第14話 私の拗らせ騎士様。

※ ヒロインの過去話が含まれます。

  ならず者に手酷い扱いを受けるシーン、やり返すシーン等ありますので、多少なりとも乱暴表現が苦手な方はお気を付けください。


―――――――――――――――――――――――――――


 薄暗く、じめじめとした洞窟の中。地面はごつごつとした岩肌で、常にひんやりとしていた。

 ドレスを剥ぎ取られ、下着姿になった私は寒くて寒くてならなかった。自分自身を抱き締めて震えていると


「お姉さん、大丈夫?」


 放り込まれていた檻の中にいた女の子が、そっと寄ってきて剥き出しになっている腕を撫でてくれた。私が触ったら汚れちゃうかもしれないけど、と言いながらも「お姫様みたいなのに、こんなところに閉じ込められて可哀想」と何人もの子が私を温めるように寄り添ってくれた。

 彼らの肌や衣服が清潔ではないことなど気にならなかった。それよりも、優しい心が嬉しかった。

 そうだ、あの時の少女は、明るいブラウンの髪に緑色の瞳をしていた。珍しい色合いではなかったから頭の中で関連付けることをしていなかったけれど、もしかしてあの子は……


 他の子と違って明らかに貴族の娘である私は、年齢的には奴隷としては少々上だったかもしれないけれど、きっと高額で売れるという公算があったのだろう。食事も他の子とは違って、ある程度しっかり与えられてはいた。空腹だろう子供たちに、それらをこっそりと分け与えもした。不安で泣きだす子を抱き締めて眠ることもあった。

 ああそうだ。特に小さな異国の子供が泣いているのを宥め、抱いて、おんぶして、ずっと世話をしているやせっぽっちの少年もいたではないか。彼は、深くフードをかぶっていて顔を見せることはなかったが、もしかしたら珍しい濃いピンクの瞳を隠したがっていたのかもしれない。

 賊の人数が少なくなった時には、不安で震える彼らにおとぎ話などをしてあげたのを思い出す。きらきらした瞳で話を聞いてくれる子供たちとの穏やかな時間は、私にとっても恐怖やこの先に待ち受けているのだろう現実からの逃避にもなっていた。


「おい、お前」

「……っ、はい」

「こっちに来い」


 ある時、人攫いの賊たちは、見張りを1人残して私の嫁入りの品を闇市に流しにいった。残されたのは、やつらの中でも特に若い、下っ端と思われる男。いつも使い走りをさせられ、乱暴に扱われていた。

 そんな男は、上の人たちがいなくなったその時をチャンスだと思ったのだろう。絶対に手を出すなと言われていた私を襲おうとしたのだ。


「嫌よ!」

「抵抗するな、このっ」


 男の力に女では敵うはずもなく、私は檻の外に引っ張られていきそうになった。胸元の開いた下着だった私は、尖っている檻の扉の部分に服が引っ掛かり、抵抗したせいで大きな切り傷をつくってしまった。


「あ、お前、馬鹿! そんな傷作ったら価値が下がるだろうッ」

「なによあなたが無理矢理なことしようとするからでしょ、人のせいにしな――」


 バシン、となにかが破裂するような音がして、頬に強烈な痛みを感じる。殴られたことなどなかった私は、なにが起こったのかわからないままに地面に倒れる。混乱している私の髪を掴んで引っ張り出そうとした男の前に、小さな影が走り込んできた。


「その人に手を出すなよっ!」


 いつも、部屋の隅にいた、暗い髪色の少年。


「言われてんだろ、お姫様は大事に扱えって」


 私から距離を取らせるようにまだ華奢な身体で男に組み付き、尻餅をつかせた。馬乗りになった彼は、男の顔を何度も殴る。


「このやろ……ッ」


 男が自分の腰に手を回す。少年は、殴るのに必死でそれに気付かない。暗闇に、金属の光りが躍る。考えるよりも先に身体が動く。男に馬乗りになっている少年の頭を抱え込んで蹲る。腕が、一瞬カッと熱を持ったような感覚を覚える。


「てめ、だから傷つけちゃダメだって言ってんのに」

「おね……ちゃん?」


 強く抱え込んだせいで、胸に当たっている少年の唇が震えている。じわじわと濡れていく目元。彼は私の背中に腕を回して、しがみつくようにしながら叫ぶ。


「な、でオレなんて庇うんだ! オレみたいなのはいくらでも替えがきくけど、アンタは違うだろ。アンタが怪我しちゃ意味がない! なのにどうして自分から」

「わからないけれど、身体が動いてしまったから」


 返す私の声は弱い。

 大きな傷ではない。でも、ショックが重なりすぎて精神的に限界だったのだと思う。

 霞む視界の中で、少年がボロボロ泣いている。


「違、オレ、お姉ちゃんを汚させるつもりなくて、守りたくて、それで」

「うん、わかってるよ。ありがとう」

「でも、結局傷つけちゃって……ッ」

「ん、格好良かった。まるで、騎士様みたいで――」


 そこで気を失った私が次に目を覚ました時には、すでに自警団がアジトを壊滅させた後だった。

 傷の手当は、子供たちが必死でやってくれたらしい。しかし、衛生的とはいえない環境。私はしばらく高熱にうなされることになった。

 そんな中で、いくつか思い出せることがある。

 私を守ってくれたあの少年の言葉。


「ああ、お嫁にいけなくなっちゃったかなあ……」


 助けに来てくれた人たちの反応を見て、私が最悪に近い扱いを受けたのだろうと誤解されているのはわかった。いくつも傷に、殴られて腫れた頬、下着の裾についた血液の跡。

 ぼんやりと呟いた私に駆け寄ってきた少年が言った。


「オレがお姉ちゃんのことお嫁さんにしてあげるから大丈夫」

「うふふ、嬉しいなあ」

「聞いてる? ねえ、オレ本気だからね?」

「でも、こんな身体じゃ、ね。汚れちゃったし、傷だらけになっちゃったもの」


 私は、独り言のように続ける。ほろほろと目尻から涙が流れていた。


「お姉ちゃんはきれいだよ、大丈夫だから、だから、いつか」

「ほら、退いて。早く医者の元へ運ばなきゃいけないんだ。お前たちはあっちに――」

「お姉ちゃん! オレ――」


 最後まで、少年が伸ばしていた手に触れることはできなかった。

 あの子の瞳は、透き通ったアイスブルーで。


 覚えている、と言っていた割には、やはり何度も思い出したくはない事件については、記憶の底に蓋をしていたのだ。目を開けると、心配そうなみんなの顔が見えた。その中でも一番泣きそうな顔をしているウルの頬に手を伸ばす。


「……ああ、大きくなったねぇ……」

「ちょ、やめてよそんなおばあちゃんみたいな言葉! なんか縁起悪いよぉ」


 ウルが悲痛な叫びをあげて、ピッケにしがみつく。視線を横に移動させると、ヘルタがなにかを堪えるような顔をしている。


「ヘルタも、ああ……あの時、一番最初に寄り添ってくれたの、もしかしてあなただったの?」

「はい……はい、奥様、私です」


 堪えきれずに泣きだした彼女の背中をトレフは黙って擦っている。あの時のようにウルを抱き締めていたピッケは


「だから、拗らせてるって言ってたんすよ」


 と笑う。


「あの時からずっと、10年ですよ。しかも状況が状況だ。セシルがあの対応になってたのも、理解できました?」

「うん、そうね。うん」


 私は、セシルを見た。彼は、安心したような、しかし泣きそうな、複雑な表情を浮かべている。

 セシル、と名前を呼んで手を伸ばせば、また怯えるように肩を震わせたものの、ゆっくりと手を握り返してくれた。


「きれいだって言ってくれてたのに、どうして触れてくれないの」

「だ……から、その貴方が、男に対して恐怖心があるのではないかと……」

「守ってくれたのは、あなたでしょう」

「守り切れませんでした。貴方の身体も、心も」

「あなたにはなんの責任もないわ」


 音をたてないようにしながら、セシル以外の人たちが部屋を出ていく。

 私の枕元に膝立ちになったセシルは、私の手を両手で包んで、祈るように額に当てた。


「ごめんなさい、忘れていて」

「嫌なことなんて、詳細を思い出す必要はありませんよ。それより、思い出してしまったことで貴方の身体に負担がかかったら、とそれが心配でなりません」


 自分でも、まさか呼吸が出来なくなって倒れるほどにショックだとは思っていなかった。でも、思い出せたのは大事なことで。


「あなただとはわかっていなかったけど、守ってくれた男の子がいたおかげで、わたしは無事だったし、徹底的に男性を嫌悪するようにはならなかったのは理解していたわ。身内以外は、子供なら大丈夫っていうのも、きっとあの時の印象が強かったからなんでしょうけど」

「少しでも、貴方の心を楽にすることが出来ていたのなら、俺は幸せです」

「セシル」

「はい」

「ありがとう」


 彼はきょとんとした顔をした。


「約束通り、結婚してくれたのね」

「貴方が社交界でどのような扱いを受けているかを知った時は、腸が煮えくり返る思いでした。でも、そのおかげでこうして結婚できたのですから……ご両親も、安心させることが出来たのですから、皮肉と言うかなんと言えば良いのか」


 苦笑いを浮かべた彼は、少しだけ握る手に力をこめた。


「しかし、このやり方はあまりにも一方的だったと、貴方と結婚できた今になって冷静に考えれば、貴方の意思を無視した失礼な行動だったのではないかと猛省するばかりでした。レディ・ミア、こんな俺を赦してくださいますか?」

「許すもなにもないわよ。ありがとう、って思ってるわ」


 私の言葉に、彼は安堵したように肩の力を抜く。そんな彼の手を自分に引き寄せるようにすれば、彼は姿勢を崩しそうになって慌てて背筋を伸ばした。


「やっぱり私、あなたのことを好きになれると思うの。ううん、多分好きなのよ」


 あの少年の存在は、ずっと心の支えだった。その彼を嫌いになどなるはずはないし、あの彼が、あの時の言葉を本当にするため、私を迎えに来るためだけに本物の騎士になって目の前に現れてくれただなんて、どんなに素敵な恋物語でも敵わないのではないだろうか。

 ――恋が、したい。

 彼を、愛したい。


「でも、まだ想いの深さが足りてないから、愛してるまではいっていないと思うけど」

「レディ・ミア?! それは、本気で言っているのですか? 冗談ではなく、俺をからかっているのではなく?」

「好きよ、セシル」

「ッッ!!??」


 一気に顔を真っ赤に染めたセシルが、顔を私の寝ているベッドに押し付ける。


「これは、夢……夢ですか? ミアが俺を好きだなんて、そんなこと……」

「もっと、あなたのことを好きにならせてね、セシル」

「っ……は、はい! 俺は、貴方だけにこの身も心も捧げます」


 また、大袈裟な、と笑う私に彼は続ける。


「我が最愛のレディ・ミア、貴方は俺の太陽です。そして人生のすべてなんです。貴方の微笑みが剣を振るう力となり、貴方の視線が俺の盾を強固にします。たとえ世界が我らを切り裂こうとしても、俺は貴方の騎士として、そして夫として、貴方だけを守り抜くことを誓います。この命のすべては、貴方のため。貴方の涙が再びこぼれることがあれば、それを拭うのはこの手であればいいと思っています、貴方の笑顔が輝く瞬間を、私はどこまでも追い求めているのです。どんな戦場にあっても、貴方への愛が俺を導き、どんな闇も、貴方の存在が光と変えます。貴方が望む限り、私はいつまでも貴方の傍にいつづけます。貴方の幸せこそが我が使命、貴方の笑顔だけが我が勝利。どんな敵が現れようと、俺はただ一つの誓いを守ります――貴方を永遠に愛し、守り続けます」


 大袈裟に言ってはいません、とセシルはどこまでも真摯な態度で胸を張る。でも、だからこそ触れるのにはまだ抵抗が、などと言ってくるのだ。

 ――とことん拗らせてるわね、私の騎士様は。

 安定というしかない彼の態度に、安堵しながら声を上げて笑う。 


 今日は手を繋いだところまで、でも勢いでしたものだから、数歩後戻りは必須。

 私たちのペースで、ゆっくりとこの恋を進めていきましょうね。

 そんな言葉に、彼はまた真っ赤な顔で頷いてくれたのだった。

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「貴方が尊すぎて触れられない」拗らせ騎士な旦那さまはド真面目にそう宣った。 二辻 @senyoko

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