第13話 彼らの秘密。

 その夜から、少しだけセシルと私の距離感は近付いたように思える。あなたのことがもっと知りたいの、とお願いすれば拒否されることはなかった。

 毎晩、夕食後にどちらかの部屋でお茶かお酒を飲みながら、その日にあったことを話す。時々、昔話も。ピッケのやらかしや、ウルの最初期の失敗料理、あのヘルタが昔は繕い物も出来なかったことなど。そして、今は真面目一辺倒なトレフがかつてはかなりやんちゃをしていたという話。


「そうなの?」

「育ての親が手を焼いていたほどです。あの頃は、剣術でもトレフには敵いませんでしたね」

「そんなに強いのね!」

「ピッケも、武器を使うのはあまり得意ではないようですが、格闘術だけなら今も俺よりも強いかもしれません」

「ええ! そんな風には全然見えないのに」

 

 後日、本人たちに確認したところどれも本当だったし、そんな思い出話まで出来るようになったんですね! とみんなから喜ばれた。

 座る位置は相変わらず正面で、隣に座ってくれることはない。それでも、視線の合う回数は増えてきた。確実に距離は近付いていた。

 毎晩のように話をしているうちに、私の中の彼への好感度はどんどん上がっていた。彼が本当に私を好いてくれているのも、大切に想ってくれているのも、彼の中で私がまるで女神かなにかの如く神聖化されていて、相変わらず触れたら汚れて壊れてしまうものだと思っているようなのも十分に思い知らされた。

 そんなことはない、という私の言葉は聞こえているようだが、理解はできないらしい。

 だが、焦らずにゆっくりと彼を理解していこう。そう思っているうちに数ヶ月が経った。季節は変わり、徐々に気温が上がっていく日々の中でヘルタがこんな発言をしたのをきっかけに、私はまた違和感を覚えることになった。


「奥様、そろそろ暑くなる季節ですが」

「そうねえ」

「新しくドレスをお作りになりませんか? このような生地であれば、首元が詰まっているデザインの長袖でも、暑さを避けられるでしょうか。ご実家ではどのような素材でドレスを作られていましたか?」


 彼女はサンプルとして用意されたらしいドレス用の生地をいくつか見せてくれる。触れてみればそれは、実家で夏用ドレスを作るのに手配していたものに近い。よく探してきたわね、と思いながら、そこで首を捻った。

 これは一般的な夏用ドレスに使われる生地ではない。少し珍しいもので、値も張る。それになによりも


「私が胸元を出さないとか、腕もなるべく出したくないってこと、どうして知っているの?」


 あまり肌を見られたくないという理由で、お風呂も着替えも基本は私一人でやっている。どうしても手の周らない背中のリボンやホックは手伝ってもらうことはあっても、彼女が私の裸を見たことはないはずだ。

 両親が、私に確認することもなくそれを彼らに伝えたとも思えない。


「そういえば、実家で着ていたのと変わらなかったから気付いてなかったけど、どの服もそうよね。胸元が開いているものはないし、腕も露出しないデザインばかり。夜会のドレスもそうだったけど、あれは年齢的に見苦しくて肌を露出しない方が良いって気遣いかと思っていたわ。でも、もしかして……」


 知ってるの? と尋ねれば、ヘルタは少し困ったような顔で頷いた。


「え、なんで? コレについては、記録には残っていないはずなのだけど」


 私は、自分の右胸を押さえ、それから袖をまくって見せた。そこには、うっすら、とは言えないくらいに明らかな刀傷の痕があった。処置が遅かったせいで、かなり大きく派手に残ってしまっているそれは、貴族の令嬢についているような傷ではなかった。

 

「それは、その」


 ヘルタは言葉に詰まる。言い難そうにしているのを無理矢理に聞き出すほどに知られたくなかったものなわけでもない。


「この傷のことは、他の人も知ってるのかしら」

「……私と、ピッケと、旦那様は、場所も大きさも把握しております。トレフは、傷があるということしか知りません」


 かなり悩んだ後、彼女はそれだけを言うと「どうして知っているのか、という話は、どうか旦那様となさってください」深く頭を下げて行ってしまった。

 ――責めたわけではなくて、純粋にどうして? と思っただけだったのだけど、そういう口調に聞こえてしまったかしら。

 結婚前に私のことを少しでも調べていたら、どこかの仕立て屋から私のドレスの形については情報が漏れていたかもしれない。いや、でも信用が大事でもあるだろう彼らが、顧客の情報をそんなに簡単に漏らすだろうか。

 どこから? と考えてみたもののわからない。犯人探しをしたいわけでもなかった私は、そのうちに話してくれればいいわ、などとその程度に思っていたのだけれど。その日の夕食は、妙に暗い雰囲気で、ピッケやウルまでも言葉数少なく浮かない表情をしていた。

 ――なんなの。

 暗い顔をしているのはセシルもで、トレフは表情に出していないなりに、普段よりもこちらを気遣う様子が見えた。

 ――また、私だけ除け者?

 だいぶ馴染めたと思っていたのに、私を怒らせたと思っているのか、全員にどんよりとした顔をされるのがショックでならない。

 ――そんなに気難しく思われているのかしら。

 ――面倒な貴族のお嬢さんだった、って今になってげんなりしちゃった?

 そんな状況では食も進まず、食べたんだか食べてないんだかわからないままに、今までにないほど暗い雰囲気の食事は終わった。


「レディ・ミア、失礼します」


 食後、しばらくしてから部屋を訪ねてきたセシルは、まるであの日私を迎えに来た時のような表情だった。


「どうぞ、座って」

「レディ、話は聞きました。私たちが、貴方の傷について知っていたことを不快に思われているのではないかと」

「思ってないわよ」


 下手に謝罪を告げられる前に、失礼とは思いながら言葉を遮る。口を閉じたセシルがまたなにか言い出す前に、こちらの主張を聞いてもらおうと続けて話す。


「ちょっと驚いただけで、怒ってなんてないわ。他の人がどう思うかはわからないけど、この傷は恥ずかしいものではないもの」

「しかし……」

「そうね、確かにこれはあの事件の時につけられたものではあるけど……乱暴をされてつけられたものではないから、良い思い出とは言わないけどもうなんとも思ってないの。気を遣ってくれなくて大丈夫よ。今まで、ドレスも気遣ってくれていたのよね。ありがとう」

「そう、言っていただけると、私たちも救われます。ありがとうございます、レディ・ミア」

「どうしてセシルがお礼を言うのよ」


 変な人ね、と笑った私に、彼は真面目な顔で返して、こうきた。


「その傷は、私のせいでついてしまったものですから」

「……え?」


 笑顔が凍る。

 一瞬の沈黙。

 ――今、セシルはなんて?


「貴方の肌に、消えない傷をつけてしまって、本当に申し訳――」


 床につくほどの勢いで頭を下げるセシルを慌てて止めさせ、それでも顔を上げない彼の近くに行き「触るわよ」と断ってから肩に手を掛ける。触れた瞬間ビクッと大きく身体を震わせたものの、彼は私の手を振り払おうとはしなかった。


「セシル、どういう意味? これは、賊につけられたもので、貴方にはなんの関係ないわ。第一、10年も前の話よ。あなた、まだ12歳くらいだったでしょう? 賊の仲間というわけでもあるまいし」


 言い聞かせるように問えば、彼はゆるゆると頭を振る。


「関係あるのですよ、レディ・ミア。その腕の傷は、あの時見知らぬ子供を庇ってついたものではないですか。だから、その責任は俺にあるんですよ。貴方に、消えない傷をつけてしまった責任があります」

「ちょっと待って、セシル、なに言ってるか、わからないわ」


 声が震える。

 目蓋の裏に浮かぶのは、暗い洞窟の中に作られた賊のアジトの光景。

 私以外に、貧民街から人身売買のために攫われてきた貧民街の子供たちと、よその国から攫われてきた子供たちが何人か肩を寄せ合っていた。私は偶然、彼らのいた近くを通りかかったせいで攫われたようで、思いも寄らぬ収穫に彼らは上機嫌だった。この宝石や陶磁器を売ればしばらくは贅沢できるだろう、子供たちを安く売る必要はないから高く買ってくれる客を探そう、と言っていたのを思い出す。


「……あそこに、いたの?」

「俺と、ピッケと、ウルと、ヘルタは、あの時に知り合いました。そして、助けてくれた自警団の団長の家で育てられて――」

「あの時の、子供?」


 心臓がバクバクと大きな音を立てる。喉の奥に心臓が移動してきたようで、苦しい、呼吸が出来ない。


「――はっ、は……ッ」

「レディ・ミア? 大丈夫ですか?」

「ごめ……苦し……」

「ヘルタ! 来てくれッ! ミアが……ッ!!」


 慌てているセシルの声を聞きながら、私は世界が暗くなっていくのを感じていた。

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