第11話 いろんな愛の形。
「ってどういうことなの!?」
怒り狂う私の背中を、ヘルタは憐れむような顔で優しく撫でてくれる。
「だから、あいつ拗らせてるって言ってるじゃないですか。しかも頑固。思い込んだらそれしか見えない、みたいな部分ありますからねぇ、良くも悪くも」
ピッケは今日も「奥様の相談に乗る」という名目で、トレフからそこそこの価値のあるワインを貰って私の部屋にやってきていた。ついでに、つまみにドライフルーツと、夕方私が焼いた菓子のうち、少々焦げてしまった部分などが持ち込まれていた。
「ねえ、セシルって本当に私のこと好きなのよね?!」
「って、本人は言ってますし、おれたちから見ても明らかですけど。奥様にはそうは見えないですか?」
干されてしなしなになっているブドウを、枝から一粒もいだピッケは、それを口に運びながら言う。
「恋って、両想いになりたいって思うものじゃないの?」
「あーそれっすよね」
続けて数粒手に握り込んだ彼は、少し難しそうな顔をした。
「まあ、相手も自分を好きになってくれたらいいなっていうのは、多くの人が思うことでしょうけど、想いが通じなくても良い、一方的で良いって本気で思っている連中も一部にいるみたいなんですよね」
「そうなの?」
そんな人たちがいるなんて、想像もしていなかった私は目を丸くする。
「大好きな人が結婚するっていう話を聞いた時に、祝福の言葉を心から言える人たちのことをピッケは言っているのでしょうね。愛している人の幸せを心から祈っているような人たちです。必ずしもその相手が自分でなくても良いと思っていたり、遠くから、その幸せを祈っているだけで幸せだとか」
「……セシルも?」
ピッケの言葉を補完するようなヘルタの説明に少々愕然としたものを感じながら、私はギギッと強張った首を回して彼女を見る。
「旦那様ですか?」
「うん。セシルも、私が誰と結婚しても、心から『おめでとう』って言えるってこと?」
「それは――」
「え、なんか、ショックだわ」
「ほっ!」
思わず口にした言葉に、ピッケが間抜けが声を上げる。なによ、と少し心穏やかでなくなる視線を向ければ、彼はニヤニヤしていた。
「へーぇ?」
なおもニヤニヤしたまま、ピッケは焼き菓子を口に運んで「あ、苦」などと呟く。
なんなのよ、と彼の手から菓子を奪おうとすれば高く上げられてしまう。そこに飛びつくのはあまりにはしたない。腹立たしく思いながらワインを飲み干す。
「奥様、セシルから『結婚おめでとうございます』とか言われたくないんすか?」
「……ちょっと、引っ掛かるわね。私の結婚を、彼が喜んでいるシーンなんて想像すると、もやもやするわ」
「まあ、今は2人結婚してますから、そういうことなんてなさそうですけど」
――けど、とは?
まだなにか含むもののありそうな言葉に、軽くピッケを睨めば、彼の口角はどこまでも高く上がっていく。
「知ってます? 相手のことを想いすぎて、自分なんかじゃ好きな人を幸せになんてできないかも、って思った時、身を引いちゃう人ってのもいるんですよ」
「なにそれ」
「自分にはあなたを幸せにする力が不足している。けれど、豊かな財産を持っていて、落ち着いた大人で、かつあなたを心から愛してくれるというあの男とならば、あなたは幸せになれるはずだ」
「なんでこっちの幸せを他人に決められなきゃいけないのよ。誰を好きになって、どう幸せになるかは私にも選ぶ権利はあるはずじゃない。勝手に決められたくなんてないわ」
そうそれ! とピッケは手を叩く。
「勝手に、自分じゃ好きな人を幸せに出来ないって思いこんでる連中がいるんすよ。自分を卑下しているのか、過小評価しているのか、相手をあまりにも尊いものだと思っているのか。一緒に幸せになろう、じゃなくて、自分には幸せに出来ないって思いこんでるような――」
「アホね」
「ま、そっすね。アホっすよね」
なんだろう。セシルが、私を手放してもいいと思っているのかもしれない、と思ったら無性に腹が立つ。酔っているせいかしら。それとも、と悶々とする。
あれだけ私を愛していると言っておいて、こちらからの気持ちを受け止める気が一切なさそうなのが忌々しい。もしかしたら、私だって身を焦がすほどの愛を彼に感じるようになるかもしれないのに。
そもそも、決めつけられるのは好きではないのだ。私の感情を、セシルであっても勝手に決めてほしくはない。
「まあ、セシルがどう思ってるのかはわかんないっすけど。少なくとも、自分には奥様に好かれる要素も資格もないって思ってるだろうことは確かですね」
「なんで」
「だから、そういうのを2人で話し合って理解しあってくのが大事って言ってるじゃないっすか」
話し合い大事っすよ、とピッケは話をまとめる。私と彼の話を黙って聞いていたヘルタが、私に干しブドウをもいで渡してくれながら尋ねてくる。
「先程のお話ですが、奥様は、今日は旦那様を可愛いと思われたのですよね?」
「……私が好きすぎてあんな態度を取ってしまっているっていうのは、愛らしいと思ってしまったわ」
それはあまりにも不器用に、あまりにも大きな感情を抱いているということなのだろうから、立派な騎士様であっても可愛く思ってしまうものではないだろうか。
「なるほど」
考え込んでしまったヘルタの目の前で手を動かしてみるけれど、彼女の反応はない。どうしたことかとピッケを見れば、やっぱりニヤついている。なんでそんな顔をするのか、と問い詰めようとしたところで、また部屋の扉がノックされた。その瞬間「あ、ヤベ」と小声で言ったピッケは慌てた様子で立ち上がる。ヘルタは慣れた様子で手早く自分たちの分のグラスをお盆に乗せて立ち上がった。
「奥様、それでは私たちはこの辺で失礼いたします」
「え? もう?」
「じゃ、ごゆっくり」
へらへらした様子で手を振ったピッケが扉を開けると、そこにセシルが立っていた。
「お前たち、ここでなにを?」
お前たち、と複数で言っている割には、彼の険しい視線はピッケだけに注がれている。
「奥様のお喋りにお付き合いしてただけだって」
「私もおります、旦那様」
「………………」
すこし離れた位置で見るだけでも、セシルの視線は刺さってくるほどに鋭い。しかし、ピッケに動じる様子はない。彼は、あろうことかセシルの肩に片肘を乗せて顔を耳元に寄せるとなにか囁いたようだ。バッとピッケの方へ顔を向けたセシルは、今まで見たことのない表情を浮かべていた。
「では奥様、なにかございましたらお呼びください」
丁寧に頭を下げたヘルタが扉を閉じると、部屋の中にはセシルとふたりきりになった。いつ用意したのか、テーブルの上には新しいグラスが2つ乗っている。
「ええと、セシルも飲む?」
「いえ、私は――」
「1人で飲むのは寂しいから、少しでいいから付き合ってもらいたい、って言っても駄目かしら」
そう言うと、彼は少し躊躇うように私の向かいのソファに腰を掛ける。そこは、今さっきまでピッケが据わっていたところなので、残っているぬくもりを感じたのだろう彼は、少々不愉快そうに顔を顰めた。
「ピッケが失礼をしてはいませんか」
「大丈夫よ。2人には、少し相談に乗ってもらっていただけだから、色々と知らないことを教えてもらって、助かってるわ」
「……そうですか」
セシルは私のグラスにワインを注いでくれながら視線を伏せたまま、自分のグラスにも同量注ぐとそれを持ち上げた。目の高さでそれをくゆらせる彼の顔は、相変わらず美しい。じっと見ていると、視線に気付いたのか「私の顔になにか?」と問われる。
「セシルって本当に綺麗ね、って思いながら見ていただけよ」
「っ……」
一瞬動揺が顔に出る。少しだけ赤みの差した頬を隠すように、彼はますます下を向いてしまった。
「端正な顔立ちにその白銀の髪はとてもよく似合っているし、それに透き通った氷のような、とても綺麗な瞳だと思うわ」
「氷……」
「でも、冷たい印象ではないの。不思議な色ね。私、好きよ」
顔を上げたセシルは、じわりと目を丸くしかけ、それを誤魔化すようにワインを一気に飲み干して軽く咽る。
「大丈夫?」
「はい、みっともないところをお見せして申し訳ありません」
ハンカチを差し出そうとすれば、大丈夫です、と手を向けられる。
「私は、レディ・ミアのライラックの瞳の方がよほど美しいと思います。その瞳に見つめられるたび、私はまるで別世界に引き込まれるような感覚に囚われるのです。ライラックの花が咲き誇る美しい春のように、その優しい色合いは私の心を包み込んで離しません。貴方の瞳はどんな言葉よりも深く愛を語っています。その瞳に映る世界は、柔らかく、温かく、そしてどこまでも広がる空のように果てないのではないかと思うと、今、その片隅に私が存在できていることが幸せでなりません」
「ちょ……セシル、ちょっと言い過ぎじゃない?」
「言い過ぎなんてことはありません、貴方の――」
「もうっ、恥ずかしいからやめて!」
目の前で紡がれる私への賞賛の言葉を聞いているうちにむずむずしてくる。しかも、言っている本人はその言葉に酔っている風でもなく、どこまでも生真面目に真剣な調子でそれを口にしているのだ。
――本気なんだわ。
改めて、彼の私に対する言葉に嘘はないのだと実感させられて、頬が赤くなる。ぱたぱたと手で熱くなった顔を扇げば、彼は「お水でも持ってこさせましょうか」と立ち上がろうとするから、必要ないと止める。
この話から焦点をずらさないと、恥ずかしくて茹りあがってしまいそうだ。話題を探した私は、さっきのピッケたちとの話を思い出した。
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