第12話 少しずつ、一歩ずつ。
そういえば、と話を切り替える私に、また姿勢よく座り直した彼は耳を傾ける態度を見せてくれる。
表情は一見無表情で視線は合わないので、一見こちらに興味がなさそうにも見えるが、よく観察すればちゃんと聞いてくれているのはわかる。
――表面的な態度しか見えていなかったのね。
目が合わない。言葉数が少ない。それだけで嫌われているのでは? と思っていた自分の未熟さに呆れ果てる。彼も言葉が足りていない部分はあるし、内容は私を突き放しているように思えるものではあったので、完全にこちらにしか非がないとは思えないけれど、それでも真剣に向き合っていれば、彼が私に興味がないわけではない、と理解は出来ただろう。
――そういう擦れ違いを解消するためにも、話し合いをしたいのよ。
「さっき、ヘルタたちと話していたんだけどね、そこでちょっと気になったことがあったの」
「はい」
返事をする時には、こちらに一瞬視線を向けてくれる。
「私、セシルにも話したように、恋をしたことがなくて」
「はい」
「自分には縁遠いものだって思っていたから、私の恋愛観って固定的なものだったのね。だから、誰かを好きになった時に願うのは、相手にも自分を好きになってもらいたい、両想いになりたいってことなんじゃないかって思い込んでいたの。でも、そればかりじゃないって聞いたわ」
セシルは黙ったまま私の話を聞いている。視線は、わずかに私の顔からは外されていたが、視界の隅には映っているだろうと思われるような角度だった。
「ただ相手の幸せだけを願って、自分が相手から愛されることを必ずしも望まないっていう愛し方もあるって」
「…………」
「相手に恋したからって自分のことを見て、って思うばかりじゃないって、ちょっと考えればわかるのね、私わかっていなかったのよ」
彼は無言のままだ。でも多分、私が考えたことを理解していないわけではないと思う。
「セシルもそう考えてるってことよね?」
「私は、貴方が幸せならばそれで――」
「ということは、よ? もしかしてセシルは、この先誰かが私を好きだって言ってくることがあったとして、その人があなたよりも私のことを幸せに出来るって考えたら、離縁とかもしちゃえる感じなの?」
「それは嫌です!」
間髪置かずに大きな声で否定されて驚く。目が合えば、またすぐに下を向いてしまう。
「それは……嫌です。離縁は、したくありません」
「あ、そうなのね?」
絶対に嫌だ、と俯いて繰り返す彼に少しだけホッとしながら、その頭頂部を見つつ続ける。
「私を他の人のところに行かせる気はないってことね」
「自分が貴方を一番幸せに出来る、だなんて自惚れているわけではありません。しかし、俺は、貴方を手放すつもりはない。ずっと、一生」
「安心したわ。私、ここの生活気に入っているの。セシルとももう少しわかりあいたいと思っているし、それに」
悪い人ではないのはわかったし、彼を可愛いと思ってしまったのも本当。彼は私にとって、恋愛対象にならない人ではないのだろうという予感はある。
――ピッケやトレフの方がたくさん話してるけど、そんな風に思えたことはないのよね。
彼らは、特にピッケは気の置けない兄弟のように思えている。
「ねえセシル」
「はい」
「……私があなたを好きになったら迷惑?」
「っっ!!」
息を呑む気配。私も、こんなことを言うのは恥ずかしくて彼をまともに見ることが出来ない。グラスの中のワインを眺める。
「もし、私がセシルのことを、恋愛っていう意味で好きになったら、受け入れてもらうことはできるのかしら」
「あの、レディ、それは」
「それとも、私がそう思うようになるなんて想像もしていないから、聞かれても困る?」
レディ・ミアと言ってセシルは硬直してしまった。
そんなに難しいことを聞いたかしら、と思う私と、彼が拗らせているというのなら、こう聞かれるのは困るんだろうな、と思う私がいる。酔った勢いで急速に踏み込みすぎたかもしれないけど、でもこういうのは早めに方向修正していくのが大事、と自分に言い訳をする。
「……俺、の手は、汚れているので」
セシルは、自分の手をじっと見つめている。その指先はわずかに震えていて、私は彼の顔――頭に視線を移した。
「貴方に触れることは、出来ないと、ずっと。指先で触れたのでさえ、指先への口付けだけでも、貴方を汚してしまったのではないかと不安で」
「セシルは、私利私欲のためや快楽のために敵を殺めているわけではないでしょう?」
「俺には、剣を振るうことしか出来ません。だからこの職を選んだだけです。そのような欲で戦ったことなど、一度たりともありません」
それだけ、ということはないだろうけど。これだけ評価されているというのに、彼はどうにも自己評価が低い部分があるように思える。
「騎士団にはスカウトで入ったと聞いたわ。元々剣士として優秀だったのでしょう?」
「いえ、俺は元々自警団にいて――」
彼はそこで言葉を区切る。なにか言いにくいことでもあるのだろうか。
しばし逡巡していたセシルは、意を決したように顔を上げる。
「貴方を、騙していたつもりはないのです。ただ、俺は本当は……貧民街の、出身なんです」
あら、と小さく呟けば、彼はびくっと肩を揺らす。
「今は、爵位などという分不相応なものを賜っていますが、ろくに教育も受けていない、最底辺の層の生まれです。だから、余計に貴方には触れられないと思っていて」
「……私、そういう子たちを保護している場所で働いているのだけれど?」
私が孤児院で働いていることに眉を顰める貴族なんて、それこそ履いて捨てるほどいる。またその逆に、救いの手を差し伸べようとする者もいる。私は、多くの貴族層生まれの人間がそうであるように、あの事件があるまで彼らに対してほぼ無関心だった。
「それにね、私昔、貧民街出身だという子たちにとってもお世話になったことがあるのよ。だから、出身だけで差別するようなことはしないわ」
「……レディ・ミアがそういう方だというのは、知っています。だから、こんな俺でも、それなりの地位を手に入れれば貴方に結婚を申し込めるのではないかと、受けていただけるかもしれないと期待して、ずっと我武者羅にやってきました」
「私のため?」
「ええ。貴族の娘に求婚するのなら貴族でなければいけないと――そして平民が爵位を得るには、養子に入るか、もしくは武勲を立てて評価されるしかないと聞きました。だから、ずっとこの地位を得るためだけに頑張ってきたんです」
――あんな噂持ちの私ならば、別に平民であっても結婚させてもらえた気もするけど。
彼が爵位に固執し、野心家と言われていた理由は私にあったらしい。そんな話を誰から聞いたのか、と聞けば「自警団の団長です。俺たちの、育ての親になってくれた人です」と返ってくる。そして、その人はトレフの実の親なのだとも教えられる。彼からの推薦で、騎士団の入団試験を受けられたのだ、とセシルは続けた。
「俺は、貴方との約束を果たすために、ずっと」
「……? 約束?」
「ええ、俺からの一方的なものではありますが」
穏やかに微笑んだセシルの顔に、あれ? と記憶の隅に引っ掛かりを感じた。
でも彼はそれ以上その話を膨らませることはなく、お皿の上の焼き菓子を指差した。
「その菓子は、レディ・ミアがお作りになったものだそうですね」
「そうよ。孤児院に持って行くの」
「先程、自室で持ち帰ってきた仕事をやっていたところ、ウルがお茶と一緒に一切れ持って来てくれました。普段とは違って強引に今すぐ食べろというから食べれば『それ、ミアさんの手作りだよ』と言われ……もっと早く教えてくれたら、もっとゆっくりじっくり味わって食べたのに」
悔しそうな彼に、ふふっ、と笑いが漏れる。
「簡単だから、また作るわね。今度は孤児院への差し入れ用の残りじゃなくて、セシルのために作るわ」
「いえ! そんな貴方のお手を煩わせるわけにはいきません」
「食べてくれないの?」
「いえ、喜んでいただきます」
どっち、と笑った私に表情を緩めた彼は
「美味しかったです。とても。そのお礼を伝えたくて、来ました」
ゆっくりと噛み締めるように、ありがとうございました、と言って。
明日の朝でも良かったのに、と思った私は、一刻も早く感謝を伝えたいと思ってくれた彼の気持ちに、胸の奥が甘くくすぐられたのを感じていた。
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