第3話 初対面は結婚式当日という定番パターン。
ミア・ルノー。
ルノー子爵家の一人娘で、訳ありな行き遅れ。どう考えても、見目麗しいと噂の才気溢れる副団長が結婚を申し込むような相手ではない。セシル・ベルトランは平民出身でその爵位は一代限りではあるけれど、ある程度の家柄の若い娘さんとの良縁なら望める立場にあるはずだった。
その彼が、20歳前後で結婚する娘の多いこの国において、すでに30に到達しているハイミスにわざわざ求婚してくる理由がわからない。そもそも彼自身がまだ20歳そこそこだった気がする。なおさら、一回り近く年上の私を選ぶ意味がない。
当然彼との面識などないから、人知れず密かに愛を育んて来たという事実もない。
仮に年上好きなのだとしても、彼より年上な経歴に問題のない未婚女性は貴族平民を問わずたくさんいる。私のような、世間様から後ろ指を指されている、訳ありで、目立って裕福でもない家の、行き遅れなんかに求婚することに得などない。
――訳あり、ねえ。
自分から思い出しておいて鬱々としてくる。
私が訳ありと言われるのは、18の頃におきた婚約解消事件が原因だった。
その当時、私にはちゃんとした婚約者がいた。しかし、彼の元へ輿入れする道中、運悪く馬車が賊に襲われてしまったのだ。
私は高価な嫁入り道具と共に攫われ、行方不明となった。捜索隊がすぐに結成されるかと思いきや、その時通っていた領地にはなにやら事情があったようで、すぐに探されることはなかった。救出までに数日を要した結果、助け出された時の私はボロボロの下着姿。
そこから連想されるのは――ミア・ルノーは、賊に穢された身体となってしまった、ということ。
処女性を重視される貴族間の婚姻において、非処女、しかも賊に手籠めにされた女になどなんの価値もない。むしろ卑下されるだけの存在だ。当然、婚約は解消された。
これに関して、相手方を責めるつもりはない。後ろ暗い過去を持つご婦人など、彼にとっても損でしかなかっただろうから。それに、そんな事情であれば彼にも同情が集まる。あの人は良縁に恵まれたらしいと風の噂に聞いた。
問題は私だ。ただの婚約解消ならば、別の縁を望むことが出来た。多少とうが立っていても、どこぞの多少訳ありな貴族に娶られるなり、後妻に求められるなりという道があっただろう。
けれど、私のような傷持ちには、それすら望むことが出来なかった。
でも、神に誓っても良い。私はあの時、賊に穢されてなどいないのだ。
正真正銘、清い身体のままだった。
ドレスは高価だからと剥ぎ取られたが、肌にはほぼ触れられていない。危ない場面はあったけれど、なんとかその場をやり過ごせた。しかし、ないものを証明するのは難しい。あの場にいたのは、盗賊の一団と、彼らに攫われてきた貧民街の子供たちと私。私の身の潔白を証言してくれる人はいなかった。いや、子供たちは証言してくれたようだけれど、信憑性のある発言とは捉えてもらえなかったのだ。
社交界からも忌避され、汚れた私と交流を持つ令嬢はいなくなった。明らかに卑しいものを見るような、多少の憐れみ混じりに遠巻きにしてくる貴族たちとの交流はストレスが大きく、全ての視線から逃げるように社交界に顔を出すのをやめた私は、王都の外れにある修道院でお手伝いをさせてもらうようになった。
しがない子爵家の事情など知る由もない彼らと共にいた方が私によっては気が楽で、身体を動かしていた方が余計なことは考えなくて済んだ。シスターたちは優しくて、子供たちは可愛くて、慣れない料理や掃除、畑仕事に最初こそ戸惑ったものの、十分に満たされた10年を送ってきていた。このまま、私は孤児院の子供たちのお世話をしながら、一生を終えるのだと思っていた。
なのに今更。
有名人から急に結婚を申し込まれても、無条件に喜び頷けるわけもない。
しかし。
傷物になったと思われている娘をずっと守ってきてくれた両親に報いるには、この結婚の申し込みは救いではあった。私が結婚して婿を取り子供を作らない限りは、親戚からだれかを養子にするしかない。彼らが自分たちの孫を抱ける日が来るのを楽しみにしていたのも知っていたから、「お断りします」などと簡単に言うこともできなかった。
でも、それにしても相手が悪い。
もう少しお互いに訳ありだったら、これならば、と納得も出来たものの、若くて有望な青年に貰ってもらうなど申し訳なさすぎる。どんな事情で私に求婚してきたのかはわからないけれど、なにかの間違いとしか思えない。
――もしかしたら噂を知らないだけ?
……それにしては、私を選ぶなんてくじ引きかなにか、もしくは何かの処罰の対象としか思えないけれど。
でも私が傷物だという話を知らないだけならば、事情を知れば彼から断ってもらえるのでは?
私からは断りにくくても、相手から「やっぱりナシで」というのなら両親も納得せざるを得ないのでは?
一度でも結婚を申し込んでくれる人がいた、という事実は、彼らの救いになるはずだ。
そして、一番有力な誰かと勘違いされているという可能性は、実際に会えば気付いてもらえる。
そう期待して
「このお話、考えさせてください。まずはベルトラン卿とお会いしたいのですが」
そう答えた私だったのだが――事態は期待通りには動いてくれなかった。
お返事をしてから一か月後「お迎えに上がりました」そう言った彼は、私の前に跪いていた。
――どうしてこうなった。
恭しく差し出された手に誘われるように手を重ねると、彼はそっと顔を寄せてくる。整えられた灰色の短髪。切れ長の瞳は淡いアイスブルーで私を静かに見つめてきた。
噂通りの整った顔立ちは若い娘をときめかせているという噂話を肯定する。しかし悲しいかな、私は立派な騎士様にそんなことをしてもらえるような立場ではないと腰が引ける。
少し目を細めて私を見上げた彼は、優雅な仕草で立ち上がると「それでは参りましょうか」笑みを作って改めて手を差し出してきた。
……しかし、私は見つけてしまったのだ。その目の奥が微笑んでいなかったことを。
礼儀として笑い返せば、煩わしそうに目を伏せられる。その表情が拒絶にも思えて胸の奥がチリリと焦げる。
――どう考えても、愛されて求められたって表情ではないわね?
顔を見ても違うと言わなかったことから、残念ながら人違いではなかったようだ。それにしては、どこかで一目惚れした、などという話はありそうもない。
我が家相手なのだから財産目当てでないことは確か。可能性があるとしたら、私がここの一人娘で跡取りが必要なことから、婿入りすれば一代限りの貴族位でなく、自分の子も貴族としての身分が保証される、ということくらいだろうか。
そして、その子供は必ずしも私が産む必要はないのだ。
彼からの結婚の申し込みの手紙にあった「婿入りでも構わない」という文面に両親が喜んだのは言うまでもないのだけれど、その可能性を考えると全部納得できる。
――結構な野心家だという噂もあるみたいだし、これが正解かも。
だとすれば、もうどこかに愛しい人がいるのだろう。だから、さっきも私の手にキスをする振りだけだったのだ。納得すれば、気負うものもなくなる。
彼に欠点があるとすれば、それは平民出身であるということ。しかも、噂によれば孤児であったとも聞く。そんな彼を血族に入れることを好まない貴族主義の家もそれなりにあるだろう。
一族の誰かに疎まれながら生活するよりは、ランクは下がっても両手を上げて歓迎してくれる家との縁を手にした方が本人にとっても気が楽だろう。しかも、訳ありで行き遅れている娘には結婚という契約自体が救いのだから、その後の振る舞いについて強く言えはしない。
――要するに、私は彼にとって都合のいい相手ってことね。
お互いに損得で繋がるというのも、政略結婚などでは良くある話。恋愛結婚を尊く思う傾向のある我が国ではあるが、そういう結婚が皆無なわけではないし、望んでも子供の出来ない夫婦もいる。無理に身体を重ねる必要はない。
こんな私に、利用する価値があると思われたのなら、それはそれでいい。
――だったら、このまま形だけの結婚っていうのでも良いかもしれないわね。
私はその瞬間に割り切ったのだった。
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