第4話 初めて交わした会話はこれだし。

 結婚の申し込みを前向きに考えたい。そう返事をした後も、彼がデートに誘ってくれることはなかった。手紙のやり取りは1回だけしたが、結局一度も会うことがないままあれよあれよという間に結婚式の段取りが整えられ、その当日が来てしまった。順序としてはあり得ないし、準備期間も短すぎる。なにを焦っているのか、あまりにもすべてが早すぎた。

 もしも私の事情を知らないのであれば、話さないのは騙しているのと同じことで気持ちが悪い。こちらには事情を伝える必要があった。本当に噂を知らなかっただけで、話を聞いたうえで一度申し込んだものを引っ込められないというのなら、私に明らかな非があるように振舞うことすら検討していたのに、その機会すら与えられなかった。


 彼は大袈裟な結婚式を望まず、身近な親族だけを招いた小さな式が行われることとなっていた。一度も言葉を交わしたこともないまま式では……という両親の気遣いにより同じ馬車で教会に向かっているのだが、今、狭い空間でふたりきりの私たちに会話はない。彼は視線を窓の外に向けたまま、私を見ようともしない。

 ――お父様、お母様、その気遣いが私を追い詰めておりますが?!

 思いっきり文句を言いたい気持ちを押し込めて、私は意を決して口を開いた。


「……あのぉ」

「はい」


 声を掛ければ、彼はこちらを見てくる。無視はされないことにホッとする。

 見た目の良い人は声も良いらしく、落ち着いた声が耳に優しい。


「改めまして、この度は、私などに結婚を申し込んでくださってありがとうございました。今まで直接感謝をお伝えする機会がなく、このような場でになってしまいましたことをお許しくださいませ」

「……私など……?」


 ぴくっと形の良い眉が上がる。その声にはわずかな不快感が含まれているようで、私は口を閉じる。

 ――違うわ。求められたのは私の家との繋がりなのだから、まるで自分が必要とされたかのような言い方をするべきではなかった。

 いきなりの失言に気付いて黙った私をじっと見つめた彼は


「私こそ、今日まで顔を合わせることも出来ずで申し訳ありませんでした」


 その場で深く頭を下げる。


「え? あっ、いえ、そういうことを言いたかったわけではなく……」

「どうしても、忙しくてお会いする時間を取ることが出来なかったのです」

「ええ、ええわかっておりますわ。セシル様がお忙しいことは、十分理解しておりますので、どうか頭をお上げくださいませ」


 ゆっくりと頭を上げた彼は「セシル、と」と小さく呟いた。


「どうぞ、セシルとお呼びください」

「でしたら、私のこともミアと……」

「それはできません、レディ」


 私の申し出は間髪を入れずに拒否される。身分を気にしているのか、それとも私をそのように親し気に呼ぶ気はないということなのか、彼はきっぱりと言った。


「それから、私に対してそのような丁寧な言葉遣いは不要です」


 続いて、丁寧に話すことも否定されて困惑する。親しくなる気がないのなら、この言葉遣いになんの問題もないはずだ。彼がどのような関係を築きたいのかがわからなくなる。


「お話は、それだけですか?」


 会話を続ける気もないということだろう。セシルは尋ねてくると、また視線を逸らそうとする。


「あの、1つだけお伝えしなければいけないことがあるのですが」

「……はい」


 また、ぴくりと眉が動いた。会話を続けようとする私の態度に気分を害したのかもしれない。しかし、これだけは確認しないわけにはいかない。


「セシルさ……は、私が今日まで結婚していなかった理由について、ちゃんと把握していますか? もし知らないのなら、これからする話を聞いてやっぱりやめたというのでも、誰も責めませ――」

「ご心配なく。存じております」


 彼はあっさりと頷く。


「……本当に?」

「ええ。10代の頃、輿入れ最中に人攫いに遭った――というお話でしょう? それが、なにか?」


 なにか? ではない。問題しかない話じゃないか。しかしセシルは、私の戸惑いを気にする様子もない。


「あの、私、助け出されるまでに5日ほどかかったのです。ですから」

「わかっています。事件の日付や盗まれた物品一覧、それから、貴方の救出時の状況。全て記憶しています」


 はっきり言った彼は、少しの後で納得したように頷く。


「ああ、だからこの結婚は誰からも祝福はされないと、そう思っていらっしゃるのですね?」

「はぁ。まあ……」

「それは勘違いでしょう。現にご両親はお喜びだ。それで良いではないですか」


 笑みを浮かべることもなくそう言って、セシルは話は終わりだとでもいうように、また視線を外に向けた。完全に拒絶されている。

 ――やっぱり、訳ありの女には訳ありの結婚しか来ないわよねえ。

 一先ず、彼が私を穢れた女だと認識していることがわかっただけでも、今後の出来事で傷付くことは少なくなる。これからは鈍らせた心で生きていけばいいだけだ。そんなことを覚悟して、私も窓の外に視線を向けた。


 教会につけば、そこには私の両親と祖父母だけが待っていた。セシル側の参列者はいない。呼ぶ者などいない、というのがその理由だそうだが、私と結婚することを喜ぶ身内などいるわけもない。結婚式の場でうちの両親の気分を害さないようにという配慮なのだろう。

 淡々と式は進み、誓いの言葉と誓いの口付けが交わされる。宣言に淀みはなかったが、しかし予想通り、口付けは振りでしかなかった。上手く手で隠れるようにしていたから、両親からはちゃんとキスしたように見えたとは思うが、唇が触れることはなかった。

 ――ここまで嫌がる相手とでも結婚しないといけないなんて、この人も可哀想ね。……私などに憐れまれるのなんて、ごめんだろうけれど。

 式を終えてもお披露目のパーティなどはなく、その代わりに彼の屋敷で小さなお茶会が開かれた。屋敷に務めているのは、執事を含めてたったの4人。彼らによって用意された茶会は、質素ながらも心のこもったものに思えた。

 お人好しな両親や祖父母は、使用人たちの朗らかで私を歓迎してくれている様子に、それから華美ではないものの美味しいお料理にいたく感激したらしく「みんな良い人のようで本当に安心した」と何度も繰り返して、満足そうに帰っていった。


「では、私は部屋に戻ります」


 私の身内を見送るとすぐに、彼は部屋に戻っていった。無言で背中を見送ると、うしろから声を掛けられた。


「奥様はこちらへどうぞ。お部屋にご案内いたします」


 ヘルタと名乗った栗色の髪をお団子に結い上げた女中は、私専属のお世話係なのだという。なんでも遠慮せず申しつけてください、と言われた私は、あとで使用人たちの紹介と屋敷の案内をして欲しいと頼みながら部屋に足を踏み入れた。


「ここが奥様のお部屋でございます」

「わぁ……!」


 まるで自宅の部屋のようだ。私の好みど真ん中の調度品と、実家の色でもあったエメラルドグリーンのカーテン。カーテンの色は気遣ってくれたのだろうけれど、それにしても初めて足を踏み入れる部屋とは思えないほどに落ち着く雰囲気だった。


「お気に召されましたか?」

「ええ、とても素敵だわ。どれもこれも、私の好みにぴったりよ」

「奥様に気に入っていただけるように皆で用意いたしましたので、そうおっしゃっていただけて安心いたしました」


 微笑むヘルタのあらゆる仕草は、少なくともそれなりの立ち居振る舞いを叩きこまれているように見える。包容力すら感じさせる顔立ちや雰囲気も相まって、身近に置いている彼女がセシルの本命? なんて考えすら過る。でも、だとしたら、恋人に形式上の妻の世話をさせるなんてどっちに対しても酷い話だ。

 そんなことを考えていると、ヘルタがクローゼットを案内してくれた。いつまでも結婚式用のドレスを着ているわけにもいかないので、自分で選んだ普段着に着替えさせてもらった私は、屋敷の中を見て回ることにした。

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