
「ずっと、見てきましたから」
「……ずっとって?」
セシルは私の疑問には答えず「手を」と一言。反射的に手を差し出せば、下からそっと指先だけで支えてきて。それから私を真っ直ぐに見つめた。
「愛しています、マイレディ。この気持ちに偽りなどありません」
「セシル、だからその呼び方は」
「この俺が貴方に触れるだなんて、烏滸がましいにもほどがあるではないですか」
改めて主張してくる彼は、どこまでも真剣だった。
「夫婦なのに?」
「そこは関係ありません。平民出身で血にまみれているこんな俺には、清らかな貴方に触れる資格などありません」
――関係大有りでしょう。
夫婦であれば触れ合うのは当然で、そもそも夫が私に触れる資格がないというのなら、一体誰にその資格があるというか。
「あの、旦那様?」
「マイレディ、そのような呼び方はやめてください」
――それをいうなら、マイレディもやめてほしい。
そう思いながらも、はじめて触れてくれた彼の手の熱さに、心臓がどきどきとうるさいほどに高鳴っていた。この年にもなって、男性から手を握られ……いや、軽く触れられただけでこんなに緊張するなんて情けない。
「貴方を汚したくはないのです」
「……ちゃんと愛してくれている人になら、どれだけ触れられても汚れないと思うのだけど」
「っ、それは、確かに、そうかもしれませんが……」
やっぱり困惑を見せたセシルは、覚悟を決めたように真摯な表情を浮かべて「レディ・ミア」私を呼んだ。
「なに?」
「まだ、少し時間はかかるかもしれません。しかしいつかは、貴方のお望みのままに――」
愛しています、と言いながら、彼はそっと、私の小指の先に口付けた。
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